パソコンの電源を入れると、モニターが真っ黒!
ooxxx disk errer と意味不明の英文が出ている。こうなると爺さんはお手上げだ~
車に積んで<パソコン工房>へ・・・・・
店に到着すると、あら不思議!治っていたぁ~
良くあるそうだ。
爺さんの周辺機器に ニコンのSUPER COOLSCAN5000 EDがあるが
フイルムスキャナーだが終売して永く XPしか対応しないので2世代前で辛抱!
しかし爺さんと一緒でパソコンもポチポチ終末期のようだ。
先日はペンタックスのソフトをインストールしたら「マイピクチャー」が
消滅した、ソフトも壊れて使えない。サービスセンターに電話するが
<貴方のCPUは?>なんて~埒があかん、ペンタックス野郎
しかも壊れたパソコンはリカバリー(初期化)しかないが
ソフトも全部、入れなおしでかなりの出費だ・・・
そこで、やめた、取り込んだ画像はマイドキュメントに行くが・・・
それを外付ハードデスクに取り出してしのぐ毎日で、気分が悪い
享年96才、自分の力で生き抜いた大往生だ・・・
ダンデイで知的でユーモアがあるかと思えば、ちょっとエッチなおじいさんだった。
武じいも見習いたいが、とても無理だ
検索していたら、黒柳徹子さんの談話があった。
森繁久弥さん死去】森繁さんとテレビを草創期から支えた黒柳は「本当に寂しい。(デビュー当時は)毎日のようにご一緒しており、何もかも教えていただいた」と涙を浮かべた。
半世紀以上も前からNHKのドラマ、バラエティーなどで共演。「徹子の部屋」には13回にわたって出演。76年2月の第1回放送のゲストとして登場し「(放送中に)胸をなでられたのもいい思い出」と回想。「ちょっぴりエッチなおじさん。終生、“1回、どう?”って言われていました」と懐かしんだ。
雑誌の対談で3年前に会ったのが最後。「車にいた森繁さんが私を引きずり込んで“1回、どう?早くしないとしわくちゃになっちゃう”って。今では光栄に思っています。大好きでした」としのんだ。
サラリと年寄りのジョークが飛び出して、嫌われないのは凄い・・・
しかも好意的に受けられるとはね。
やはり森繁さんは、偉大だったと・・・思った
テレビや新聞で 新型インフルエンザ の報道が盛んだが。
爺さんは毎年 季節性インフルエンザ の予防注射をしています。
「新型」の方は優先順位があるらしく。
爺さんは昔から待つのが嫌い
医学のことはサッパリ分からんが、予約不要の方を注射した貰いました
我が町 小倉の戦後闇市から出発した食堂街の嚆矢だ。
この突き当たりを、右折した突き当たりが公衆便所があって
その隣が 武じいさんの恩人、ボントン発祥の地 があった。
浅草から出てきて、大変な苦労をした人だ、後日、弟の耕治さんが
店をだしたころは、すでに繁盛店になっていた。
僕の今日はこの人、平野さんのお陰です
爺さんが若いとき、くたばれ「ヤンキース」なる。映画があったのを
記憶している
爺さんはアンチ「巨人」だ、別に理由はないが
強いて言えば,、全部がユニクロではね<爺さんも殆んどユニクロ印>ですが
まあ~爺さんのたわごとです。
あまり怒らんでください
いいレンズを作っていたので、武じいは デジ一眼はペンタだ・・・
今でもデジタル専用のリミテッドがあるが、個人的にはフイルム時代のレンズ
の方が作りがいいしボケも綺麗と思う・・・
まだカメラが耐久消費財の時代だったので、コストを惜しまず作っているが
その中で体力的に持てなくなったのがこれ↓
体重計で計ってみたら、約2、1キロある、赤レンガ1枚の重量だ
今でも困難なのでこれから益々持てなくなるが
売っても、二束三文なので棚飾りに持つことにしている
このモニュメントは「道の駅、高千穂」にある。
天照大神が天の岩戸に隠れたときに、衣装を脱ぎ捨て踊った神様だ
それで天の岩戸が開いたという神話・・・
それで、めでたしメデタシとなりました
現代風に解釈すると、ストリップショウーですね、よーく分かりますね
爺さんが思うに、仏教伝来以前の日本民族は天真爛漫だっただな