山の案内 歩き日記 都城用水路物語 | |
現在、私は前田用水路物語を編集中です。先生は郷土史家○○先生であります。○○先生は郷土の偉人坂元源兵衛翁の子孫です。今日、先生宅に原稿を持って伺いました。 先生から「三介絵日記があったど」とテーブルの上に「ホィ」と置かれました。絵日記の存在を知っていた私は、現物を見て感動しました。見たかった絵日記ですので興奮しながらページをめくりました。 ページをめくりまたまたまた感動、その絵のひとつひとつに三介翁の精細で優しい心がつたわる絵で、なぜか心惹かれます。三介翁は男爵前田正名翁の3男です。正名翁は前田用水路を造った人です。 この時、前田一歩園疎水本部事務所が庄内に設置されました。絵日記は、事務所が昭和40年代、その任を終え、取り壊しの時、出てきた行李の中から見つかりました。ほんとに貴重な資料と思います。 前田用水路物語編集では、いままでなかった資料が沢山見つかり、今、明らかになる真実・・・・ちょっと大げさかな、でも自分なりの満足できる編集ができたと思います。 近々、山の案内「都城用水路物語」で公開する予定です。 レット「いつ公開するのwon」「・・・・・」「あてにしないで待ってねwon」(^_^;) 崎田(右)盛田分水口 昭和3年12月19日 庄内一歩園の広老 昭和3年12月21日 昭和4年元旦 「田家の春」 三介 (一)霜○くも 麥の若芽は萌え出でぬ 春の陽に迎う 生命(いのち)の姿 (二)鄙の春 田家の庭に学生の 帰りて悦ぶ 聖代(みよ)や芽出度し (三)廻り會ふ昭和四年の初春を 芽出度く迎ふ 庄内の里 昭和3年を送る 大晦日夜(庄内) 庄内迎年 昭和4年元旦 |
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