発達障害は治りません

発達障害は病気ではないし、才能だと思っている。
隣の子と同じように出来ないからと、繰り返し叱られることで発症する「二次障害」が問題なのであって、発達障害そのものが問題なのではない。
「障害」などと付いているからあたかも「問題」のように思われるが、理解され、受け入れられた子供達は、生き生きと伸び伸びと才能を発揮している。
「治らない」と言う所を強調したい
片付けが出来ない
忘れ物が多い
空気が読めない
時間の組み立てができない
思い通りにいかないとパニックを起こす
……出来ないところばかり目につく
でもこれ
出来なくても別にいいじゃん
驚くようなアイデアを次々に生み出す
とても真似出来ない行動力がある
タイミングを掴む力が長けている
別の方法を編み出す方法をいくつも持っている
人懐っこく笑顔が抜群にいい
没頭し深堀りする力がある
周りに左右されず継続する力がある
…
まだまだ沢山ある
出来ない所に注目され、矯正されるように繰り返し叱られるとどうなるか
他人の出来ないところが目につき、自分の出来ないところを隠そうとする。
そして人を羨み、妬み、嫉妬するようになる。
逆に出来るところを褒められ、そこに注目されて育った子はどうなるか
他人の秀でた能力を見つけ、憧れ、素直に尊敬出来るだけでなく、自分の出来るところも知っているので、お互いをカバーし合う「頼り頼られる豊かな人間関係」を築くことが出来るのだ
「頼り頼られる人間関係」
これは「自信」がなければ出来ない
自信の無い人は「助けて」「手伝って」と言えないのだ。
「嫌われたらどうしよう」「相手を怒らせるのではないか」などと怯え、親の顔色を伺っていたあの頃と何も変わらないのである。
発達障害の人に「しか」出来ないことが「山ほど」ある。
発達障害の人に「は」出来ないことが「少し」ある。
発達障害を治そうとする力が強ければ強いほど、二次障害の程度は重症化し、社会生活が出来ないほどに…或いは自傷や他害といった傷だらけの人生を生み出してしまうのだ。
せっかくのダイヤモンド原石を磨くことなく、火であぶり焦がしてしまうようなものだ。
発達障害はダイヤモンドの原石だ。
