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阪神タイガース日本一も監督に抜かりなし

2023-11-23 06:19:00 | 日記
去る11月5日、阪神タイガースはオリックスバファローズとの日本シリーズで勝利し、日本一に輝いた。

実に1985年に西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)をやぶって以来38年ぶり二度目である。

あの頃は打線の力、特に一塁手のランディ・バース(1954-)の力によるところが大きかった。

今年は目立った選手はいないものの、トータルで勝って日本一になった。

オリックス側も外野手の杉本裕太郎が足首野靱帯を故障を押して出場も力及ばすその後に手術するほどであったり、万全ではなかったのは割り引く。

しかしメジャーに挑戦する山本由伸は一戦目こそKOされたものの六戦目で意地の完投勝利でその力を見せつけた。

随所に「流石は三度優勝、昨年日本一の実力は伊達ではないな」と言う面を見せた。

紅林は攻守に魅せたし、宗も当初は不調もその後調子を上げて流石のところを魅せた。

まあ、阪神はと言えばやはり近本光司や中野拓夢の一二番、三番の新人森下翔太、なんだかんだで四番の存在感を見せている大山悠輔
あとは恐怖の8番打者木浪聖也か。

投手では、今年ブレイクした村上頌樹、現役ドラフトで加入した大竹耕太郎、三戦目に先発で降板したが七戦目でロングリリーフして汚名返上した伊藤将司、今年は不調も最後は良いところを見せた青柳晃洋、そして才木浩人か。

リリーフでは桐敷拓馬の働きや、石井大智、
島本浩也、まさかの復帰をした湯浅京己、
そして岩崎優であろう。

38年前とは違い圧倒的な力のある選手が居たわけではないが、結果は日本一に輝いた。

やはり現在の野球スタイルに合わせた監督岡田彰布の功績が大きい。

『基本は守りやから』が持論である。

これを最下位に沈んだ中日ドラゴンズ監督の立浪和義に学んでほしい。

いつまでも昭和式、PL式では選手はついては行かない。
まあ、指導者の経験もなく、いきなり監督をやらせて今の時代や広いバンテリンドームに合わせた野球をしてないのが間違いの原因ではあるが、米騒動と言い、私語厳禁とか水分補給禁止とか「昭和か!」と言う36年前のような指導では選手はついては行かない。

まあ、悪い例をちょっと出してみたがそう言うことである。

まあ、秋季キャンプでは若手主体で行い、「底上げがなかったらあかん!昨年までの顔触れでは進歩がない」と競争原理を敢えて煽っている。

これは監督自らが歩んだ暗黒時代への悪夢を繰り返すまじと言うことであろう。

思えば日本一を達成した翌年はストライクゾーンが低めを取るようになったり、近藤貞雄監督(1925-2006)率いる横浜大洋(現横浜DeNA)に執拗にマークされ、かなりの負けを喰らわられたのもある。

しかしこのシーズンの悲劇はナゴヤ球場での中日戦で、斎藤学から掛布雅之が手首に死球を受けて診断の結果骨折が判明し、以降も怪我に泣かされ成績を落としたこと、その代わりになる三塁手の育成を怠っていたことなどがあり、苦戦を強いられることになった。
(バースだけは別格で打ちまくっていたが)

主戦投手も精彩を欠き、日本一胴上げ投手だったリッチ・ゲイルが不調だったり、人気があった池田親興も対読売戦でベースカバーに入る際に松本匡史に足を踏まれて踵を骨折し、その後も肘痛に悩まされたり、昨年リリーフエースだった中西清起がパターンが見破られたのか精彩を欠いた成績に終わった。

まあ、投手にも突き上げがなかったのもある
マイクこと仲田幸司はそこそこ頑張ってはいたが、嶋田章弘はなあ…肩を傷めてしまい翌年からずっとそれが続いてしまった。

今を思えばアーム式投法で破綻が来る投げ方だったのは否めない。

二軍は優勝はしたものの、活躍したのは二軍では活躍できても一軍では厳しい面々で成し得たものだった。

85年ドラフトで清原和博を外したのがデカいとも言えるドラフトでは5人しか指名しなかった。

これも油断をしていたと言える、詳しくは書かない。まあ、敢えて言えば一位の遠山奨志(当時は昭治)が一年目一軍で8勝挙げたことか
スピードはさほどではなかったがナチュラルカットする球が打ちづらかったと思われる。

そのまま伸ばせば良かったのに何故かアメリカ留学させて肩痛になってしまってからは精彩を欠いて5年プレイ後ロッテに放出され一時は野手転向もテストでまた阪神に戻り、
野村克也監督の下でサイドスローに転向し、松井秀喜キラーとして活躍したのは後の話である。

後はビジョンブレブレの指名だったなぁ、一時期活躍した外野手中野佐資、三位は遠山と同じ左腕投手の服部、四位が池田高校の外野手宮内仁一、一時期は活躍はしたが。五位は守備だけの捕手吉田康夫である。

トレードの補強は日本ハムから柏原純一のみであった。

まあ、三位だから順位は下げたが悪くはないと当時は思っていた。

しかし、暗黒の地獄は翌年から待ち受けていた。

何故かまだ伸び代がある外野手吉竹春樹や売り出し株になりかけた左腕投手前田耕司などを西武に放出し、明らかに盛りを過ぎた外野手田尾安志を獲得した。

首脳陣やフロントは中日時代の田尾をイメージして獲得したのだろうが、西武移籍後の田尾は慣れないリーグで打撃を落としピークも過ぎてしまった。

まさにバカなトレードの典型であり、星野仙一を監督に迎えた中日ドラゴンズが、敢えて牛島、平沼、上川をロッテに放出し、ロッテの顔だった三冠王落合博満(1953-)を獲得したのとは対照的である。

まあ、そんなこんなで挑んだ1987年は成績は上がらないわ、首脳陣はトラブル起こして途中で辞めるコーチが出るわで地獄みたいなシーズンであった。

全ては次世代選手育成を怠ったツケである。
まあ、獲得した選手にも問題があり過ぎたが。

以降、2002年に星野仙一監督になり意識が変わり翌年大胆な血の入れ替えで優勝したのは歴史が証明している。

バカなフロントやスカウトはほぼ粛正された。

現在はあんなポンカスなことはやってはいない。

でないと優勝、日本一になってない。まあ、岡田彰布監督までに金本知憲や矢野燿大が監督を務めて戦力をある程度揃えたのもある。

要は使い方だったのだ。

更に来年はこれに驕らず「更なる上乗せをする」と言うのだから岡田監督には『ノーモア暗黒』と言うのが伝わってくる。

まあ、あんな辛い想いはもうしたくないからなあ。

まあ、今回は野球オンリーだが久しぶりに纏めてみたのでヒラにご容赦頂きたい!

では『ゆっくりしていってね』







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