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不登校や発達障害について言いたいことを書きまくる

発達障害の薬は飲んだ方がいいか

2021-06-30 08:38:00 | 日記
発達障害の薬は飲んだ方がいいか

答えは「飲んだ方が楽」

飲ませるなら早い時期から飲ませる方がいいし、親も飲んだら尚更いい。
むしろ親が飲めば子供はいらなくなるケースも多い。

驚かれただろう

発達障害の特徴を持つ子供の親もまた、発達障害の特性を持っていることが多く、また、子供の頃から繰り返し失敗をして叱られたり、落ち込んだりしながら大人になった親達が多い。

許してもらえなかった体験が、許せない体質となって、子供の一挙手一投足に口を出すようになっているからだ。


以前もブログで書いたが、家庭環境が変わらなければ、薬の効果はあまり期待出来ない。

親が先ず薬の力を借りてでも気持ちを穏やかにし、「まぁいいか」と、思えるようになってから子供にも必要だと思ったら医者に相談するのがいいだろう。


学校生活において、忘れ物や離席、衝動性や暴言などを繰り返し、先生に何度も叱られているのであれば薬の服用も少しは効果があるので、出来るだけ早い時期(小学1年生以上)に相談されることをおすすめする。

なぜなら学童期は勤勉性や社会性、協調性などを育てる大切な時期であるし、そもそも自信を失いかねないからだ。

しかし、何度も言うが「家庭環境が変わらなければ薬の効果はあまり期待できない」

風邪や胃腸炎じゃあるまいし、薬でコロッと治っていたら不登校は増えていない。

ではなぜ「薬を服用した方が楽」だと言うのか

逆を言うと「薬を服用して、さらに家庭環境も改善」されていたら、相乗効果で最大の効果が期待できるからだ。

子供を変えようとするのではなく、先ず親が変わる。そして子供の成長を待つ。

これが鉄則です。


そして家庭環境の改善とは

叱るのではなく、「工夫」をして欲しいのです

「○○しなさい」「早くしなさい」「○○しないと○○出来ない」などの言葉を毎日のように口にしていることは、子供の経験を奪い、成長や想像力、考える力や、ヤル気を奪っていることに早く気づかなければならない。


「お母さんが代わりに考えるから、あなたは頭を使わなくてよろしい」

「お母さんの言う通りにすれば間違いないのだから、これからも私の言うことを聞いていればいい」

子供の成長を阻むこれらの悪行をやめなければ、子供が子供のまま大人になって

「言われたことしか出来ない」

「失敗したら人のせい」

「何をすればいいのか分からない」

大人になりますよ

会社までついて行く気ですか?と言いたい



子供はあなたの分身でもないし、所有物でもない。

喜びと感謝を与えてくれる神様からの預かり物で、20を過ぎたら手放さなければならないのです。

子供は手がかかるのが当たり前
子供は思い通りにいかないのは当然

「子供ってこんなもんだ」と、その元気な姿を喜ばれた子は、20を過ぎたら親の懐から飛び出して行ってしまう。













発達障害を色で表現するとわかりやすい

2021-06-29 13:11:00 | 日記
発達障害を色で表現するとわかりやすい

例えばADHDを赤  自閉スペクトラム症を青
学習障害を黄色 にしてみよう

単色の、単色の、単色の黄色という子はほとんどいない。

ADHDも自閉スペクトラム症もあるけれど、ADHDの特徴が強い赤紫の子や、自閉の方が強い青紫の子。はたまた、ADHDとLDがあるオレンジの子…全部混じった🌈虹色の子

そしてその特徴の強さを色の濃さで表現してみる。

特徴の強い子は濃く、定型発達に近い子は薄く…

と言った具合だ。

さぁ我が子はどんなカラーを持つ宝石か

サファイアですか?
エメラルド?
ルビーですか?
ガーネット?


さて、問題は色や濃さではない

その色に輝きがあるかどうかなのである。

矯正され、叱られ、隣の子と同じように、と厳しく躾され、比べられ、せっかくのカラーを隠すように育てられた子は、その輝きを失ってしまう。

一方
褒められ、大事にされ、愛され、受け入れられ、包み込まれるように磨かれた子は、美しく輝き、世界に一つだけの宝石になる。


発達障害の子の未来を、泥団子にするか宝石にするかは親次第だ。




ADHDとLDがある子供

2021-06-27 22:24:00 | 日記
ADHDとLDがある子供が1番不幸ではないかとふと思う。

なぜなら知的障害や自閉スペクトラム症の子供は、ある意味わかりやすく、親や先生が理解しようとしてくれるが、

このADHDとLDの子供は知的障害がないために、単なる「怠け」と思われがちだからだ。

ADHDの子供は不器用で忘れっぽく、衝動性があり、多動だ。
「不器用」と一言にいっても、それは絵や運動に限らず、感情のコントロールも不器用であり、すぐに泣いたり怒ったり、癇癪を起こしたりすることもあるし、極端な思考回路に陥ることもある。

知的に遅れがない故に、会話に不自由しない為、口答えは一丁前で、親を怒らせるようなことばかり口にしたりする。

そして言うことは立派なのに、勉強がてんで出来ないし、何度も何度も同じ失敗を繰り返すのだ。

さらにLDがあると漢字が模様に見えたり、文章を読む時は一字一字読むために、内容が入ってこなかったり、流れるようにスムーズに読めない。

どんなに叱られても普通学級で行われているような学習法では身につくことは無い。

かといって知的障害がないために、支援学級には入れない。
或いは学校の配慮で支援学級に入れたとしても、お友達と普通に遊べて会話もできているのに、「なぜ僕は(私は)支援学級なんだろう…」と自信を無くしてしまう子もいる。


この子達ほど叱られて育つ子達はいないのでは無いだろうか…


ところで、自閉スペクトラム症の子は、そもそも他人に興味が無いので、他人と比べたりして「自分はどうしてこんなに下手くそなんだろう」と落ち込んだりしない。

しかし、この子達は「あんなふうになりたい」「もっと上手になりたい」と強く強く思っているのだ。
他人と自分を比べ毎日のように落ち込む日々を過ごしている。

叱られて比べられて、ガッカリされる日々は、この子達にどのような影響をもたらすかといえば…偏差値の低い高校の生徒を見ればわかるだろう。


この子達を叱らないで育てて欲しい。
とびきりの笑顔と愛嬌を喜びに変えて欲しい。

そうしたらその抜群のコミニュケーション能力を最大限に発揮し、愛し愛される豊かな未来がその子を待っている。

どうかどうか叱らないで育てて欲しい。

そう願っている。






「治してください」と子供を児童精神科に連れてくる親

2021-06-25 20:18:00 | 日記
「治してください」と医者に丸投げしようとする親がいる。

はっきり言って医者に子供の心は治せない。

薬で治ると思っている親もいるらしい。

確かに薬は小学生の早いうちから服用すれば、学校で叱られる回数が「少し」減るかもしれないことから、全く効果がないとは言わない。

しかしだ、薬を飲んでいても、家庭環境が変わらなければ、殆どその効果は期待できない。

つまり、結論を先に言うと

「親が落ち着けば子供は落ち着く」

親の不安が子供を不安にさせ、親の焦りが子供を追い詰めるのだ。

子供を監視するのをやめ、コントロールしようとする行動をやめればいい。

母親の笑顔と安心が、子供の心の1番の薬になることを知ってもらいたい。

「この子のために私はどうすればいいですか?」と来院される家庭は、大体安定していくが、「この子を何とかしてください」と言われ連れてこられる子供は残念ながらどうすることも出来ないことが多い。

その親に「子供を許してあげてください」「受け入れてあげてください」「休ませてあげてください」と伝えても、「そんな事してこの先困るのはこの子です!」「出来なくて良いわけないじゃないですか!」と怒り病院には来なくなるからだ。

子供を苦しめていることに気づいていないばかりか、「苦しんでいるのは私!」と言わんばかりの剣幕で「私はこんなに頑張ってる」を主張する。

その頑張りが子供を苦しめ追い詰めていることに早く気づかなければ、長い長い親子の戦いが訪れるだろう。

それは「家庭内暴力」なのか「引きこもり」なのか「自殺」なのかは分からない。
傷つけた分だけ利子がついて返って来ると断言出来る。

何を恐れているのだろうか…

学校に行かないと浮浪者になると思っている親がいる。

ゲームばかりで昼夜が逆転したら引きこもりになると怯える親がいる。


なったって別にいいじゃん
子供が幸せに生きてれば( *´꒳`* )

そう思って自由にさせ、親自身が自身の楽しみを見つけてニコニコ過ごしてごらんなさい。

子供は自分の将来と向き合い、1歩も2歩も前に進みますよ
それは5年後か10年後かそんなことは分からない。

でも待つんですよ


生きてさえいてくれたらそれでいい

親にそう思ってもらえた時、やっと子供はスタートラインに立てるのだ。




















あなたは発達障害か?

2021-06-25 08:56:00 | 日記
「発達障害」の線引きは、はっきり引けるものでは無い。

診る医者によって変わるだろう

それは「ハンサムかブサイクか」の線引きに似ている。

この人は誰が見ても「ハンサムだ」と言う人もいるだろう、しかしこの人は、見る人によっては「ハンサムかもしれない」

こんな具合だ。

しかしこんな線はどうでもいい

必要な時といえば、支援を受けたりサービスを利用する時に提出する「診断書」が必要な時くらいだ。


その人の持つ特性を理解して環境を整えればなんの問題もない。

「訓練すれば治る」などと言われた時代もあったが、それは目の悪い人に「よく目を凝らして見ていたらいずれ見えるようになるから頑張れ」と、言っているようなもの

四の五の言わずに眼鏡をかけるでしょう

それと同じ

周りが眼鏡になればいい…それだけの話

わざわざ線をひかず、助け合える豊かな社会が出来ればと思う。


偏見やいじめの境界線

その線…必要ですか??