読書をしていて、どうしても読みたい本が出てきました。
「吉井勇選 与謝野晶子選集」です。
大正10年(1921年)に出版されてた本なので図書館にはまずないでしょう。
そこで古書を探すことにしました。
いつもの「日本の古本屋」です。
検索したところ、「与謝野晶子選 吉井勇選集」は出てきたのですが、探している方のはありませんでした。
似ているけど真逆です。
(この2冊は与謝野晶子と吉井勇がお互いの歌を選びあった歌集)
ないと分かると無性に読みたくなりました。無い物ねだりというやつでしょうか。
スマホの検索画面には「国会図書館サーチ」というのが出ていました。
はて?
恐る恐る開いてみると
「インターネットで読む」さらに「すぐに読む」とあったので
「すぐに読む」をクリック
出てきました。
感激です。
ページをめくると
これこれ!
この「序」を読みたかったのです。
このままスマホでも読めるのですが、画面の大きいパソコンで読むことにしました。
(パソコン画面)
ページだけ拡大すると
これなら十分に読むことができます。
はたしてその「序」ですが、そこには次のことが書かれていました。
思っていた以上の収穫です。
①晶子との出会い
②新詩社で出会った歌人達とそこでの活動
③新詩社脱退後の晶子との関係
④今回の選歌にあたっての基準
③ですが、新詩社を吉井勇や北原白秋達が脱退し、その機関誌である「明星」の売り上げが激減して廃刊に追い込まれたのは周知の事実です。「明星」を主宰していたのは与謝野寛ですが、その妻である晶子をどう思っていたかについてもここに書かれていました。
以下抜粋
「それでも与謝野婦人に対する心持ちは以前とあまり変わらなかった。或いは以前よりかえって作物などに対する懐かしみは加わっていたかも知れなかった」
そして、「私の知っている多くの人の中でも、かなり強い影響を受けた人の一人だと云うことは、今でも堅く信じている」とも。
④の歌を選ぶ際の基準については、「歌の価値というより、つとめて自分の好尚に阿ろうと思った」、その結果「ほとんど全部抒情の歌」となった書いています。さらに「私自身の心の影がここに選んだ歌の上に現れ過ぎていはしまいかと云うことを危ぶんでいる」と。
さて、選歌ですが、203首ほどの歌が1ページ2首ずつ載っていました。
読み進む中で「えっ」
印を付けたり線を引いている!
書き込みも
100年前の本ですが、その間に誰かが書き込みを入れたのでしょう。それがそのままの状態でデジタル化されたようです。
この本が国会図書館に収められたのは
大正11年(1922年)
100年以上も前の本です。
それを家に居ながら読めるのですから便利な時代になったものです。
(私が知らなかっただけですね)
これより以下は蛇足ですが、もう一方の「与謝野晶子選 吉井勇選集」について書きます。
これですが
私はこの本は持っていました。
与謝野晶子が書いた「序」ですが
晶子は勇のことを「私は人麿-和泉式部-西行-さうして勇-と云う順序を以て、日本の歌は大きな飛躍をしたと信じて居ます」と書いています。(ちょっと褒め過ぎ)
また、末尾に入れられた西暦の日付は、あの当時としては珍しいことですが、そこにフランスを旅し見聞を広めた晶子らしさを感じます。
実は、私が持っているこの本にも沢山の書き込みがあります。元の所有者(個人の本だったのでそれは有り)が入れたものでしょうが、その書き込みがとても参考になりました。
例えば、◎、○、レのチェック
歌の評価でしょうか。
次のような書き込みもありました。
赤鉛筆で「本書ノ二大傑作!」と記してあります。
当時の女性の生の声に、100年前の本の書き込みですが、新鮮な感動を覚えました。
その「二大傑作」
君と生き君と死ぬべき身と思ひまたあらがはず君の言葉に
そしられるおとしめられるそれもよし君に思はれ君を思へば
(歌集「昨日まで」から選ばれた吉井勇の歌2首)
蛇足その2 最近読んだ本
この本は諫早図書館にあったので借りました。艶めかしいタイトルや表紙とうらはらに、中身はいたってまじめな本です(借りるのは恥ずかしかったけど)。この本のおかげで浪漫主義や新詩社、与謝野晶子、吉井勇や北原白秋達が新詩社を脱退した理由についての理解が深まりました。文章が流麗でほれぼれしながら一気に読み上げました。
晴読雨読にいそしんでいるこの頃です。
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