朝、私も一緒に散歩に行きましたよ。
サボちゃんはいつもの公園でバスケのボール遊び、雪の上で。
東日本大震災から間もなく7年の歳月が経ちますが、
11日、6年11か月の日になぜか南三陸方面に行こうと夫が言いました。
夫は弟たちのお墓に9日に行ってきたそうです。
安置されてたお寺さんのお墓を子供たちが建てたのです(えらいね~)
不思議と天気はあまりいいとは言えなかったのですが、虹が見えました。
隣の線路は仙台と石巻の間を走る仙石線です。
海岸線を走ってた仙石線ですが、だいぶ内陸に移設されました。
そして矢本に着たら突然目の前に大きなブルーの飛行機が・・・
これってブルーインパルスですね、戦闘機の。
矢本って言って、自衛隊の松島飛行基地があるところです。
南三陸町、被害が大きく、湾になってるので、あっという間に建物を飲み込んだところです。
これは防災対策庁舎です、周りにかさ上げされて海は見えないですが、
ここの職員さんたち、最後まで住民に避難を呼びかけられてた庁舎です。
一度解体が決まったのですが、結局解体されず震災遺構として
残されることになっています。
職員43人が犠牲になられています、天井の鉄塔につかまって
手を離さなかった方が生き残ったそうです。
私たちが見ているときにちょうど観光バスが来てガイドの方が説明
されていました、10名の方が生き残られたそうです。
献花台と千羽鶴が備えられていました。
この辺は工事で道が随分変わっていて、しかもかさ上げ工事の
車やブルドーザーが盛んに動いていました。
そのそばには復興のあかしとしてさんさん商店街が立ちました。
海の幸が多く、生き生きしているものが多かったしとても安かったです。
柿などはとってもプリお売りし定期がよかったです。
左上のアカモクって書いてありますが、こちらではギバサというのですが、
お湯でゆで、刻んでわさび醤油で食べるそうです、
花粉症に効果があるそうなので買ってみました。
卵焼きにでも入れようと思ってます。
せっかく来たのだからとここで食事をと思いましたが、どこも混んでいて、
しかも外で並ぶので風が強く寒いのです。
なので来る途中に看板が出ていたお店に戻ることにしました。
「くう海」って言うお寿司屋さん、名前も面白いですが、
看板に「午後4時まで体力温存のために休みますって書いてあるのです。
え~、せっかく戻ってきたのに~って言って中に入ったら
{食べるだけならいいですよ~」って板長さんの声。
お昼から飲まないよね~…
で、この板長さんが店主ですが、またいい人です。
待たせたお子様連れには優しくって、
「待たせてごめんね~、また来たら寄ってね」って言ってます。
それで私たちにも感じがよく、「こちらこそすみません」って私も言って
とっても美味しいのを食べました。
私はいくら丼、このいくらの量の多いこと。
そして夫はおまかせ海鮮丼。
やはり海の近く、ネタが新鮮でとっても美味しい。
そして帰りに「お客さん、どちらから?」この気さくな掛け声がいいよね。
「こちらに来たらまた寄ってね~」って言ってくれました。
私たちが言ったのは2時過ぎ。
でも2時半ころまた3人ほどお客さんが来たのです。
でも食べるだけならどうぞって言ってましたよ。
体力温存、できそこなったんじゃないでしょうかね。
ほとんどリピーターだそうですよ、分かるような気がしますね。
帰りの海の綺麗なこと、行く時と違う道を通ってきたのですよ。
志津川湾、天気がいいから海が青々として綺麗です。
左上に見える白い大きなホテルが南三陸ホテルです。
震災の時はここのおかみさん、被災された方を泊めていたそうです。
大きなホテルだから皆さん助かったでしょうね。
これから松島航空基地の頃は雪が舞ってきました。
ちょうど仙石線が横を走り抜けました。
雪景色です、もっとカラフルな電車もあるようです。
海沿いはしばらく封印していたけど、これからは復興のために
足を運ぼうと思います、良い一日でした。
あの時から今日まで皆様のそこ力で良くここまで復興されたと思います。
温暖な地方より寒い地方の方の方が逞しいのかなと思います。
魚介類も新鮮で美味しいことでしょう!
辛く悲し思いをされてるから余計人情的になり気持ちも皆様おやさしいのでしょうね~
あの時のことは一生私も目に焼き付いていて自分も頑張らないとと思います。
人生明日のことはわからないですよね
何が起こるるか今を一生懸命生きていかないといけないと毎日思います。
大勢の食卓を囲めるのも幸せなことですものね(´∀`)
マーブルママさんとお知合いになれて
本当に嬉しく思います。
これからも頑張ってくださいね^^
なのにママさんたちは当事者でしたものね~~~??
心配しましたよ‼‼でも無事で本当に良かったと思いました、
旦那さま弟さんのお墓参りも済ませて優しい方ですね!!
其れで行かれたんですね!!
思い出が走馬灯のように浮かんでは消えましたでしょう!!
悲しい思い出がね!!
でも良く行ってきましたね!!そのきっかけの事が地元の方を応援することになるんですから良い事をされたと嬉しく思います。
私もいつかは行きたいと思います。元気でいれば・・
海の幸が美味しそう!!
地元で食べる丼の味はまた格別でしょうね!!
食べた~≁い・・
必ず行って食べます。
姪っちゃんたちも偉いね!!いい子の育ち・・
きっと幸せな人生が待ってると思います。
あの日を思い出しながら・・
良くみんな頑張りましたね!!
お墓を建てられなかなたいしたものですね。
何ともおいしそうな海鮮丼、食べたいです~
皆頑張ってきたのですものね。
神戸だってそう思います。
23年も経ったなんて、それだけ年を取ったのですね。
こちらの南三陸も被害が酷いところだったんです。
ようやく復興の兆しが見えてきたようなんですね。
ここのお寿司屋さんは5年前から始めたようです。
早い方ですよね。
南三陸のホームページに行ってみるとあの当時の写真が
出ていたりして、まざまざと思い出されます。
こんな不幸なことがあるのかと思うと心が痛みます。
義弟たちのことも思い出されてしまいます。
毎日一生懸命に生きないと罰が当たりますね。
私もよっこたんとお知り合いに慣れて嬉しいですよ。
環境が似ているというか、孫たちのことなどね。
やはりみんなのお世話をするようにできてるんですかね~。
頑張らなくちゃですよね。
あれから早いもので7年になろうとしています。
あの時は皆さんと連絡も取れなくて、こうしゅうでんわからとん子さんに電話したのを思い出します。
夫は月命日にはなるべくお参りに行っているようです。
義弟夫妻もお墓もできてやっと土に帰れたと安心してることでしょうね。
南三陸方面にやっといけました。
さんさん商店街で皆さん頑張ってるようです。
このお寿司屋さんの板長さんも復興しようと一生懸命だったんですね。
また行きたいですね、新鮮なお寿司を食べに。
姪っ子は今新潟の豪雪地帯にいます、どんな暮らしをしてるのやら。
でも好きなことをしてるので楽しいと思います。
姪っ子たち、お墓を建てたんですよ。
偉いな~と思います。
神戸は23年たつんですね。
本当に月日の経つのは早いです。
新鮮な海鮮丼、とっても美味しかったです。
また食べに行きますよ~。
板長の心意気が気に入りました。
雪のまだ残る南三陸へ・・・昨年を思いだします。
復興、周りはまだまだですね。
商店街で新鮮などんぶり食べられすごい!
こういう所へ観光客が行き頑張ってもらわないと
ですね。
また行きたくなりました。
もーは、かたまるわよ^_^;
旦那様、何か思って早めに行ったのでしょうかね
虹・・・弟さん夫婦が良く来てくれたねと言ってくれてるようですね
弟さんの子供達もお墓にちゃんと入れてあげたいの一心で頑張って来られたのでしょうね
商店街もたくさんのお客さんが来てくれるのは、嬉しい事ですね
一人一人は、少しづつのお買い物でも
たくさんの人が来てくれると
活気も出るし、利益にもつながりますもんね
海鮮丼、美味しそう
また、行かないとですね
凄いね~
弟さんが…
嬉しさを伝えるため虹が出てたのかも知れないね。
こうして南三陸の様子を見れば
まだまだ完全復興したとは思えないけど
南三陸のみなんさん頑張ってるのね。
遊ぶんだぁ すごいね こうやって遊んでくれたら
寒い中のお散歩も楽しくなるね
弟さんの虹だね
天国からきてくれてありがとうって言ってるようだね
子どもさん達もお墓建てて立派だね
中々出来るものじゃないと思う・・・
もう7年 まだ7年・・商店街のみなさんの頑張ってきたんですものね
ママちゃん美味しいお寿司 食べれて良かったね