感染5日目。
今日は一日熱上がらず、ほぼ平熱。昨日までギャーギャー言っていた喉の痛みも、今日はかなり楽になりました。あとは咳と痰。まだ少ししんどさがあるので、横にもなっていますが、峠は越えたものかと思われます。
酷くならないで本当によかった…今の本音です。
宝物①
娘の末っ子、一番下の孫から
さて、明日からお盆です。簡単ではありますが、我が家も提灯を飾って、お供え物や花を飾り、セッティングを済ませました。迎え火を焚こうと思ったら、外は雨。何年も続けていることなので、父と母は迷わず帰ってきてくれることでしょう。
でも…私がコロナ感染しているので、両親は抵抗なく来てくれるのでしょうか。マスクして帰ってきたら笑っちゃいます
毎年、この期間をとても楽しみにしています。とても身近に両親を感じることができるから。
父は7年前に、母と入居していたサービス付き高齢者向け住宅の部屋で、夜、突然母の目の前でベッドに崩れ落ちました。そしてそのまま心肺停止の状態で病院に運ばれ、病院で死亡確認がされました。私が救急車に乗り込み、病院での死亡確認に立ち会いました。機械がピーッとフラットになり「0時04分死亡確認しました」と医師の言葉。待合室に母、夫、叔父夫婦、息子、婿が待機していて、その後霊安室に運ばれました。
死因は、老衰。医師より「解剖して詳しい死因を調べますか?」と言われましたが、お断りしました。今にして思えば、知っておけばよかったかとも思いますが、早く母と一緒に最後を過ごさせたいと思いました。
私は父がどちらかというと苦手でした。嫌いとは違う感情です。小さい頃からストレートに話ができず、何をお願いするにも母を通してということが多かったです。それでも、父の愛情はすごく感じていました。
ただ子どもに対する愛情表現が少々下手だったのかなと思います。
一番の思い出は、まだ小学生にもならない頃からでしょうか。年末になると、私を連れ出し、銀座に出て、まず不二家でご飯を食べて、その後デパートで母と3人でお正月にするボードゲームを買い、帰ってくるのがいつのまにか恒例になっていました。銀座(有楽町?)にある不二家はまだ小さかった私にとって、夢のような場所で、そこで食べるランチは本当に美味しかったのを覚えています。休日は3人で食べるご飯の時間をとても大事にする人でした。
晩年は老人性鬱を発症し、多少の認知機能の低下もあり、結構わがままを言っては母を困らせていたのですが、父は母のことが大好きでした。ちょっと母の姿が見えないと「ママ、ママ」と探し、とても不安そうな表情を浮かべていました。
今頃は天国で、また母にわがままを言って、母と喧嘩しながら日々過ごしているのかなと思います。
宝物②
私の育児アルバムです。
私の出産の経過、出産に関わった人たち、私の名前の由来、いただいた出産お祝いのリストなどが、父の自筆でこと細かに記されています。もちろん父や母との写真もたくさん貼ってあります。このアルバムを見るたびに、私は父に愛されていたのだなと実感します。
最後まで読んでいただきありがとうございました
👇👇ポチッ!と応援お願いします。励みになります。👇👇
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます