今日であの震災からちょうど一年になります。
今日は朝から一年前のあの日の様に寒い日でしした。
あの日は夕方16時半から仕事でしたが、息子も仕事が休みで2階にいて、
私はワンコ達とリビングにいました。
14時46分、我が家は地震には強いので揺れてもそう慌てはしないんですが、
でもあの揺れだけは違うんですね。
ゴーッと地面の底から唸り声のような音が聞こえ、不気味でした。
長~い揺れで気持ち悪くなり、まるで酔ってるような気がしました。
すぐ隣の空き地にワンコ達を抱っこして外に出ました。
息子は学校に行ってるユー君を車で迎えに行きました。
ユー君達は学校の校庭にはだしで出たそうです。
夕御飯をあるもので間に合わせて作り、仕事に出かけたんですね、私。
国道に出たら信号がついてないんです。
でも何とか行ったんですが、どうしても横断できない道路があり、左折して、次を右折して
裏道を行ったら初めて通る道なのに、何とか着いたんです。
でも仕事先のお宅に行ったらケアマネージャーさんが地震の時にちょうどいて、
避難所に利用者さんを連れて行ったあとで、張り紙がしてありましたが、
そこへケアマネさんちょうど毛布を取りに戻ってきて、
「中を見ますか?」と言われ、「はい見たいです」って答えて見せて貰ったんですが、
もうそこはパソコンは倒れ、台所の大きな食器棚は倒れ、物が散乱してて足の踏みがもないほどでした。
その様子を知らせに会社に向かったんですけど(携帯が通じないから)
家々のブロック塀が揺れてるんですよ、道路に倒れてきたら大変です、車にあたっても。
ブロック塀は倒れていましたし、屋根瓦も随分落ちていました。
会社に行ったら社長に「よく来た事~」って言われたんですよ。
で、その言葉で我に返ったというか、自分の家が心配になったんですね、また無事家に帰れるかとも。
そして次に家を建てたばかりの次男の事も。
仕事に行かなくちゃという使命感で他は何も考えられなかったのに、
落ち着いて考えたら色々気になって来るもんですね。
電気が通じないという事はテレビも見れないので、全国の方々の方が
テレビでこの惨状をいち早く知ってた訳で、私の事を心配して戴いてたのも知らなかったんです。
メールも通じないし、でも義妹に家にお風呂を戴きに行ったときに、メールが見れて
アメリカン・ブルーさんからのメールを見る事が出来て、携帯で、ブログを書いたんですよね。
次の日、公衆電話からブロ友のとん子さんに電話をして、無事をお知らせして、
それでとん子さんが私のコメント欄にお知らせしてくれたんですよね。
あの時は本当にご心配をおかけしました、とん子さん有難う。
今こうして無事でいれて本当に良かったと思います。
あの日の行動は訳が解りませんが、今も心に深く残っています。
津波が来たなんて全然知らずにいたんです。
義弟たちが無くなってた事も。
3日してから初めて知り、甥が怪我したことや保健センターで子供たち3人片寄せてた事も。
今は就職も決まり、末っ子も専門学校に入学も決まり、落ち着いて来ています。
みなさんのおかげで何とか私達も落ち着いて来ています。
でもあの時の教訓を忘れずにこれからも生活していきますね。
今日は長々と最後まで読んでくださり有難うございます。