諸般の事情により(って、いろいろと事情が多すぎる人生のような気がするが)、昨日は銭湯に行ってきた。下町のこの辺では一戸建ての家でも風呂がないなんていうのは当たり前で、今でも手拭いをぶら下げて歩いている近所の人を見かけるのはごく日常の景色である。かくいう我が家でも私が大学に入る頃までは家に風呂がなかったので、子供の頃は銭湯に通っていた。お風呂に入るだけのことではあるが、時々なんだか背中一面に絵を描いてある人や女の子みたいなピンクのパンツを履いているお客さんなんかがいたりした。何年も経ってから、それが刺青をしたやくざ屋さんだったり、おかまさんと言われる人たちであることを知ることになるのだから、あれもまあ一種の社会勉強だったかもしれない。
ともあれ、かなり久しぶりに家から200mほどのところにある銭湯へと出かけた。手桶にタオル、シャンプー、石鹸、剃刀を入れ、首にバスタオルをひっかける。そのスタイル自体は30年前とまったく変わらない。久しぶりとはいえ手慣れたものである。ただ、いったい入浴料がいくらなのかが分からない。銭湯のおやじさんは子供の頃から知っているし、今でも時々すれ違う時には挨拶くらいはする仲だから、足りなければ貸してくれるとは思うけれど、それはそれで恥ずかしい。小銭入れを見たらなんだかんだと千円くらいはありそうなので、まさか足りなくなることもないだろうと思って出発。
感傷に浸る暇もなく到着してしまうのだが、下駄箱の前でちょっとだけ悩む。そう、何番の札にするかというのは、いつまでたってもこだわりがあるのだ。レッズ山田暢久の6番しようかとも思ったのだが、やっぱり銭湯と言えばプロ野球である。ここはオールドファンとして、阪神タイガース往年の名左腕江夏豊の背番号ということで18番を選択。今や近代的にカウンター方式になっている番台で430円を払って脱衣所へと向かったのである。ロッカーは6番を選択して、服を脱ぎながら風呂場をのぞくと2~3人しか入っていない。カランの争奪戦もなく、いつものカラスの行水とは違ってのんびりと長風呂を楽しんだのである。
かぐや姫の神田川ではないけれど、そういえば昔ちょっとだけ付き合っていた子が風呂なしのアパートに住んでいて、時々一緒に銭湯に行ったことがあったなんてことを、帰り道で思い出した。デートの帰りに銭湯が閉まっちゃうから早く帰るなんて言われたこともあったっけ。もうほとんど忘れていたけれど、これからもたまに銭湯にいくたびに、そんなことを思い出すかもしれない。
それにしても、昔は何軒もあった銭湯も近くにはもう一つしか残っていない。思い出は消えないだろうけれど、思い出すきっかけはなくすかもしれない。ノスタルジーってのはそういうものなのかなと思うと、ちょっと寒さが増したような気がした。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」っていう有名な句があるけれど、春一番が吹き荒れる中、昨日の私は「吹く風や昭和は遠くなりにけり」であったのである。
ともあれ、かなり久しぶりに家から200mほどのところにある銭湯へと出かけた。手桶にタオル、シャンプー、石鹸、剃刀を入れ、首にバスタオルをひっかける。そのスタイル自体は30年前とまったく変わらない。久しぶりとはいえ手慣れたものである。ただ、いったい入浴料がいくらなのかが分からない。銭湯のおやじさんは子供の頃から知っているし、今でも時々すれ違う時には挨拶くらいはする仲だから、足りなければ貸してくれるとは思うけれど、それはそれで恥ずかしい。小銭入れを見たらなんだかんだと千円くらいはありそうなので、まさか足りなくなることもないだろうと思って出発。
感傷に浸る暇もなく到着してしまうのだが、下駄箱の前でちょっとだけ悩む。そう、何番の札にするかというのは、いつまでたってもこだわりがあるのだ。レッズ山田暢久の6番しようかとも思ったのだが、やっぱり銭湯と言えばプロ野球である。ここはオールドファンとして、阪神タイガース往年の名左腕江夏豊の背番号ということで18番を選択。今や近代的にカウンター方式になっている番台で430円を払って脱衣所へと向かったのである。ロッカーは6番を選択して、服を脱ぎながら風呂場をのぞくと2~3人しか入っていない。カランの争奪戦もなく、いつものカラスの行水とは違ってのんびりと長風呂を楽しんだのである。
かぐや姫の神田川ではないけれど、そういえば昔ちょっとだけ付き合っていた子が風呂なしのアパートに住んでいて、時々一緒に銭湯に行ったことがあったなんてことを、帰り道で思い出した。デートの帰りに銭湯が閉まっちゃうから早く帰るなんて言われたこともあったっけ。もうほとんど忘れていたけれど、これからもたまに銭湯にいくたびに、そんなことを思い出すかもしれない。
それにしても、昔は何軒もあった銭湯も近くにはもう一つしか残っていない。思い出は消えないだろうけれど、思い出すきっかけはなくすかもしれない。ノスタルジーってのはそういうものなのかなと思うと、ちょっと寒さが増したような気がした。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」っていう有名な句があるけれど、春一番が吹き荒れる中、昨日の私は「吹く風や昭和は遠くなりにけり」であったのである。
地方は東京と違って、昔ながらの銭湯はほぼ全滅していますが、俗に言うスーパー銭湯なるものが出没してお年寄りの社交場のようになっています。
出身の群馬県は山沿いに温泉地も多く、町営の共同浴場が今でもひっそりと開いています。
情緒はそんなところに残っています。
さて、風呂に入ろうかな・・・
町営の共同浴場かあ。なんだかいいなあ。
湯けむりと古びた木の壁が目に浮かびますねえ。
温泉行きたくなっちゃいました。