リリース:1990年
今週も当ブログを訪問いただきありがとうございます。
今回は、井上陽水さんの『少年時代』を取り上げてみようと思います。
井上陽水さんというと、独自の世界観と言葉を持っているように思いますが、そこで使われる造語は、歌詞を見る者にとって広い解釈を与えてくれるものでもあります。
ですから、私は私なりの見方、考え方を書いていこうと思います。
それではさっそく1番の歌詞を見てみましょう。
「夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
青空に残された 私の心は夏模様」
「夢が覚め 夜の中
永い冬が 窓を閉じて
呼びかけたままで
夢はつまり 想い出のあとさき」
誰のあこがれに さまよう
青空に残された 私の心は夏模様」
「夢が覚め 夜の中
永い冬が 窓を閉じて
呼びかけたままで
夢はつまり 想い出のあとさき」
前段の部分は夢の中の心模様を歌っていると思いますが、夏が過ぎても心の中は夏模様なんですね。
そして、後段の部分で夢から覚めて、その夢に呼びかけたまま、夜そして冬になったと解釈できます。
そしてキーワードの「夢はつまり思い出のあとさき」と因果関係を提示するんですね。
続いて2番の歌詞も見てみましょう。
「夏まつり 宵かがり
胸のたかなりに あわせて
八月は夢花火 私の心は夏模様」
「目が覚めて 夢のあと
長い影が 夜にのびて
星屑の空へ
夢はつまり 想い出のあとさき」
「夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
八月は夢花火 私の心は夏模様」
「夏まつり 宵かがり
胸のたかなりに あわせて
八月は夢花火 私の心は夏模様」
「目が覚めて 夢のあと
長い影が 夜にのびて
星屑の空へ
夢はつまり 想い出のあとさき」
「夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
八月は夢花火 私の心は夏模様」
2番の歌詞でも夢の中は夏の夜の部なんですね。
井上陽水さんの少年時代の心の中、原風景とでも言ってもいいのかもしれませんが、それは夏の思い出で、それが夢にも反映されているということかしらね。
まあ、広く解釈できる歌詞なので、それぞれが自分の感性で味わってもらえたらと思います。
ただ、一口に夢と言っても、将来に向けた目標を指す場合もありますし、睡眠時の夢もあります。
私なんかは、悪夢とまではいかないけれど、辻褄の合わないストーリーの夢が多くて、いや、そんな筈はないといったところで起きることが多いんですね。
でも、井上陽水さんが言っている夢は、きっとうたた寝程度の少年時代を思い起こしてる浅い眠りのことなのかもしれません。
私の子ども時代の原風景となっているのは、夏の夜に田んぼや用水路に乱舞する蛍の光。
でも、今では農薬でもう蛍の生きられる環境ではなくなってしまいました。
それでも、本当に美しい風景というものが心に刻まれているから今の自分があるのかもしれないし、子ども時代に虐待や汚い言葉や環境に囲まれて育ったら、もっと別人格になっていたかもしれないと思うと、『少年時代』をどう過ごすかというのは、とっても大事な気がする。
今週も最後までお読みくださりありがとうございました。
今年は、というか今年も全国各地で災害級の大雨による被害が予想されています。こまめに情報を入手して、場合によっては早めの避難行動をとってくださいね。
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