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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

ネイビー・シールズ最強の狙撃手

2020年11月16日 18時51分48秒 | 読書・文学


イラク戦争で150人以上を狙撃、ネイビー・シールズ史上No.1といわれ、「悪魔」とも呼ばれたイラク戦争伝説の英雄クリス・カイル。彼にしか語ることのできない、戦争の壮絶な目撃証言。

イラクの反政府武装勢力は、カイルを恐れるあまり彼を「悪魔」と呼んで、その首に賞金をかけた。屋根の上や隠れ場所から、おそろしいほどの正確さで仲間を守ったカイルは、シールズ、海兵隊、陸軍の兵から、後世に語り継がれるほどの信望を集めた。スリル満載のこの物語は、ただひとりの男にしか語ることのできない、戦争の壮絶な目撃証言である。

米国海軍のエリートであるシールズのメンバーとして、9.11以後の米軍のイラクでの活動において、多くの反乱兵を射殺し、数度の勲章に輝いた著者によるイラク戦争最前線の回顧録。イラク戦争での作戦の実情と、米国内での訓練の内容などを詳述。 極限を生きた一人の兵士の迫真のドキュメント!

照準のなかの邪悪
じゃじゃ馬馴らしとばか騒ぎ
身震い
拿捕
あと五分の命
狙撃手
死をもたらす
危険のなかで
家庭内紛争
罰を与える者〔ほか〕

私が手にしていたライフルは300ウィンマグ。
ボトルアクション式の精度の高い狙撃兵器。

もっとも悪名高いのが「地獄の習慣(ヘル・ウィーク)」で、132時間休むことなく運動と身体活動を続ける。
シールズの原型は海軍の水中破壊工作部隊、UDTにある。
吸着機雷の設置

戦争が始まったときの交戦規定はきわめてシンプルだった。
およそ16歳から65歳までの男なら撃て。
男を見かけたら全員射殺。

きわめつけは、イラク軍が戦争直前にスカッドミサイルを発射していたことだった。ほとんどがパトリオットミサイルが
迎撃したが、一発だけが着弾した。それがスターバックスを直撃した。コーヒーショップを攻撃するなんて卑劣だ。スターバックスが攻撃されてようやくブッシュ大統領が宣戦布告したというのがもっぱらのジョークだった。

別の場所では、生物化学兵器への使用を目的とした化学物質が入った容器をいくつも発見した。
サダムは多数の飛行機を砂漠に埋めていたのである。

ストーキングとは敵に見られずにひそかに位置につくことを意味する。
これが実際にやってみると口で言うより難しい。
ギリースーツ

全員がポーランド製のウォッカを持っていたが、とくにズブロッカという名前のものを好んでいた。
ボトルには必ず「バッファローグラス」という牧草が一本入っていて、その牧草はみなポーランドにある同じ牧草からきている。
ロシア人はウォッカのなんたるものかわかっていない、ポーランド人のほうがいいものを作る、という彼らの主張を確かに裏付けていた。

けれども1900mはさすがに遠くて、スコープのダイヤルで調整することもできなかった。
わたしは撃った。
月と地球と星々が一直線に並んだ。
神が弾丸に息を吹き込み、まぬけ野郎の腹を撃ち抜いた。
それがイラクで確認された最長距離射殺記録のひとつということになった。

私のほとんどの射殺記録は市街地で、そういった場所では200~400mくらいの距離でしか撃たない。
郊外に出ると状況は変わる。郊外での射撃は700~1000mくらいの距離で行われる。
338のような長距離射程の銃が役に立つのはそんなときだ。
以前だれかに好みの距離はあるかと聞かれたことがある。
答えは簡単だ。近ければ近いほぼいい。
狙撃手についてよく誤解されているのはもうひとつ、いつも頭を狙うと思われていることだ。
必ず命中すると確信できるとき以外、頭を的にすることはほとんどない。
むしろ胴体、つまり体の真ん中に合わせて撃つ。
そのほうが当たる範囲に余裕ができる。そしてどこに命中しても敵は必ず倒れる。

厳密に言えばカール・グスタフは装甲を破るために開発されたのだが、建造物に対してもなかなか有効だった。
強化コンクリートを突き抜けてなかにいる者を誰でも倒した。
そして爆発時に爆風圧でなかにあるものを徹底して破壊した。
反政府軍武装勢力はたいてい盛り土などの障壁の向こう側でしっかりと守られている。その場合は空中で爆発する弾丸を使って彼らの頭上で爆発させる。空中爆発は地上で爆発するどんな弾よりたちが悪い

私たちが多用したのは40ミリグレネードランチャーだ。これは2タイプある。
標準のグレネードは「破片」、つまり爆発時に破片をあたりに撒き散らすものだ。効果実証済みの対人兵器である。
このときの実践配備では、サーモバリック爆薬を用いた新しいタイプの弾丸を受け取っていた。
その破壊力はすさまじい。激しい爆発、火災、そして敵の全滅。もうたまらない。

暖かい砂漠ではイラク人の家族がよく外で眠っていた。

基地から会話はすべて録音されていた。
キーワードを聞き取るソフトウェアがあって、一定量を超えると会話が中断される。
あるとき誰かが作戦について口をすべらせたせいで、私たち全員が1週間も任務中断を命じられた。
彼はおそろくし恥をかいた。
そして私たちは彼をとっちめて、しかるべく後悔させてやった。

ちなみに、射殺記録というものにはちゃんと証人がいて、敵が死亡したと確認されたものだけがカウントされる。
したがって私が誰かの腹を撃ったけれども、そいつがなんとか這って逃げて、どこか見えないところで出血多量で死んだとしても、それは数えない。

ラマディではアメリカ人は全員おたずね者だった。なかでも狙撃手はとくに。
聞くところによると、武装勢力は私の首に賞金をかけていたらしい。
ご丁寧に名前までつけていた。「ラマディの悪魔」である。誇らしげな気分だった。
かれらは私の死を願っていた。栄光に感じないわけにはいかない。
腕に赤い十字の入れ墨があると詳しく書いてあった。
戦いが長くなるほどに賞金の額は上がった。
いやもう、あまりにも高くなったので、妻が私を差し出そうとするのではないかと思ったほどだった。


だがもちろんいじめは必須だ。かわいそうな一人目は、頭と眉を剃られたあとに、刈り取った髪を糊で顔に貼られた。

私たちめがけて撃っていた人間はAKよりも重装備だった。
弾が家の壁を突き抜けて飛んできたところをみると、ひょっとするとドラグノフ(ロシア製スナイパーライフル)かもしれない。
不意にアパッチ攻撃ヘリコプターが近づいてくる音が響いた。ゆっくり旋回してから前方に傾いて連携攻撃をする急降下の姿勢に入った。こちらに向かって。
VSパネルを出せ!」とだれかが叫んだ。
大急ぎで手持ちのVSパネルを全部出して、操縦士に我々が味方であることを示した。
(VSパネルは鮮やかなオレンジ色の布で、友軍が掲げたり広げておいたりする)
幸いなことに、ぎりぎりのところで攻撃を打ち切った。

このアパッチはとても重宝した。
銃やロケット砲を搭載しているからだけではなく、一帯を偵察する能力を有しているからだ。

弾丸はひとり目の男を突き抜けてふたり目に刺さった。
バイクはぐらぐらとよろめいて塀に突っ込んだ。
一発でふたり。納税者にとってはお得な銃撃だった。


ふらふらと出かけていって公然とイラク人を撃つことなどできるわけがない。
ひとつには周囲には必ずたくさんの目があったから。
ラマディでは誰かを射殺するたびに射手申告書を書かなければならなかったからだ。
これは活動報告書とは別で、個人が実施した射撃と記録した射殺だけに関する報告書だった。
記入する項目は非常に細かい。
私はいつも小さいノートを持ち歩いていて、そこに日時、撃った人物の特徴、その人物の行動、使用した弾丸、発砲回数、標的までの距離、立ち会った人の氏名を記録していた。

ファルージャでは、海兵隊が家屋を制圧していたときに事件がおきた。
ある部隊が家に入り、部屋を制圧するために移動しようとしていくつかの死体を踏み越えた。
あいにく、床にころがっていた野労のひとりは死んでいなかった。
その男はごろりと転がって手榴弾のピンを抜いた。
その爆発によって海兵隊に死傷者が出た。
その後、海兵隊は家屋に突入したときに見つけたすべての人間に一発づつ弾を撃ち込むようになった。

無人航空機プレデター

仕事は同じだが、陸軍とシールズの狙撃手にはいくつかの違いがある。
たとえば、一般に陸軍の狙撃手は観測手を伴っているが私たちにはいない。
武器も彼らのほうが若干短い。
陸軍の狙撃手は3名あゆいは4名のグループで出動するのに慣れていた。
したがってあまり長時間出たままでいることは難しく、一晩中はまず無理だった。
私たちは日暮れ以降に潜入したり脱出したりして、少なくとも一晩、たいていは数日間同じ場所で過ごした。

1900mほども離れていたので、25倍スコープでも輪郭しかわからなかった。
陸軍の車列が近づくと、屋根の上の男が武器を肩にかついだ。
男はロケットランチャーを持ってアメリカ軍を狙っていた。RPGだ。
1900mの距離、プラス若干の調整となれば、男に命中させるためには強運が必要だった。かなりの強運が。
1920m、今でも驚きだ。正真正銘、ラッキーな一発だった。
一発で倒すなどあり得なかった。
車列が反応した。

戦いが進むにつれて、AKやロケット推進グレネードの攻撃を受けるようになった。
引き時だと判断して救出を要請した。
RG33をよこしてくれ!
(RG33は簡易爆弾に耐えられるように設計された巨大な防弾車両で、てっぺんにマシンガンの旋回砲塔がついている)








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