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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

真実の航跡   伊東 潤/著

2020年11月27日 12時37分41秒 | 読書・文学
太平洋戦争中に起きた非道な捕虜殺害事件。戦後、BC級戦犯裁判の弁護人となった鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件が、大日本帝国海軍が抱える闇に気づき…。『小説すばる』連載を加筆し書籍化。 昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈、救助した捕虜を殺害した。敗戦後、「久慈」艦長であった乾と、「久慈」が所属していた第16戦隊の司令官・五十嵐は、戦犯として起訴される。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件が―大日本帝国海軍が―抱える闇に気づいていく。 「船舶の拿捕および情報を得るために必要最低限の捕虜を除く、すべての捕虜を処分すること」 しかし捕虜を連れ帰れば、抗命罪に問われるかもしれないのだ。 遂に敵船はキングストン弁を抜いたらしく、自沈は確実となった。 「Suspect(容疑者)」という青い印鑑が捺されていた。 「海軍のルーツが薩摩にあるからだよ」 問題は薩摩隼人が議論を好まないことだ。薩摩人は、おしゃべりや議論好きを『議者』と呼んで蔑んだという。海軍では寡黙こそ黄金に値するというおかしな文化が生まれたんだ スマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡を通過すると、急に波が高くなり風も強くなってきた。 「だいいち撃沈しておいて、乗っていた敵国人を収容するというのは矛盾しています」 イギリスは、ほかの戦勝国に比べても終戦直後の戦犯容疑者に対する扱いがひどく、シンガポールのチャンギー刑務所では、相次ぐリンチで死者が続出していた。判決の出ていない未決囚でもリンチによって殺すので、「チャンギーの地獄」と呼ばれていた。 「とくにバタビア(現ジャカルタ)に帰った後の話が大切です」 「故郷で腹を切れと言うのか」 「そうです。亡くなった部下たちの墓を回る行脚(あんぎゃ)に出てから、故郷で腹を切った将官もいます」 イギリス軍の戦犯裁判では、少なくとも日本人の誰か一人を処刑にせねばならないという不文律があり、どれほど理不尽な理由であろうと、処刑者を出すことが判事たちの使命になっているという。 だがその挙句、日本は今や危急存亡の秋(とき)を迎えている 「私だって死ぬのが怖い。生きて故郷に帰りたいんだ」 「君を責めているわけではない。私は死への恐怖に打ち震える無様な自分に、嫌気が差しているんだ」 「私は処刑台の階段を上るとき、醜態を晒さないと心に決めていた。だが、いったん希望を持ってしまえば、それが失望に変わったとき、どれほど辛いか。その時、私は死刑台の階段をしっかりした足取りで上がれるだろうか」 しかしそれでも、足が震えて階段を上がれなかった将官がいたと聞いたことがある。 「日本の戦艦の主砲命中率は敵戦艦の三倍、重巡洋艦の場合でも二倍になる。しかも91式徹甲弾と93式魚雷は、米国のものよりはるかに優れているので、島嶼(とうしょ)の多い地域での接近戦になれば圧倒的に優位に立てるというわけだ」 「はい。私は五十嵐さんと一緒に、大海原に刻まれた真実の航跡を追いたいのです」 「真実の航跡か。いい言葉だな」 終戦後、元海軍の上層部と軍令部の幹部たちは戦犯裁判の証人に呼ばれそうな者に接触し、「責任を自分たちに押し付けると、天皇陛下の責任が問われる」ということを盾に、「知らぬ、存ぜぬ」を押し通すよう指示していた。むろん天皇陛下云々というのは建前で、自らの保身に走っているにすぎない。 「運用長が木製の処刑台を作り、内務長が予備の探照灯と懐中電灯多数を用意することになりました」 「一人ずつ捕虜を連れ出します。そのときに間近から探照灯を照射し、捕虜がふらついたところで、柔道を得意とする者が当て身をくらわせて捕虜を気絶させます。その後、2名で手足を持って処刑台まで運びます」 「はい。私の合図によって日本刀が振り下ろされ、捕虜の首が,首が落とされました」 「私だって、そんなことはしたくなかった。だが始めてしまったら、途中でやめることはできません。とくかく一刻も早く終わらせることだけを考えていました」 「では、続けます。それで69体の遺骸はどうしましたか」 「甲板は血の海でした。夜明けまでに処理を終わらせなければなりません。それで、まず一箇所に集められていた首を海に投げ捨てました」 法廷内で悲鳴が発せられる。女性記者が倒れたのか、何人かの男性が、女性の体を支えながら外に連れ出していくのが見えた。 「胴体はどうしたのです」 「そのまま捨てると海水を吸って浮かび上がってくるので、ガス抜きの処理をしました」 「ガス抜きとは何ですか」 「舷側の手すりがない部分にガス抜き台を設置し、首のない遺骸をその上に載せます。そこで、そこで遺骸の腹を切り裂き、二人が遺骸の両脇と足を持ち、遺骸を傾けて内臓を海に捨てることです」 「命令を拒否すれば、陸戦隊か潜水艦部隊に異動されられます。実際にそうなった者もいます。」 海軍陸戦隊の死亡率は6割、潜水艦部隊は8割に上がる。態度が悪い者や艦長からにらまれた者は、たとえ尉官であっても懲罰的にこうした部隊に回らせることがある。 「はい。彼が『君の手で殺してくれ』と言うので、私がこの手で首を刎ねました!」 「私だって、いつの日か平和が訪れたら彼に会いたかった。本気で香港で会えると思っていました。4人で楽しい食事ができるはずだったんです。それをなぜ、私が彼を殺さなければならなかったのか。乾さん、答えてください」 「証人は被告に話し掛けてはいけません」 例えば、現場の兵たちが裁かれる場合でも、連合国軍側は事後的法解釈として、「違法な命令に対する不服従の義務」なるものを作り上げた。すなわち不法行為を命じた上官に対して、抗命しない場合は命令を受けた者も罪になるというのだ。 シンガポールでは残っていた軍人のほぼすべてが裁判にかけられ、大半が死刑を宣告されていた。それでも、オランダやオーストラリアの法廷に比べれば死刑率が低いというのだから驚く。すなわち自分たちが勝者だったということを国民に印象付けたいがために、ずさんな調査で日本人を戦犯に仕立て上げ、次々と絞首台に送り込んでいるのだ。アジア49箇所で行われている戦犯裁判の状況は、鮫島の耳にも入ってきていた。 「イギリス国民であるということに誇りを持って生まれてきました。大きな犠牲を払いましたが、今回の戦争で勝つこともできました。しかし不公平な裁判で、日本人を死刑に追いやるイギリスの姿勢には納得できません。それこそ戦争の勝利に泥を塗る行為です」 「私は可愛がっていた弟を殺した日本人が憎かった。民族を根絶やしにしてやりたいとさえ思いました。しかし教会に通い、牧師さんの話を聞いているうちに気づいたのです。復讐や報復は何も生み出さないと。何かを生み出すのは寛容の精神です」 「五十嵐俊樹被告には、絞首刑を宣言する」 裁判長の「Death by hanging」という言葉が法廷内に響く。 死刑判決が出たことで、五十嵐は手首には手錠を、足には足鎖をはめられていた。しかも体にも鎖を巻き付けられており、その姿は直視できないほどだ。 外部とのコンタクトが極度に制限される。その理由は外部と接触することで、生に対する未練が生じ、それまで徐々に醸成されてきた死への覚悟が弱まってしまうからだという。 「ガンジーはこう言っています。『重要なのはその行為であり、結果ではない。正しいと信じることを行いなさい。結果がどう出るにせい、何もしなければ、何の結果もないのだ』と」 「インドの格言にこういうものがあります。 『集まった者たちは最後に別れ、上がったものはいつか落ちる。結ばれた紐も最後には解け、生は死によって終わる』というものです」 われわれの世代が日本をこんな姿にしてしまったことは、慙愧(ざんき)に耐えません。だが絶対に捨てねばならないのは、復讐や報復の感情です。考えてみれば、人は悔いなく生きることを常に念頭に置き、日々の判断や行動を決めていかねばなりません。後ろめたいことをすれば、そのつけは必ず回ってきます。貴君も死に際して堂々たる態度で臨めるよう、日々を過ごしていってください

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