makuragakayogakudan

まくらが歌謡楽団のブログです♪

シャボンだま

2020-05-19 17:05:35 | 音楽 
皆様、お元気ですか?

ようやく茨城も緊急事態宣言が解除になり、ほんの少しだけほっとしています。が、まだ気の緩みから思わぬ感染拡大にもつながりかねないので、気を付けながら~ですね!
さぁ、そんな時は、お家で元気いっぱい、歌いましょう~♪

さて、今日の歌は「しゃぼんだま」です。

ウィキペディアによると~

「シャボン玉」(しゃぼんだま)は、野口雨情作詞・中山晋平作曲の日本の童謡である。 童謡としては1923年(大正12年)に中山晋平の譜面集「童謡小曲」に発表されたが、 詩自体が最初に発表されたのは1922年(大正11年)のことである。 仏教児童雑誌『金の塔』にて発表。 
歌詞にはシャボン玉で子どもが遊んでいる様子が描かれているが、これに夭逝した子供への鎮魂の意を見出す説もある。
1908年、雨情は後に協議離婚に至った妻のひろとの間に、長女「みどり」をもうけた。人形のように愛らしい赤ん坊であったが、産まれて7日目に死んでしまった。当時は、乳幼児が死ぬのはさほど珍しいことではなく、2~3割の子供が学齢前に死亡していた。そのため、夫婦は子供を何人も産み、一所懸命育てた。雨情もその後何人かの子供を授かっているが、長女の死を後々まで悔やんでいたという。雨情は後に生まれた娘・恒子も亡くしている。当時、2歳。1924年(大正13年)9月のことである。
そしてある日、村(茨城県多賀郡磯原村)の少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、娘が生きていれば今頃はこの子たちと一緒に遊んでいただろうと思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だというのが最もよく知られる説である。しかし、これを裏付けるような決定的事実は無く、説の段階を越えていないとも言われている…

では、第4回目になりました😀 
櫻ミサの「歌声広場」へどうぞいらっしゃいませ☆


動画のご感想、ご意見、リクエストなど、何でもかまいません。
ぜひ、コメントをよろしくお願いいたします😆 




童謡「ぞうさん」

2020-05-11 16:44:06 | 音楽 
皆様、こんにちは!お元気ですか?
自粛で巣ごもりしているうちに、今日の気温は春を飛び越えて初夏のような暖かさ…
コロナもそろそろ収束の兆しが見えそうな…期待してしまう今日この頃です😄 

さて、YouTubeアップを始めてから、小さい方も一緒に歌っていらっしゃるということで、今日は「ぞうさん」を選んでみました。
この曲は、子供の頃に一度は歌われた方も多いのではないかな?と思いますが、まずは、ウィキペディアより曲の紹介です♪

ぞうさん まど・みちお作詞/團伊玖磨作曲
(ウィキペディアによると~)
1951年に酒田冨治の依頼により書かれたもので、1952年に酒田冨治により2拍子の曲が付けられた。その翌年1953年、曲を聴いた佐藤義美が曲を気に入らず、團伊玖磨に再度曲をつけさせたものがNHKラジオの『うたのおばさん』で放送された。その歌詞は自らのもつ差異を肯定し、誇りとするものとされている。『まど・みちお「ぞうさん」の詩人』(河出書房新社)によれば、子ゾウが悪口を言われた時の歌である、と。他の動物から見たら、鼻が長い君はおかしい。しかし、子どものゾウは、しょげたり怒り返したりせず、「大好きなお母さんも長いのよ」と朗らかに切り返し、それを誇りにしている歌だという。 

ちなみに、まどみちおさんの略歴は…
まど・みちお(1909年11月16日 - 2014年2月28日)は、日本の詩人。本名は石田 道雄(いしだ みちお)。25歳のときに北原白秋にその才能を認められ、33歳のときには太平洋戦争に召集された。詩作りは20代から始め、以来生涯にわたって詩を作り続けた。創作意欲の源は、政治・行政・教育・経済・戦争などに対する不満である。「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」などの、そのおおらかでユーモラスな作品は童謡としても親しまれている。表現の前に存在があるという意味で「存在の詩人」とも称された。

なるほど…「ぞうさん」の歌詞が生まれた経緯を初めて知りました。
それでは、一緒に歌いましょう♪♪♪





こいのぼり

2020-05-01 17:19:07 | 音楽 
みなさま、こんにちは♪
まだまだ自粛生活は続きそうですが、お元気でお過ごしですか?
前回は私、初めてのYouTubeアップで、たくさんのご感想をいただき、とても嬉しく思いました。まだ、録画も編集も行き当たりばったり!ですが、今回もどうぞよろしくお願いいたします😀 
もうすぐ子供の日。「こいのぼり」を一緒に歌いましょう!

こいのぼり ~ウィキペディアより~
童謡、唱歌。作詞は近藤宮子、作曲は不明。1993年までは近藤は作詞者として認められなかったため、近藤が1999年まで存命だったにもかかわらず歌詞の著作権は既に消滅している。
1931年(昭和6年)12月に刊行された『エホンショウカ ハルノマキ』が初出。 
この歌詞では真鯉を父親、緋鯉を子どもとしている。鯉のぼりは明治時代後半から大正時代にかけて真鯉(黒い鯉)と緋鯉(赤い鯉)の二匹を一対であげるようになったが、武家発祥の行事であったこともあり真鯉と緋鯉は父と子(男児)を表していたとされる。第二次大戦後、昭和30年代後半には小さい青鯉が加えられるようになり、家族観の変化なども相まって鯉のぼりの構成は緋鯉(赤い鯉)が母親、青鯉が子どもと再定義されるようになった。

では、早速…
第2回目 櫻ミサ「歌声広場」へようこそ!
最初は、変なカエルのぴょん太が出てきますよ~続いて、歌のウォーミングアップに軽い体操、そして「こいのぼり」の歌になります♪


試行錯誤の中、まぐれ的にできた編集が2回目は同じように行かないという適当な雰囲気で、申し訳ありません!
では、また、皆様からのご感想、ご意見を楽しみにお待ちしております♪