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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

群雲に舞う鷹

2020年11月24日 11時57分12秒 | 読書・文学

 

日露戦争、知られざる傑物第二軍司令官・奥保鞏(おくやすたか)その苦闘の生涯。佐幕派の小倉藩出身で、耳が不自由な奥は、圧倒的に不利な逆境の中からも、自身のやるべきことを全うし、過去の恨みを超えて小倉人から日本人へと脱皮していく。近代国家誕生という激動の時代に、戦い続けた男の人生を描く。

 

そこには・・・男の秘めやかな情愛と性癖が赤裸々に綴られ、当時の文壇に衝撃を与えた。

彼は募る思いを口にすることも出来ぬまま、出て行った彼女の布団の汗染みに、顔を埋めて匂いを嗅いだ。

田山花袋の「蒲団」である。

発表する三年前、写真班の一員として日露戦争に従軍していた。

戦場に立てば、なにかしら人間としての開眼があり、文学者として一転機を迎え、才能が開花するというものだ。国木田独歩然り、正岡子規然り。彼らは10年前の日清戦争に従軍している。人が“生き死に”の狭間で見せる、あるいは極限状態のなかで織りなす“真実”に触れれば、今まで見えなかったことが見えてくるものなのかもしれない。

「ねえ、君。死んでいく気分というのはどんなものだい」と島崎藤村がこう囁いた。

「やはり君だ。そうきたか。僕が君なら同じことを聞くだろうさ」

「誰も知らないところへ行くんだから、なかなか単純な気分じゃないね」

「苦しいかい」

「苦しいよ」それからぽつんと「寂しいよ」と花袋は付け足し、二日後に死んだ。作家という生き物は、そういうことが知りたくてたまらない人種なのだ。

今度の戦でもっとも重要なのは、両軍とも、兵力と輜重(しちょう)の速やかな輸送である。どちらが先に、より多くの人数と武器を戦場に集めることができるか、この一点にかかっている。ロシアは建設途中のシベリア鉄道と東清鉄道及びその南部支線を使い、陸路でもってぞくぞくと兵力を送り込むつもりでいる。対する日本側は海路を取って船による輸送に頼らざるを得ない。制海権の獲得が日本の勝利に不可欠であった。

日本海と黄海でロシアが有する港は、二つある。一つはウラジオストークだ。もう一つは、清国から租借した旅順校である。ここは遼東半島の先端にある。

「わたしは思うのです。鷗外先生。だって、人間というものは、人生というものは、芸術の枠など糞くらえでそこに在るじゃないですか。泥まみれで、恥まみれで、そこに在るときがあるんです。そいつを書かなけりゃ」

宇品(うじな)港(広島港)

矜持で飯が食えるのか

八幡丸はいっそうの煤煙を吐き、総数5万5千人もの死者、20万人もの負傷者を出すことになる戦場に向かって、動き始めた。10年前の日清戦争の戦死者数は、千人弱、負傷者は1万1千人。日本史上誰も知らぬ規模の戦を、日本人は体験しようとしていた。

青泥窪(チンニワ)・・・ロシア租借時代はダルニー、1905年より大連

ロシアはドイツとフランスを誘い、いわゆる三国同盟。その数年後、旅順と大連を手に入れると、今度は東清鉄道の途中ハルビンから、大連を経由して旅順に向かう支線の建設にとりかかった。

およそ7400キロにわたるシベリア鉄道は、最大の難関地バイカル湖を除いて完成を目の前にしていた。軍部は東清鉄道の旅順を到着地点とする支線が完成する前に、つまりは速やかな兵力と物資の輸送が行えるようになる前に、開戦すべきだと考えるようになっていた。

鼠色は海軍の色だ。集められた船はすべて鼠色に塗り替えられた。霧がかかると連合艦隊は島影にしか見えない。海の上の保護色だ。

連合艦隊司令長官:東郷平八郎

「洋式軍糧(ビスケット)を配ったそうです」ビスケットは兵士たちの貴重な嗜好品で、酒と一緒にほんのときおり戦地の慰めに配られる。甘党と辛党、どちらの兵士も楽しめるよう、酒とお菓子を配るのだ。酒は日本酒を呑ませてやりたいという軍部の配慮から、品質を落とさないようにと、わざわざ缶詰が開発された。

最終的に日露戦争は、およそ20億円を使って終了するが、そのうち高橋是清が掻き集めた外債は、8億円を超えたと言われている。一度はアメリカで奴隷に売られたという風変わりな過去を持つ、日銀副総裁だ。

日本側に敵弾が命中するたびに、兵士たちの首が飛び四肢がもがれ、胴は肉片となって飛び散った。機関砲は1分間に340弾、機関銃は630弾もの弾丸を撃ち出すことができるのだ。

人は警戒心が働くと腕組みをする。「うん、軍医としているといつも思うことがあってね、今日は特に感じてしまったわけだ。いっそ殺してやったほうが親切じゃないかと思うことがあるんだよ」鴎外の言うことはよくわかる。わかるものの、相手が生きている以上、助けることを前提に努力するのが医者である。この問いの答えは、鴎外自身が12年後に『高瀬舟』という小説の中で出している。花袋はそれを読んだとき、この日のやり取りを思い出し、「もしかしたら先生は、戦場で幾人か、手を掛けられたかもしれないなあ」一人呟いた。

花袋は日露戦争の最後までは戦場にいなかった。腸チフスに罹ったからだ。家に帰ると妻がいる。結婚当初は愛おしかったが、今は飽きてしまった妻だ。結婚したころの緊張感は、いまはもう妻に求めようがなく、伸びた素麺のようにだらけきった妻だが、戦場から戻った花袋には、どことなく平和の象徴のように感じられる。そう、平和は実にだらけている。愛すべき退屈なのだ。

そうして花袋は、まずは己の闇をじっと見つめた。見つめ尽くして一つの小説を書いた。日本の近代文学に多大なる影響を与えた『蒲団』である。

この『東京日日新聞』は、東京で初めて日刊紙を配り出した新聞社であり、今の毎日新聞社の前身である。

佐賀城に閉じ込められた熊本鎮台半隊は、このあと名将・山川浩の決断で、奪取した食料も切れる18日、10倍以上の兵が取り囲む城を脱出した。この生きるか死ぬかの脱出劇の中にあって、山川浩は重傷を負った奥を見捨てはしなかった。戸板にくくり付け、最後まで連れて帰ったのだ。奥は死の淵を彷徨ったが、福岡の病院で一命を取り留めた。まさに奇跡としかいいようのない生還だった。

「奥無くしては、日露戦争は始まらない」と言わしめるほどの存在感を示してみせた。

そう思うだに、あの長州人にしては気の優しすぎる乃木希典が、今後背負わなければならない罪の重さが思われて奥には心が痛む。

満州軍総司令官・大山巌元帥

ちなみに中国では「川」に対して「河」は流域50倍の規模、「江」は100倍の規模のときに使う。

どこかで購(あがな)える日がくるのだろうか。おそらく、死ぬまで贖罪(しょくざい)などは望めまい。

白菜(バイツァイ)は明治になって日本に上陸し、最近ぼちぼち一般家庭にも普及し始めた。煮ると甘くてとろりとした野菜である。自己主張が少なく、いろんな味に染まって調理のしやすい野菜。

露探:スパイ

ロシア帝国陸軍の中で、もっとも華々しい存在なのが騎兵部隊であり、最強と謳われるのがコサック騎兵隊である。なかでもドン・コサックが群を抜いており、その故郷ドン・ステップは、世界一優秀な騎兵馬の産地としても知られている。秋山好古は日清戦争から10年かけて戦える騎兵隊を作り上げてきた。

機関砲への効果的な戦法は戦車の出現まで待たねばならず、コンクリート要塞にはこのあと希典が採用した地下にトンネルを掘って下から爆破させることでしか、結局は崩すことができなかった。
バルト海を拠点にするバルチック艦隊は、黄海に姿を現すためには、大移動を強いられる。この間の大航海を支えるには、適宜、船の点検と修理をしながら物資を豊かに補給できる港が不可欠となる。ところが、この時代の海は日本の同盟国イギリスが制しており、どの港もイギリスに睨まれてまでロシアに好意をみせるところはなかった。
 
戦いが凍結したまま、満州の大地も凍結した。ひどいときには氷点下30℃にもなる。
 
 
 
 
 
 

 


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