朝早く起きられたら、 とりあえず蛇口をひねってしばらく流す。 長い間の習慣だからそうしてしまう。 その水はボールにためて庭の緑に遣る。 その後、やかんにお湯を沸かし麦茶をつくる。 あとから起きてくる家族のためにお湯をポットにつめる。 この一連の動作をしていると、 正しい時間に正しい場所にいるなぁと感じることがある。 夏の夕餉を薄明りの中で支度する時も同じ思いになる。 夏野菜たちを洗いながらだんだん暮れていく台所が、 私にとっての正しい場所と時間のように思う。