ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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佐川美術館

2007年09月28日 | マミム・メモ

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 湖西線堅田方面から琵琶湖大橋を渡ってまもなくのところにある佐川美術館は私が一息つきたいときに訪れるお気に入りスポットの一つである。敷地に足を踏み入れると、小刻みに波立つ広大な人工の水庭があり、そこに浮かぶように建てられた軒の深い切妻屋根の2棟の建物が訪れる者を包み込むように迎え入れてくれる。コンクリートなのに冷たさや硬さはない。それどころか、どっしりとした重厚感のなかに柔らかな温もりさえ感じる。建物に近づくと、水庭を循環する流水の音がからだ全体を心地よいバイブレーションで満たしてくれる。所蔵されている平山郁夫の絵画と佐藤忠良の彫刻もさることながら、私はこの美術館のたたずまいに魅かれる。日光を受けてキラキラと輝く水面、そこに戯れる蜻蛉、水中にじっと立つ彫像。そんな光景を、ガラス張りの廊下やカフェテリアから眺めていると時間の立つのも忘れてしまう。

 そんな佐川美術館に、樂家の15代当主樂吉左衞門氏が設計した茶室が完成したというのでさっそく出かけてみた。水庭の中にもぐるように降りていき、水中の小間を経て水庭と同じレベルに立つ広間に出て行くという奇抜な演出。千利休の「守破離」考えの体現を目指したというだけあって、何もかも型破りで現代的だ。それなのに不思議に落ち着く。ジンバブエ産の割り石をふんだんに使い、オーストラリアで廃線になった鉄道の枕木までも取り入れていて、日本産の素材は和紙ぐらいだという。ブラックコンクリートの壁に浮かび上がる杉板でつけた淡い模様にも、どこか朽ちかけた木の懐かしさが漂う。

 水中から広間に出て外に眼を向けると、葭の生い茂った島の向こうに比良の山々と広い空が広がる。

 「茶碗も茶室も目的ではなくなにかを得るための手段にすぎない。茶とはなにかという問いのこたえがたとえば夕日だったりしてもよいのだろうと思わせてくれた。」(『芸術新潮10月号』p.119)

  広間に正座して背筋を伸ばしたとき、私も同じような感慨を抱いていた。

佐川美術館

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