きのう新川さくら館の「新川歴史物語」で利根川名所勝景図絵をみて、
ふと新川開削前の「三角」あたりはどのようなものだったのだろうか
気になったので地図を広げてみる。
明治の迅速測図(歴史的農業環境閲覧システム利用)に、現在の三角橋は
青いマーカー、三角の渡しを黄色いピンを立ててみた。
現在の地図でみると真ん中の[ ]あたりが三角の渡しとなる。
新川開削前の元の川筋を想像して迅速測図を眺めてみる。
角度的に川が見事に三俣に分かれていて面白い。
(黄色いピンより右(東)側が新川開削部分で、手前(南)が三角川。
三角川は新川橋から現在の葛西三角通りを南下し、共栄橋を経て葛
西駅前郵便局付近で東に流れを変えて、第二葛西小学校に至る分流)
お隣にも三角とつく地名があって、ピックアップ。
■「三角」大集合マップ(Googleマップ)
・・・大集合というほどの数はないのですが、三角と呼ばれていた
のをマッピング。
■それらを個別に明治の迅速測図でみるならこちら
・欠真間の三角→http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=15&lat=35.672088&lon=139.913967&layers=B0
・高谷川の三角→http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=15&lat=35.688394&lon=139.946162&layers=B0
※ふたつの地図いずれも地図の中央の三角にみえるところです。
・・・三角っていつから呼び始めたのだろう。
三角の地名の歴史はかなり古いのでは?と想像してみたり。
古すぎて解明できない謎かも?わからないけど面白いね。
※利用ツール:歴史的農業環境閲覧システム 、GoogleEarth
現在地元の港南区の「小字地図」の作成を行っておりますが、読み方が聞く人によって微妙に違う事が多々あります。地名の読み方・由来に関しては今になると不明なものが多く、依然として空白なままとなっており、完成の目途が立っていません。
何か良い知恵・アドバイスはないでしょうか?
また昔の境界線を今の地図に落とし込む作業は、当時の地形・地物と大きく変化していますので直接今の地図に書き込む事は難しいでしょうね!
同じ縮尺にして地図を重ね、同じ形状があればそれに沿わせて、少しづつ進むて行くより方法はないのではないでしょうか?
いつも地図の重ね表示(IT地図)を感心して見ております。きっと良い昔の境界地図が出来ると思っております。