12月の保江先生の講演会や先生の本で
紹介された畑田天眞如阿闍梨さんの本が来ました。
夢中になって読み終えました。
ときどき黙っていても涙がで出てきました。僕は涙もろいから。
保江先生の話では、「安部山のおばあちゃん」で
超能力のある人とその逸話のひとつを話されていました。
でも、畑田天眞如さんの本を読んでいて先生とは違った感じを持ちました。
最初に、鞍馬山の話です。写真は、5月に鞍馬山を訪れた時のものです。
私たちは親子三人の生活を始めるようになったのです。
そのような思いに至るまでにはさまざまなことや思いの苦悩がありました。
あまりにも毎日がつらいものですから、知らず知らずのうちに私は自殺の思いにとらわれて
しまうようになったのです。
私か辛抱すればするほど、みんなを苦しめるのではないか?
私さえいなくなれば、義父母も親戚も、主人の味方をしてくれるのではないか?
と思ったのです。
かわいいお地蔵さん
その思いにばかりとらわれて、それ以外のことは考えられなくなり、
とうとう、主人には阿部山に行くと嘘を言って、節子を連れて京都の鞍馬山に登りました。
自殺をするつもりの私は、二週間飲まず食わずでしたが、
驚いたことに、母乳は溢れるほどよく出るのです。
たくさん母乳を飲んだ節子は機嫌もよく、無邪気に笑って、
私の心を和らげ、安らぎすら与えてくれました。
十四日目の明け方、
「馬鹿者、親の心がわからぬかツー」という大きな声に驚いて、座り直して声のするほうを見上げました。
すると、大きな男の方が立って私たちを見下ろしていたのです。
その方は「明日の朝もう一度姿を現すから、筆と紙を用意して持て」とだけ言われて、お姿を消されました。
私は何か何やらわからないまま、紙と筆を借りるために、
道なき道をどのように進んだか覚えていませんが、
なんとか鞍馬寺にたどり着きました。
こんな道を暗い中歩いたのでしょうね。
そこで私の話を聞いてくれた方が管長様とはわからず、
ご挨拶させていただいた後、
半紙と筆をいただいて引き返してきました。
その日一日は落ち着かず、ただおろおろとして日を過ごしました。
私は約束の刻限になるのを恐る恐る待っていると、
「予は魔王尊(サナートークマラ)なるぞ」という声が聞こえました。
私は節子の体を抱きしめて、ひれ伏していました。
魔王尊は、「神は必要な人間か、そうでない人間か、いろいろの苦労を与えてみるものだ。
そのような親心がわからぬか?なんでも自分で生きているように思っておるが、よく考えてみよ」と言われて、
半紙二十枚くらいに書き留められる教えを私に語っていただきました。
私はひと言も聞き逃すまいと、半紙に書き留めました。
伝え終わると、魔王尊はそのままお姿を消されました。
お姿が見えなくなった後も、とてもこの世のものとは思えない香りが漂って、
まるで夢の中にいるような感覚でした。
本殿です。
ありかたくて、もったいなくて、身体中が震えてしばらくは身動きもできませんでした
「神は常にわがそばにいてくださる」。
私の思いは、間違ってはいなかった。祖母が常々、
「『天知る、地知る、人知る、我知る』と言っているように、自分のすることは、
いつも見てくれている人がいる、聞いている人もいる、思ってくれ、
支えて助けてくれる人がいる。
だから、自分は言葉を知っているから何を言ってもいい、何をしても
よいということではないよ。
相手の心に痛いこと、つらいこと、言われたり聞かれたり
嬉しくない言葉は使ってはいけない。
必ず自分に返ってくるから。
それもいちばん困っているときほど重なって返ってくるものだから、
余計につらい思いをするようになるんだよ。
だから言ったり尋ねたりしてはいけない。
悪いことと知らなくてすることだって、
私たちはたくさんしているのだから。
それでも生きることを許されているのだから、ありがたいだろう?」
祖母は、何かあっても明るい笑顔で過ごし、
私たちにお手本を見せてくれていた人でした。
このように考えてみると、
私はすてきな人たちに恵まれ、育てられたと感謝しています。
畑田天眞如さんは、継母に罵倒暴言を浴びせられながら
それは、神様が自分に試練を与えていると考え、修行として自分を磨いて行きました。
その話の一つです。
私のお腹も順調に大きくなって、予定日近くになった十月の末のことです。
大きな芋をいっぱい詰めた荷物をかついで、畑から家まで帰るとき、
お腹が下がってきて荷物がかつげなくなり、
山道にさしかかったときに腹帯を締め直して、
その後また荷物をかつぎ直して家に戻ったのです。
すると義母から、「子どもが産まれたのかと思った。
えらく時間がかかったなあ」と皮肉を言われました。
道ですれ違う人たちでも、
「その身体で重い荷を担ぐなんて。気をつけて帰りなさいよ。
無理したらいけないよ」と優しく声をかけてくれたのに、
と不足の心がチラッと浮かんだのですが、
私はすぐに「いけない、いけない。お腹の子が泣き虫になったらかわいそうだ。
パワ-スポットの強い場所
私か明るくしなくては」と思い直して、
「お義母さん。道で産まれなくてよかったです。
産まれたら困りますもの」と、笑って返しました。
笑いながらも、今を不足に思わない、
ほかのことは考えないと心の中で繰り返しました。
私の出産予定日は十一月二十三日でしたが、
前日の二十二日に、義父母、主人の上の妹、義母の妹の四人が、
五泊六日の予定で京都見物に出かけてしまいました。
私は不安感をもてば赤ちゃんに影響するから、
あまり心配しないようにし、休みをもらった主人と出産準備をして待っていたのですが、
五日経っても産まれません。
予定日が問違いだったのだろうと思っていたとき、
義父母たちが帰ってきて、
「まだ産まれてないの? もう産まれただろうと思っていたのに」と言われたときは、
怖ろしささえ感じました。
階段を上って行くと正面に
そして密かに、自分一人でも立派に産んでみせるという覚悟をしました。
出産予定日を過ぎて、お腹は痛いし、出血もするのですが、
なかなか陣痛が起きず、苦しい思いをしました。
義父は「餅を作る頃には産まれるだろう」と言ってくれたのですが、
義母からは「正月に産まれたら旅行にも行かれないし、赤ん坊は泣くしで、
うるさい正月になってしまう」などと嫌みを言われました。
十二月二十七日頃から痛みが激しくなり、主人が心配してオロオロしながら義母に
「大丈夫だろうか?」と尋ねると、
「何も慌てることはない。産まれるときには産まれるのだから」と、取り合ってもらえませんでした。
十二月三十一日、まさに大晦日の夜十時頃、
お腹が激しく痛みだしたので、主人に産婆さんを呼びに行ってもらいました。
痛みに耐えている私の耳に、「慌てて自転車に反対向きに乗ってしまった!」という
主人の大きな声が聞こえ、一生懸命の主人の声が私への励ましのように聞こえ、
私はそんな中で、産まれてくる子どもの幸せと、
どのようなことがあってもこの子が成人するまでは生かせていただきたいと、一心に
祈りました。
是非、この本を読んで見てください。
僕も畑田さんに競べたら大した事でもないのに
腹を立て、なぜ腹がたつのだろうかと考え、
神様が僕に何かを語りかけているのではと思ってしまいます。
そしてこの年で、優しい笑顔でいられるようにと・・・・・・。
箱根勤行や奥駆けが終わると顔が優しくなるのを感じています。
鞍馬山の奥の院です。
今年の初めから仕事のことで、意見の相違からグル-プから離脱しました。
でも新しいことが次から次と、やって来てその渦中に埋もれないで済んでいます。
昨日も埼玉の古い友人から電話があり
「どうしたの? 何か助けることがあったら遠慮無く言ってよ」と
僕を育てて頂いた先生から話を聞いたとのことでした。
昔の仲間達は、どうしたんだと心配して頂きました。
話に尾ひれが付いて東京を越えて埼玉まで・・・・。
でもほんとうにありがたいものですね。
その一言がどんなに励みになるか知れません。
また、横浜を飛び出し大阪からの僕の技術の援助を依頼されました。
僕一人で出来ないときに、助けてねとお願いしました。
百万の味方が、現れてくれました。
一抹の不安のなかで、大阪のことや古い友人からの電話など
神様からのお恵みなのだと感じています。
中華街龍起さんで、教わりました。
悩んで霊能者に頼るのではなく、
神様を祈ることが一番大切だと。
畑田天眞如さんもいつも神様を祈っていました。
早速、1月には、櫻本螺声会の新年会で吉野まで。
役行者さんに会えるのを楽しみに!
この本を読んでいて
神様の試練を真剣に受け止めると自然に道が開けてくることを教えてくれました。
涙もろい僕は、何回か涙を流しました。
素敵な本ですよ。
こんど、畑田のおばあちゃんに会いに行こう!
明日は、感動した部分を紹介します。
僕は、年末になると何冊か本を買い込みます。
早速、2冊は読み終わりました。
ありがとうございました。