マーブルの小部屋

マーブルとは犬の名前です。
2013年の12月に虹の橋を渡り、
ラムも2017年8月虹の橋り今はサボがいます。

「マーブルの想い」…パパさん投稿Ⅰ

2013-12-30 11:20:50 | マーブルのひとり言

・僕は1998年4月6日仙台市太白区NのK家で誕生した。

・四つ後の末っ子です、親の愛情と兄姉愛ですくすくと育っていました。

・K家の母はストロベリーコーンズを経営し、バイトの高校生(男の子)に生まれた子を可愛がるのを条件に あげる約束をし、僕が指名された。

 ・5月もすぎ、6月も終わろうとした22日夜に、高校生とお母さん(お父さんは運転手で待機)がやってきました。

 ・しかしながら、K家のお父さんが日数も経ってしまったせいか、ぼくを手離すのを嫌になったらしく、なかなか応諾しない状態となりました。

 ・1時間以上の話し合いでやっと僕の新天地が決まりましたが、お父さん以上に僕の方が77日間も住んだK家を出るのが 不安になって来ました。

  心の中で、「K家のお父さん頑張れ」と叫んでいました。

 ・その日のうちに新天地の我が家に移りました。僕たちと接するのが初めてらしく、さっそくゲージに入れられ居間に一人ぼっちで夜を

  過ごすことになりました。案の定「ホームシック」で2晩夜泣き状態となりました。

 ・新しいお父さんが、夜泣き状態ではゆっくり休めないなどの愚痴をこぼしていました。

 ・実は、僕がなかなか新しい家に行けなかったのは、この我が家のお父さんのせいだったとのことです。

  お父さんが 犬嫌い(子供のころ悪さをして隣りの犬にお尻を噛まれてトラウマになっていた)で家族内で意見集約が取れなかった からです。

 ・その後、僕との接触はぎこちなく慣れるまで時間がかかりました。

 ・半面、お母さんと保護者(高校生の息子)は面倒見がよく可愛がっていただきました。

・相変わらずお父さんはぎこちがありませんでしたが、日が経つにつれ僕との距離も縮まり、散歩の回数はお父さんが多く なってきました。

 ・ある日、保護者の母校である小学校に行きました。天気も良く誰もいない校庭でお父さんと一緒に駈けっこしました。

 お父さんは僕のスピードに合わせてくれているようですが、僕もお父さんのスピードに合わせていました。

 僕がお父さんを 見ると、お父さんも僕を上から笑顔で見ていました。校庭を2~3周してから縁台で寝そべって青い空を見ました。  

             [このシーンは僕との思いの中で「一番」 といつも言ってました]

 ・1歳の誕生日が過ぎた5月のゴールデンウイークに、両親(我が家の父母)の友人Sさんたちと2泊3日で秋田県に旅行に 行きました。

  Sさんのベンツに5人と僕です。後部座席の真ん中に父が座り、右隣の母との間に僕が足元にいました。

  長丁場なので、大人たちは僕がグイ会を悪くするのではないかとだいぶ心配をしておりましたが、僕は初めての体験に  

  わくわくしていました(自動車はお父さんに随分乗せてもらってたので「ドライブ好き」になってました)。  

  車酔いもなく快適な旅で、最終日は、青森県の弘前城でみんなに抱っこされながら満開の桜を見てきました。  すごく綺麗でした。

 

 ・その後は普通(僕中心)の生活に戻り、毎日が充実していました。

 ・ボクが3歳になる年の正月に変化がありました。仙台新港にある大きな会場(夢メッセ)で動物の新春直売会があるとのことで

 両親たちは目の保養のためと軽い気持ちで出かけました。僕は留守番でしたが、帰宅後にすぐ出かけるとのことで僕も同乗 しました。

 会場とは別の場所でお父さん、お母さんが知らないおじさんと何やら話をして箱を持って帰ってきました。

 僕は運転するお父さんの膝に座ったり、後ろの保護者の兄夫婦に移ったりしていました。  

 そのうちに後ろの箱に入ったものを見せられ腰が抜ける衝撃を受け、お父さんの膝に急いで移り、体が震えていました。

 「大丈夫だよ」との声が聞こえてきましたが、今後の生活に変化が出るような変な気分になり、黙ってしまいました。

 ・家に帰っても震えが止まらず、お母さんに抱っこされていました。

 何故だかわかりませんが、今思うと「自分の主役が奪われる」との思いが優先したのではないかと考えられます。

  それが「ラムちゃん」だったのです。

 ・ラムちゃんを僕の中に受け入れるのには時間がかかりました。食事ものどを通らない状態が続き、心配した両親が病院の

 先生に相談をしていました。「ラムちゃんを手放してはどうか」との話を戴いたそうですが、

 お母さんが反対して両方 育てますとの強い意志が 通ったそうです。

 ・両親は僕たちを夫婦にしたかったのですが、僕はお父さん・お母さん又人間が好きだったので、ラムちゃんにつらく当たって いました。

 今思うと浅はかだったと反省しております。 ・ぼくは遊び心が強く、人形とじゃれあったり、お父さんの帰宅後の靴下を奪っては自慢げに

 遊んだりしていました。  靴下はお父さんも調子に乗りお互いに口にくわえて奪い合いっこし、僕の方が分がよかったようです。

 お母さんは「汚いからやめなさい」といつも騒いでいました。ラムは脇で見ています。

 最も得意だったのは、お気に入りの人形を足に挟んでバックするのだ。これがテレビで放送されたんだよ。

  近所の友達のお母さんが散歩中に僕の得意技を聞きつけ、さっそくテレビ局へ電話したんだよ。  

 撮影日はカメラが気になりなかなかうまくいかずお母さんが随分心配していたが、何とかうまくいったよ。  

・旅行も随分連れていかれた。安比高原、会津の東山温泉青根温泉、鎌先温泉など。

 特に安比高原は、気仙沼→釜石→宮古経由で盛岡から高速に乗りすぐ到着と思ったが、薄暗くなったこともあり、

 盛岡市内で  方向音痴になり随分と時間がかかった思い出があります。

 でもペンションは雰囲気もよく、特に翌朝の散歩は最高でした。

 季節は4月なのに残雪があり、雪の上で思いっきり遊びました。  

 それから僕は雪が大好きになり、自宅の庭でも雪の日はいつも遊んでいました。

 自分の体に雪がくっつくのでお母さんにいつも怒られていました。

 ラムちゃんは女の子なので雪遊びは得意ではありませんでした。

                                                       あまりに長い文章なので、ひとまずこれにて続く。

 

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コメント (16)
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