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まくらが歌謡楽団のブログです♪

1週間…

2020-04-06 17:57:52 | 日記
皆様、お久しぶりです!
1週間前が、ずいぶん昔のように思う今日このごろですが、皆様お元気でいらっしゃいますか?
昨日、開催予定だった会は、結局、来年に延期となりました。やはり、今は開催するリスク、開催しないリスク、両方ともリスクなしには行えませんが、「もしも~」の事を考えたら、延期するしか方法はありませんでした。
今月の歌声広場もなくなりましたが、市内の多目的ホール、図書館が開かない限り、中止が続くように思います。こんな状況は、誰をも想定外の事態だと思います。
明日は、緊急事態宣言が出るのでしょうか…私は、もちろんコロナの感染拡大も恐ろしいですが、このような事柄から想像されるのは、映画等で観たことのある戦時中の姿。緊急だからこそ、戦後、75年の今、日本にとって大切なものは何か、どのような状況下にあっても、独裁ではない、民主主義の上に立つ、そして弱いものを見放すことのない政治を願うばかりです。
なんて~暗い毎日ですが、こんな時こそ、音楽ですね!
音楽は、人の心を癒してくれます。そして、歌は元気を栄養分として活性化してくれます。
さぁ、こんな時に歌いたい歌は~~~~~~~~~~

ウィキペディアによると~
サトウハチローがこの詞を作ったのは戦時中であったが、「戦時下に軟弱すぎる」という理由で検閲不許可とされ、戦争終了後に日の目を見た。というのがこれまでの定説化した話であったが、出版文化研究家の永嶺重敏が当時の文献を調査した結果、1946年の雑誌記事でサトウハチローが「映画の脚本を読んでから詞を書いた」と記述していること、さらに佐々木康監督も晩年に「映画の脚本をサトウに持たせて詞を書かせた」と発言していることから、詞を作ったのは戦後であると結論づけている。曲は映画の撮影が始まっても完成せず、作曲者の万城目正は秋田県のロケ先へ向かう汽車の中で曲を書いたと回想している。
可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、終戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦の暗い世相に打ちひしがれた人々に明るくさわやかな歌声がしみわたり、空前の大ヒットとなった。2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出されている。
「リンゴの唄」吹き込みの際、作曲者の万城目正は度々ダメを出し、「もっと明るく歌うように」と指示した。しかし、この注文は当時の並木には酷で、並木は戦争で父親と次兄、3月10日の東京大空襲で母を亡くしていたため、とてもそんな気分にはなれなかったのである。その事を聞いた万城目は、「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれたという。 
短調で暗いメロディなのに何か元気になりたい時に口ずさんでしまうのは、意味があったのですね。
皆様も、ふじりんご片手に大きな声で歌ってみましょう