いよいよ観音崎灯台です。
半世紀も前に遠足で来た覚えがあります。
でもやはり怖い!!
螺旋階段を登ります。
日本最初の洋式灯台は観音崎灯台で明治2年です。
一番高い灯台は、島根県の出雲日御碕灯台で43.65m。
出雲の日御碕 1903年(明治36)4月1日に初点灯したが、建設当初から日本一の灯塔の高さを誇る大型の石造洋式灯台である。日本人の設計・施工によるもので、同県八束郡森山産の凝灰質砂岩を用い、柱状節理石英角斑岩の基盤の上に建ち、100余年の風雪に耐えてきた。
外のバルコニ-の床は雨を考慮してそとに傾いています。
やはり怖い!
8kgのザックを担いでいるので体のバランスが取れない。
奥駆けでも10kg近くのザックを担いで急傾斜の道を下ります。
でも灯台の方が怖い。
八幡神社 どこの神社も立派ですね。
「清め」のお話です。
高谷朝子さんの「宮中賢所物語」からです。
この文章を読むと、神さまに対する心構えがよく分かります。
賢所の生活におきまして、もっとも重要かつ基本的なのは「次清(つぎきよ)」に
ついてのしきたりでございます。
賢所は最高に尊く、最高にお清い神様でおいであそばします。
お護り申し上げますために、内掌典は常に身を清め、
衣服を清くして居住まいを正し、手を清くして御用を申し上げます。
清浄でないことを賢所では「次」と申します。
身体の下半身に手が触れました時や、足袋など履き物を扱います時、
財布(お金)に触れました時、外から受け取る郵便物や書類、宅配便など受け取りました時など、
このような場合は手が「次」になります。「次」になりました時は、必ずまず手を清まし(洗い)て清めます。
これに対して清浄なことを「清」とし、清いものと清くないものを「次」、「清」と区別して、
重ねて「次清」と申します。
どんなに細かなことでも厳格に自分で区別することが、最も基本の大切な心構えでございます。
着物を着替える時など、気をつけていても、
ついつい「次のもの(腰巻)」などを触ってしまいます。
「次」を触った手で他のものに触れてしまうと、清と次が混同してしまいますので、
触ったら間をおかず、すぐに手を清まします。
「次」になりました手は、水や、時に応じて、
おしろもの(お塩)をかけて清めることによって清浄になり、
「清」となります。おしろものもまた欠かすことのできませぬ大事なお清めでございます。
その清めます時にも、候所、仕舞所、お湯殿、お清所の水道栓は清いので、
「次」の手では直接触れることはできません。
清める時には次になりました手の平が触れることのないように
握りこぶしにして手の甲で栓をひねって水を出します。
普段から常に手を清く保ちながらも、御殿に上がります時には、さらに清く致します。(p40)
普段からの心構えが大切ですね。
宮中では、2000年以上も行われて来たのですね。
今の時代は、不安であり、西洋文化の合理的な感覚で
物事を判断してしまいがちです。
ギリシャ時代の文化が滅びたように
日本人の本来の姿を忘れたときに滅びてしまうのでしょうね。
自分が正しいと思っていることは、千年のスパンで見たときに
滅びの世界に進んでいることになることを、気づいていないことではないでしょうか。
高谷朝子さんの本で、そのことを教えていただきました。
ありがとうございました。