シニオルチュー;6,891m
当時としてはその展望台がヒマラヤの大観に接する唯一の地であった。
まず眼を驚かせるのが、カンチェンジュンガ、その左に、カプルー、ジャヌーの7,000m峰が続く。
「その氷のピラミッドを見た瞬間、全地球上にこれに匹敵する山はないと、誰にも憧れをおこさせる」
「私の前に展開された風景の中心はシニオルチューであった。これ以上高貴な峰は想像できない。高さは6,891m--カンチェンチュンガより約1,800mも低いーーにすぎないが、その均斉と調和は、また氷と雪の稲妻模様で覆われた山腹の壮麗な化粧は、見る人を感動させずにはおかない。今までにこの近くまで来た人はごくわずかではあるが、誰も彼もがシニオルチューを山岳構造の最大傑作とみなしている。それは断然まわりの群峰を抜いている」
「私がこれまでに見たなかで一番美しい雪の山であり、おそらく世界で一番美しい雪の山であろう。・・・」これ以上の賛辞はあるまい。
シニオルチューの初登頂は、バウアー隊によって1936年9月23日に果たされた。
アルパマヨ;5,947m
ペルー・アンデスにあるこの山は高さで劣っていてもその美しさで断然抜いている。
胸のすくようなすっくとした三角形である。
北稜と南稜の稜線が両方から伸び上がって鋭いピタミッドを作っている。
誰しも「世界で一番美しい山」に同意するだろう。
まったく自然の大傑作と言うほかない。
サンタ・クルス
ムズターグ・タワー;7273m Muztagh Tower
バルトロ氷河から
コンウェイは初めこの峰をムズターグ・マッターホルンと名づけた。
カラコルムは古い頃、ムズターグとも呼ばれた。
ムズは「氷または雪」、ターグは「山」の意である。
そのムズターグのタワー(塔)であるから、そう名づけられたのであろう。
双耳の低い右峰が「黒い歯」
誰しもその垂直の塔に登れると思う人はないだろう。
「もっとも近づき難い山で、ウィークポイントがない」とか、
「自然最後の要塞」
ところで、山というものは眺める場所によって随分と形が変わる。
アマ・ダブラム
「直立に近い形で突っ立っている巨人の牙に引きつけられた。
その山こそアマ・ダブラムで、まったく近づきがたくみえた」
初登頂は1961年南西稜によって達しられた。
頂上は下で想像していたような氷の刃ではなく、広いプラトーだった。
「母の首飾り」
ハン=テングリ山
天山山脈
ずっと昔からキルギス遊牧民の間には、ハン=テングリ山は知られていた。
彼らはそれをウイグル語でテンリ・ターグと呼んでいた。
テンリは精霊、ターグは山の意である。
その中でひときわ高い峰をハーン・テンリと呼んだ。
ハーンは「王」である。つまり「精霊の王」。
エレブス
南極で唯一の活火山であり、最も早く登られた山。
センチネル山脈だけで4000m以上の峰が22座もある。
南極の最高峰;ヴィンソン・マッシフ:5140m
次に高いタイリー;4965m
ナンダ・デヴィ;7,816m
インド第二の高峰で、インドの中に山全体があるものの中では最も高い山である。
(カンチェンジュンガはインドとネパールの国境にある)。
主峰と東峰が猫の耳のように見える双耳峰が特徴
頂上は長さ60m、幅6mもある、堅い雪の山稜であった。
カイラス
仏教徒やヒンズー教によって尊崇された山であって、巡礼者が絶えない。
信者の間では、この山が宇宙の中心であり、その南にあるマナサロワル湖は4大河の源であると信じられていた。マナサロワル湖は「ブラーマ;梵天の心から創られた湖」という意の梵語で、チベット語ではツォ・マパンと呼ばれる。ツゥは「湖」、マパンは「征服されない」あるいは「尊い」の意。
湖面の高さは4512m、周囲45マイル、チベットの多くの湖が塩を含んでいるのに、この湖は淡水で、味は泉のように甘美、色は緑青である。
モン・ブラン
はモン・モディ、すなわち「呪われた山」と呼ばれて、そこに起こる嵐や雪崩がひどく怖れられていた。
ジャヌー
ヒマラヤで最も早くから知られ、「怪峰」と呼ばれた高峰である。
剃刀のように痩せた頂稜に取り付き、馬乗りになって徐々に登高、
頂上は非常に狭く、2人並んで立つこともできなかった。
「ジャヌーの険悪さに較べれば、マカルーは自転車で散歩するようなものです」
マウント・クック;ニュージーランド
500年前、マオリ族がこの山をアオランギ(アオラキ)と呼んでいた。
アオラキ/マウント・クック国立公園
アララット(アララト山):5165m
ソ連アルメニア共和国の首都エレバン
小アララット;Little Ararat
「ノアの方舟」の山
ギリシャの「オリンポス」と「アララット」
アララットの名はすでに『旧約聖書』の創世記に出てくる。
K2
世界第2位の高峰はむかしゴドウィン・オースティン峰と呼ばれたことがあった。
現在、その麓を流れる氷河にその名が残っている。
エヴェレスト、K2,ナンガ・パルバット、
この3つがヒマラヤでは登頂までに一番多くの試登を要求し、犠牲を強い、ドラマを作った。
K2は6回目にようやく成功した。
1954年、ついにその不屈の頂上をイタリア隊に譲った。
アコンカグア;6962m アルゼンチン
ヒマラヤを含む中央アジアを除けば世界の最高峰はアコンカグアである。
ケチュア語で「巨岩の衛兵」という意
またアイマラ語の「雪の山」の意
アコンカグアの横幅のある西壁が物凄く、北には尖峰クエルノ、西にはカテドラールが聳えている。
ナンガ・パルバット
「裸の山」の意
ママリーは西面のディアミール壁を狙ったが、ついに率いたグルカ兵2名とともに氷河の中に行方を絶った。「魔の山」は発端からその魔性を示したのである。
南面のルパール壁から登頂が成った。
マカルー
世界5位の高峰
私はこのバルン氷河から仰いだマカルーの姿を、ネパール8000m峰の第一に推す。
単純なピラミッドではなく、さりとて奇矯なところもなく、ドッシリとした威厳と品格をそなえ、猛々しく見えながらも温厚な相を示している。
キリマンジャロ
アフリカの最高峰、噴火山として世界で最も大きいものの1つである。
キボ峰;Kibo Huts、マウェンジーを含めてキリマンジャロと呼ぶ。
今は腐食してギザギザの岩峰群となっている。
マウェンジーはほんのコブにすぎない。
しかし近づいてみると険峻な岩山であって、登攀には技術を必要とする。
ワアンバ語で「キマ・ジャ・ジュ」で「白い山」の意で
スワヒリ語では「キリマ・ンジャロ」で「輝く山」の意。
「ツーリスト・ルート」は南面のマラング(1400m)から始まる。
6000mに近い山で、ほとんど登山の経験がなくとも、スタミナさえあれば登頂できるのは、おそらくこの山だけかもしれない。
セロ・パイネ・グランデ 3050m パタゴニア
アレナーレス;3437m
『パタゴニア探検記』
パタゴニアの最高峰;サン・ヴァレンチン:4025m
アルコ山;3048m
主峰、パイネ・グランデ
オリンポス 2918m ギリシャ
頂上を形づくる岩峰が数個並んでいて、どれが真の最高点か見分けにくかった。
最高峰はミティカス;2917m
その北にステファニ;2909m
南にスカラ;2866m
西にスコリオン;2905m
最高峰のミティカスの初登頂は1913年、2人のスイス人によってなされた。
ワスカラン 6768m ペルー・アンデス
(編注・この項が著者の絶筆となった。)
カンチェンジュンガ 8598m シッキム・ヒマラヤ
インドのダージリンから直線距離にして50kmほどしかない。そこから写したカンチェンジュンガの大観は、ヒマラヤの代表的な写真。
インドの暑熱に倦んだ人たちは、保養にダージリンにやってくる。
1m半ばかりの雪の円頂があった。それが頂上であった。
ローチェ
世界4位の高峰
チベット語で南峰の意。
ローは南、ツェは峰、つまりエヴェレストの南にあたる峰である。
同様にヌプツェ(ヌプは西の意)は西峰であり、エヴェレストの北にはチャンツェすなわち北峰がある。
頂上は尖っていて、その上にのることができなかった。
マナスル
てっぺんは切り立って狭く、やっと一人が危うく立てるくらいだった。
今西隊員が撮った16ミリは8000mの頂上で撮った映画として世界最初のものだった。
ヒマルチュリ
は古くから知られた山である。
マナスルがまだ世に現れないときもこの山は知られていた。
「雪の峰」
チョ・オユー
チョは神性あるいは精霊を意味するチベット語
8,000m峰14座中で一番やさしい山とされている。
ガウリサンカール Gaurishankar
チャリコット村
その颯爽とした山容が、いかにもヒマラヤの高峰らしく、私は気に入った。
ゴザインタン(シシァ・パンマ;希夏邦马峰)
世界で 14 番目に高い
中国ではゴザインタンをシシャ・パンマと呼んでいる
これはチベット語で「牛や羊も死に絶え。麦も枯れる地方」の意。
ゴザインタンはサンスクットで「聖者の居所」
マチャプチャレ
高さは7000mにわずか欠けるが、烈しく天空にそそり立った尖峰
南側のポカラから見たマチャプチャレ、それは実に美しいピラミッドで、神々しいばかりである。尖峰の代表にマッターホルンをもちだすが、世界的な代表はマチャプチャレであろう。
アンアプルナⅠ
ヒマラヤの8,000mの高峰で、それまでに、いきなりぶつかって、それで成功したためしは1つもなかった。たいてい初めに偵察隊を派遣して登路を探らせ、そして翌年本隊を出すのが普通である。
1950年のフランス隊は、最初の8,000m峰アンナプルナの登頂に成功した。
「ラッシュ・アタック」
Nilgiri South
ダウラギリ;[白い山」
11回目に初登頂したエヴェレスト、
それにつぐのはダウラギリで、8回目にしてようやく成功した。
トゥクチェ・ピーク
凄いさまで薙ぎ落ちているダウラギリの北壁
南面の3000m近い垂直の壁
「マッタホルンの北壁を3倍にしたようなやつで、僕たちは眼を丸くして顔を見合わせただけだよ。・・・南面は考えに入れないほうがいい」
ダウラギリでただ1つ残されたのは西面。
1953年、スイス隊
1954年アルゼンチン隊
ヒマラヤ史上かつてない1つの破壊作業が7000mの高度で行われた。
石灰岩のスラブ(平滑な岩)に、ダイナマイトが仕掛けられたのである。
1958年のスイス隊が北東稜を見つけた。
7回の挑戦を退けたダウラギリは、ついに1960年、スイス登山隊にその頂上を譲った。
全隊員と全装備を空中輸送
「イエティ(雪男)号」
グルラ・マンダータ;7728m
チベット領に属するの最高峰
カイラス、マナサロワル湖、グルラ・マンダータ、この3つはあたかも3幅対の風景をなしているように私には思われる。
東洋のヴェニスと呼ばれた水の都;スリナガール
Gasherbrum ガッシャーブルム Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ
ガッシャーブルムⅠ・・・通称ヒドゥン・ピーク
私はこの8000m前後の俊秀な4峰に、こんな番号を付けるのは不服である。
これらの4峰はけっして稜線上にコブのように並んでいるのではなく、それぞれ独立した山の姿勢を持っている。
ガッシャーブルムⅡは鋭い稜線を持ったピラミッド形のピーク
ブロード・ピーク
名前にふさわしい肩幅の広いガッチリした山である。
1957年6月、オーストリア隊によって果たされた。
4人で全部の荷揚げをし、しかも4人とも頂上に立った。
マッシャーブルム
「K1というのはマッシャーブルムのことだよ」
東峰と西峰とがあって前者はK1E、後者はK1Wであった。
「輝く壁」「黒い山」の意。
バルトロ氷河
チョコリザ
マロリーの命名がもう1つ残っている。
それはプモリである。
この三角形の美しい山は当時無名峰であった。
それを自分の愛娘を記念して、プモリと名づけた。
チベット語でプモは娘、リは山の意である。
マロリーの愛娘の名はクレアー。
「2人(マロリーとアーヴィン)はいつどこで死んだか、われわれは知らない。
しかしあの高所で、エヴェレストの腕に抱かれて、彼等は永遠に眠っている。
人間が死に憩う最も高い土地よりも1万フィートも高い所に、彼等2人は眠っているのである。エヴェレストは彼らの肉体に打ち勝った。しかし、彼等の精神は死なない。今後、ヒマラヤの峰に登る人は誰しもマロリーとアーヴィンに思いを致さずにはいられないだろう」
これ以上簡潔で、感動的な讃辞もないだろう。
木暮理太郎;「私は山が好きだから」
1931年、ガルワルの高峰の1つカメット;7757mの頂がイギリスの登山隊によって踏まれた。
このカメットの登頂は、今までの記録を破ったのみでなく、ヒマラヤに7600m以上の山が70座あるが、その一峰を最初に落としたという点でも、輝かしい勲功であった。
カメットのレコードを破ったのは、1936年、ナンダ・デヴィ;7816mの初登頂である。
古来、インドの山々の中でも最も聖なる峰として知られ、昔からヒンズー教徒の尊崇の的となっていた。
当時としてはその展望台がヒマラヤの大観に接する唯一の地であった。
まず眼を驚かせるのが、カンチェンジュンガ、その左に、カプルー、ジャヌーの7,000m峰が続く。
「その氷のピラミッドを見た瞬間、全地球上にこれに匹敵する山はないと、誰にも憧れをおこさせる」
「私の前に展開された風景の中心はシニオルチューであった。これ以上高貴な峰は想像できない。高さは6,891m--カンチェンチュンガより約1,800mも低いーーにすぎないが、その均斉と調和は、また氷と雪の稲妻模様で覆われた山腹の壮麗な化粧は、見る人を感動させずにはおかない。今までにこの近くまで来た人はごくわずかではあるが、誰も彼もがシニオルチューを山岳構造の最大傑作とみなしている。それは断然まわりの群峰を抜いている」
「私がこれまでに見たなかで一番美しい雪の山であり、おそらく世界で一番美しい雪の山であろう。・・・」これ以上の賛辞はあるまい。
シニオルチューの初登頂は、バウアー隊によって1936年9月23日に果たされた。
アルパマヨ;5,947m
ペルー・アンデスにあるこの山は高さで劣っていてもその美しさで断然抜いている。
胸のすくようなすっくとした三角形である。
北稜と南稜の稜線が両方から伸び上がって鋭いピタミッドを作っている。
誰しも「世界で一番美しい山」に同意するだろう。
まったく自然の大傑作と言うほかない。
サンタ・クルス
ムズターグ・タワー;7273m Muztagh Tower
バルトロ氷河から
コンウェイは初めこの峰をムズターグ・マッターホルンと名づけた。
カラコルムは古い頃、ムズターグとも呼ばれた。
ムズは「氷または雪」、ターグは「山」の意である。
そのムズターグのタワー(塔)であるから、そう名づけられたのであろう。
双耳の低い右峰が「黒い歯」
誰しもその垂直の塔に登れると思う人はないだろう。
「もっとも近づき難い山で、ウィークポイントがない」とか、
「自然最後の要塞」
ところで、山というものは眺める場所によって随分と形が変わる。
アマ・ダブラム
「直立に近い形で突っ立っている巨人の牙に引きつけられた。
その山こそアマ・ダブラムで、まったく近づきがたくみえた」
初登頂は1961年南西稜によって達しられた。
頂上は下で想像していたような氷の刃ではなく、広いプラトーだった。
「母の首飾り」
ハン=テングリ山
天山山脈
ずっと昔からキルギス遊牧民の間には、ハン=テングリ山は知られていた。
彼らはそれをウイグル語でテンリ・ターグと呼んでいた。
テンリは精霊、ターグは山の意である。
その中でひときわ高い峰をハーン・テンリと呼んだ。
ハーンは「王」である。つまり「精霊の王」。
エレブス
南極で唯一の活火山であり、最も早く登られた山。
センチネル山脈だけで4000m以上の峰が22座もある。
南極の最高峰;ヴィンソン・マッシフ:5140m
次に高いタイリー;4965m
ナンダ・デヴィ;7,816m
インド第二の高峰で、インドの中に山全体があるものの中では最も高い山である。
(カンチェンジュンガはインドとネパールの国境にある)。
主峰と東峰が猫の耳のように見える双耳峰が特徴
頂上は長さ60m、幅6mもある、堅い雪の山稜であった。
カイラス
仏教徒やヒンズー教によって尊崇された山であって、巡礼者が絶えない。
信者の間では、この山が宇宙の中心であり、その南にあるマナサロワル湖は4大河の源であると信じられていた。マナサロワル湖は「ブラーマ;梵天の心から創られた湖」という意の梵語で、チベット語ではツォ・マパンと呼ばれる。ツゥは「湖」、マパンは「征服されない」あるいは「尊い」の意。
湖面の高さは4512m、周囲45マイル、チベットの多くの湖が塩を含んでいるのに、この湖は淡水で、味は泉のように甘美、色は緑青である。
モン・ブラン
はモン・モディ、すなわち「呪われた山」と呼ばれて、そこに起こる嵐や雪崩がひどく怖れられていた。
ジャヌー
ヒマラヤで最も早くから知られ、「怪峰」と呼ばれた高峰である。
剃刀のように痩せた頂稜に取り付き、馬乗りになって徐々に登高、
頂上は非常に狭く、2人並んで立つこともできなかった。
「ジャヌーの険悪さに較べれば、マカルーは自転車で散歩するようなものです」
マウント・クック;ニュージーランド
500年前、マオリ族がこの山をアオランギ(アオラキ)と呼んでいた。
アオラキ/マウント・クック国立公園
アララット(アララト山):5165m
ソ連アルメニア共和国の首都エレバン
小アララット;Little Ararat
「ノアの方舟」の山
ギリシャの「オリンポス」と「アララット」
アララットの名はすでに『旧約聖書』の創世記に出てくる。
K2
世界第2位の高峰はむかしゴドウィン・オースティン峰と呼ばれたことがあった。
現在、その麓を流れる氷河にその名が残っている。
エヴェレスト、K2,ナンガ・パルバット、
この3つがヒマラヤでは登頂までに一番多くの試登を要求し、犠牲を強い、ドラマを作った。
K2は6回目にようやく成功した。
1954年、ついにその不屈の頂上をイタリア隊に譲った。
アコンカグア;6962m アルゼンチン
ヒマラヤを含む中央アジアを除けば世界の最高峰はアコンカグアである。
ケチュア語で「巨岩の衛兵」という意
またアイマラ語の「雪の山」の意
アコンカグアの横幅のある西壁が物凄く、北には尖峰クエルノ、西にはカテドラールが聳えている。
ナンガ・パルバット
「裸の山」の意
ママリーは西面のディアミール壁を狙ったが、ついに率いたグルカ兵2名とともに氷河の中に行方を絶った。「魔の山」は発端からその魔性を示したのである。
南面のルパール壁から登頂が成った。
マカルー
世界5位の高峰
私はこのバルン氷河から仰いだマカルーの姿を、ネパール8000m峰の第一に推す。
単純なピラミッドではなく、さりとて奇矯なところもなく、ドッシリとした威厳と品格をそなえ、猛々しく見えながらも温厚な相を示している。
キリマンジャロ
アフリカの最高峰、噴火山として世界で最も大きいものの1つである。
キボ峰;Kibo Huts、マウェンジーを含めてキリマンジャロと呼ぶ。
今は腐食してギザギザの岩峰群となっている。
マウェンジーはほんのコブにすぎない。
しかし近づいてみると険峻な岩山であって、登攀には技術を必要とする。
ワアンバ語で「キマ・ジャ・ジュ」で「白い山」の意で
スワヒリ語では「キリマ・ンジャロ」で「輝く山」の意。
「ツーリスト・ルート」は南面のマラング(1400m)から始まる。
6000mに近い山で、ほとんど登山の経験がなくとも、スタミナさえあれば登頂できるのは、おそらくこの山だけかもしれない。
セロ・パイネ・グランデ 3050m パタゴニア
アレナーレス;3437m
『パタゴニア探検記』
パタゴニアの最高峰;サン・ヴァレンチン:4025m
アルコ山;3048m
主峰、パイネ・グランデ
オリンポス 2918m ギリシャ
頂上を形づくる岩峰が数個並んでいて、どれが真の最高点か見分けにくかった。
最高峰はミティカス;2917m
その北にステファニ;2909m
南にスカラ;2866m
西にスコリオン;2905m
最高峰のミティカスの初登頂は1913年、2人のスイス人によってなされた。
ワスカラン 6768m ペルー・アンデス
(編注・この項が著者の絶筆となった。)
カンチェンジュンガ 8598m シッキム・ヒマラヤ
インドのダージリンから直線距離にして50kmほどしかない。そこから写したカンチェンジュンガの大観は、ヒマラヤの代表的な写真。
インドの暑熱に倦んだ人たちは、保養にダージリンにやってくる。
1m半ばかりの雪の円頂があった。それが頂上であった。
ローチェ
世界4位の高峰
チベット語で南峰の意。
ローは南、ツェは峰、つまりエヴェレストの南にあたる峰である。
同様にヌプツェ(ヌプは西の意)は西峰であり、エヴェレストの北にはチャンツェすなわち北峰がある。
頂上は尖っていて、その上にのることができなかった。
マナスル
てっぺんは切り立って狭く、やっと一人が危うく立てるくらいだった。
今西隊員が撮った16ミリは8000mの頂上で撮った映画として世界最初のものだった。
ヒマルチュリ
は古くから知られた山である。
マナスルがまだ世に現れないときもこの山は知られていた。
「雪の峰」
チョ・オユー
チョは神性あるいは精霊を意味するチベット語
8,000m峰14座中で一番やさしい山とされている。
ガウリサンカール Gaurishankar
チャリコット村
その颯爽とした山容が、いかにもヒマラヤの高峰らしく、私は気に入った。
ゴザインタン(シシァ・パンマ;希夏邦马峰)
世界で 14 番目に高い
中国ではゴザインタンをシシャ・パンマと呼んでいる
これはチベット語で「牛や羊も死に絶え。麦も枯れる地方」の意。
ゴザインタンはサンスクットで「聖者の居所」
マチャプチャレ
高さは7000mにわずか欠けるが、烈しく天空にそそり立った尖峰
南側のポカラから見たマチャプチャレ、それは実に美しいピラミッドで、神々しいばかりである。尖峰の代表にマッターホルンをもちだすが、世界的な代表はマチャプチャレであろう。
アンアプルナⅠ
ヒマラヤの8,000mの高峰で、それまでに、いきなりぶつかって、それで成功したためしは1つもなかった。たいてい初めに偵察隊を派遣して登路を探らせ、そして翌年本隊を出すのが普通である。
1950年のフランス隊は、最初の8,000m峰アンナプルナの登頂に成功した。
「ラッシュ・アタック」
Nilgiri South
ダウラギリ;[白い山」
11回目に初登頂したエヴェレスト、
それにつぐのはダウラギリで、8回目にしてようやく成功した。
トゥクチェ・ピーク
凄いさまで薙ぎ落ちているダウラギリの北壁
南面の3000m近い垂直の壁
「マッタホルンの北壁を3倍にしたようなやつで、僕たちは眼を丸くして顔を見合わせただけだよ。・・・南面は考えに入れないほうがいい」
ダウラギリでただ1つ残されたのは西面。
1953年、スイス隊
1954年アルゼンチン隊
ヒマラヤ史上かつてない1つの破壊作業が7000mの高度で行われた。
石灰岩のスラブ(平滑な岩)に、ダイナマイトが仕掛けられたのである。
1958年のスイス隊が北東稜を見つけた。
7回の挑戦を退けたダウラギリは、ついに1960年、スイス登山隊にその頂上を譲った。
全隊員と全装備を空中輸送
「イエティ(雪男)号」
グルラ・マンダータ;7728m
チベット領に属するの最高峰
カイラス、マナサロワル湖、グルラ・マンダータ、この3つはあたかも3幅対の風景をなしているように私には思われる。
東洋のヴェニスと呼ばれた水の都;スリナガール
Gasherbrum ガッシャーブルム Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ
ガッシャーブルムⅠ・・・通称ヒドゥン・ピーク
私はこの8000m前後の俊秀な4峰に、こんな番号を付けるのは不服である。
これらの4峰はけっして稜線上にコブのように並んでいるのではなく、それぞれ独立した山の姿勢を持っている。
ガッシャーブルムⅡは鋭い稜線を持ったピラミッド形のピーク
ブロード・ピーク
名前にふさわしい肩幅の広いガッチリした山である。
1957年6月、オーストリア隊によって果たされた。
4人で全部の荷揚げをし、しかも4人とも頂上に立った。
マッシャーブルム
「K1というのはマッシャーブルムのことだよ」
東峰と西峰とがあって前者はK1E、後者はK1Wであった。
「輝く壁」「黒い山」の意。
バルトロ氷河
チョコリザ
マロリーの命名がもう1つ残っている。
それはプモリである。
この三角形の美しい山は当時無名峰であった。
それを自分の愛娘を記念して、プモリと名づけた。
チベット語でプモは娘、リは山の意である。
マロリーの愛娘の名はクレアー。
「2人(マロリーとアーヴィン)はいつどこで死んだか、われわれは知らない。
しかしあの高所で、エヴェレストの腕に抱かれて、彼等は永遠に眠っている。
人間が死に憩う最も高い土地よりも1万フィートも高い所に、彼等2人は眠っているのである。エヴェレストは彼らの肉体に打ち勝った。しかし、彼等の精神は死なない。今後、ヒマラヤの峰に登る人は誰しもマロリーとアーヴィンに思いを致さずにはいられないだろう」
これ以上簡潔で、感動的な讃辞もないだろう。
木暮理太郎;「私は山が好きだから」
1931年、ガルワルの高峰の1つカメット;7757mの頂がイギリスの登山隊によって踏まれた。
このカメットの登頂は、今までの記録を破ったのみでなく、ヒマラヤに7600m以上の山が70座あるが、その一峰を最初に落としたという点でも、輝かしい勲功であった。
カメットのレコードを破ったのは、1936年、ナンダ・デヴィ;7816mの初登頂である。
古来、インドの山々の中でも最も聖なる峰として知られ、昔からヒンズー教徒の尊崇の的となっていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます