夏休みは
不登校の子供達にとっても嬉しいのだ。
なぜなら小言から解放され「堂々と休める」から
しかし、彼らの心は快晴ではない。
二学期が始まるカウントダウンが付きまとっているからだ。
夏休み明けは、子供の自殺が最も多い。
子供の命より大切なものなんてない!
学校は、命をかけて行かなければならないところなのだろうか…
死んでから後悔しても遅い
子供を追い詰めてるのは学校ではなく母親です。
なぜなら行かせなければ済むことだから
保健室でもいいから「行け」と言う母親がいる。
保健室登校の子供には、教室にも家にも自分の居場所がない。
学校側は「不登校児童の数」を教育委員会に報告しなければならない。
不登校児童とは、一定期間連続して休んでいる子供のことを指す。
校門まで来れば「早退」となり、カウントされないのだ。
だから「プリントだけでも取りにおいで」とか「給食だけでも食べに来たら?」とか「元気な顔だけでも見せて」など、あらゆる理由をつけて来させようとする。
本当に子供の心配をしてくれている先生も中にはいるかもしれないが、「自分の評価」「学校の評価」を気にしているとしか思えない先生も多くいる。
なぜなら、本当に心配してくれているのなら「来い」とは言えないはずだし、毎日毎日親に「休みます」の電話をさせないはずだ。
中にはクラスのみんなに手紙など書かせ、代表の子供に家に届けさせたりする暴挙に出る先生もいる。
安全地帯であるはずの家まで来られ、嬉しいとでも思っているのだろうか。
怖くて怯えて隠れているのに「みーつけた」と言われる恐怖。
余計学校に行けなくなる。
学校に行けない理由は一つではありません。
物凄く沢山の「合わない」から「キツさ」「不安」「恐怖」…を感じるうち、人が怖くなり、話せなくなり、笑えなくなるのです。
勉強が心配なら塾でいい。
そして子供に勉強勉強言うならば、親自身も勉強している姿を子供に見せるべきだ。
子供は親の姿をコピーする。
息子は、不登校だった中2からは、夏休みが嫌いだったと思います。
外に出れば、同級生に会うリスクがあるからでした。
確かに、別室登校とか進められました。数ヶ月は通えましたが、結局ダメでした。
でも、無理に学校に来るようにとは言われませんでした。
ただ、私がプリントだけもらいに行こうと何回か一緒に行った事があります。嫌だったでしょうね。
その後は、自分から友達と話したいからと、下校時間に行き、出席だけ申告し、友達と帰ってきたりしていました。
しかし、3年生の秋から、やはりコミュニケーションの苦手さから、力尽きました。
しかし、ケジメなのか、卒業式には、式が終わりホームルームの時間には、教室に入り、担任から卒業証書を受け取りました。
やはり、エネルギーが溜まれば、自分で決めて行動出来るんだと思いました。
その後、高校に行けるまでは、1年弱かかりました。(緊急事態で登校出来なかったり)
私も居場所がどこにもないと言われた事があります。きっと、想像するより、ずっと辛かったですよね。