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10月4日の相場と禅語「しかん-たざ 只管打坐」
日経株価は連日下げを記録し、私の保有株もこれまで最長だった6日連読下落の記録を破り、7日目に突入しました。
わずか一週間で4000円も下落した持ち株もあります。
相場を学ぶ時に、必要な格言は様々ありますが、本日は禅語「只管打坐」について考えます。
曹洞宗の開祖、道元の著書『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』には、「仏道を学ぶとは、自己を学ぶことです。自己を学ぶとは、自己を○○○ことです」と書かれています。
○○○に入る言葉はわかりますか?
「只管打坐」の説明として書かれたものにこうあります。
『毎朝仏壇を前にして、体を真っ直ぐにして、線香を真っ直ぐに立てて、自分の鼻筋と線香とご本尊さまの鼻筋が真っ直ぐになるように坐る。そして、真っ直ぐになった心と体とを活かすこと。毎朝3分でも5分でもよい、仏壇に向かって実行してください。』と永平寺の宮崎禅師さまが、平易におっしゃっています。坐禅とは、「只管打坐(しかんたざ)」であります。「ただ ひたすらに坐る」という意味です。「それに成りきること」であり、坐禅は、坐ることに成りきることであります。体と心が一つになるということです』。
背筋を伸ばし体が真っ直ぐになれば、心が真っ直ぐになる。心が真っ直ぐになれば、思うことが真っ直ぐになる。「形は心をつくる」ということです。
「只管打坐」とは辞典によると、余念を交えず、ただひたすら座禅することとあります。▽仏教、特に禅宗の語。「只管」はひたすら、ただ一筋に一つのことに専念すること。「打坐」は座ること、座禅をすること。「打」は助字。「只」は「祇」とも書く。
「只管打坐」は曹洞宗の道元が説いた、ただひたすら座り続ける坐禅修行のやり方です。「心身脱落」の境地を目指します。
「心身脱落」の境地こそが、○○○に入る言葉です。
アメリカから広まった「マインドフルネス瞑想」は、仏教の思想を取り入れたもので、そのやり方は坐禅と同じであるといえます。「只管打坐」との大きな違いは、マインドフルネスには宗教性がないことです。
もう一つの違いとして、只管打坐はその目的に実利を求めませんが、マインドフルネス瞑想には実利を得たいという目的があるということです。例えば、瞑想をしてリフレッシュしたい、心の安定を得たい、それによって心身ともに健康になりたい、といった目的が存在します。
言い換えれば、マインドフルネス瞑想とは、仏教の思想を身心の健康に役立てるための手法としてとりいれたものだといえます。
どちらも「よりよく生きるためのトレーニング」です。
集中して瞑想や坐禅を行うことで雑念が取り除かれ、心が落ち着いたり、リラックスするという、得られる効果については同様です。
さらに瞑想や坐禅は、脳が活性化し、創造性が発揮されるともいわれています。どちらもよりよく生きるための、トレーニングであるといえるでしょう。
つまり、マインドフルネス瞑想も究極は、◯◯◯
自分を『忘れる』ことが重要なのでしょう。
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