山の案内 歩き日記 今日の猫たち |
◆オールナイトニッポン(サブタイトル:ビバヤング) 知人から、オールナイトニッポンが”Youtube”で聞けるよと、教えられたので、早速、聞いてみた。懐かしさに、ちょっと、センチな気分になった。 オールナイトニッポンは、1967年(昭和42年)10月に開始された、ニッポン放送の深夜番組(1時~5時)で、現在まで続いている、長寿番組である。※今は、オールナイトニッポンを、聞いてないので、放送時間不明。 その当時、オールナイトニッポンを聞くことが、ひとつのステータスで、真空管ラジオ”に、かじりついて、いたことを思い出す。オールナイトニッポンのDJといえば、「ゴーゴーゴー・アンド・ゴーズ・オン(Go Go Go And Go's On)」の糸居五郎さんだ。彼の洗練された、軽妙な語り、都会的センスの語りが、格好良く、田舎少年の憧れの的であった。 Youtube:オールナイトニッポンテーマ曲 |
◆糸居五郎(1921年1月17日~1984年12月28日、63歳没) 1941年5月元満洲電信電話株式会社新京中央放送局で終戦、輸入食料品店ひつじ屋を経営(進駐軍の横流しで儲ける)、1951年京都放送(KBS京都)に入社、1954年日本深夜放送(後にニッポン放送に吸収合併)に入社し、「深夜のDJ」という番組を担当する。 1959年10月から「オールナイトニッポン」の前身、「オールナイトジョッキー」を担当。「オールナイトジョッキー」で、ビートルズデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」を日本で最初に、オンエアする。 19677年10月、「オールナイトニッポン」がスタートし、月曜日を担当。音楽はDJがかけるもの、との、信念に基づき、リクエストに一切、答えず、レコードやコンソールにも、触らせなかったことから、最初で最後の職人DJと、言われた。 また、深夜放送の全盛期のころ、リスナーからの意見、投書の紹介が、番組の主力であった時代も、彼は、それを極力行わず、音楽紹介こそが、ディスクジョッキーの仕事という精神を貫いたが・・・・・・・時が流れ、リスナーからの意見、投書、リクエストを取り上げるようになる。 1972年9月、、オールナイトニッポンを降板。1975年1月、フアンの強い要望で復帰。音楽番組や評論活動を続けていたが、1984年12月、食道がんにより死去。享年63。命日の12月28日は「ディスクジョッキーの日」に制定。 Youtube:オールナイトニッポン・糸居五郎DJ ★受賞歴 1974年 8月:第1回国際最優秀エア・パーソナリティ賞(ビルボード誌主催) 1976年 6月:ゴールデンマイク賞(ニッポン放送主催) ★海外での活動 1969年 6月:ニューヨークで開催された「第2回全米DJ会議(ビルボード誌招待)」に出席。 1971年 8月:取材で、オランダの海賊放送船「メボII世号」に乗船、DJも行い、日本のロックを流す。 1978年12月:ロンドンで開催された「世界ディスコダンス優勝決定戦」に審査員として出席。 1981年 2月:WBNX局の番組「糸居五郎の [ニューヨーク・トーキョー・ウィークリー」 のDJを務める。 ★ウィキペディア オールナイトニニッポン 糸居五郎 |
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