おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

箱根勤行その2 

2017-06-27 | 山伏修行

昨日の続きです。

箱根の旧東海道を歩きます。

所々は、石畳の道が続きます。

でも歩きにくい路です。昔の人は健脚でしたね。

 

 

 

 

 

 

自転車の若者が良く見かけるような日です。

でもかっこいいですね。

 

今日は小鳥に良く合います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

箱根天狗神社で般若心経一巻。

 

 

 

ありがとうございました。

今日は一日新宿で建築士の免許更新の講習会。

 

淸水義久さんの「気功」のH.Pから

 面白い記事を見つけました。http://kikou.info/page/cat2/cat1/659.php

眼の動かし方で自分の気持ちを表現しているそうです。

 

斜め上に目を動かしたなら「ビジュアル」で考えている。

一瞬でも水平方向に目を動かしたなら「音楽や言葉」を頭の中で思い出している。

そして、斜め下や下に目を動かしたと「感覚」であるフィジカルボディを感じている。

つまり、フィジカルボディとは、心地良いとか暖かいとか痛いとか熱いとかだ。

だから、「どこに旅行に行ったんですか?晴れてましたか?」と

聞くと相手が「えーっと、厳島神社に言ったんですけど・・・」といいつつ、

一瞬目が斜め上に動いたとしてたら、頭の中で画像を検索していって

「厳島神社の景色が綺麗だったんですよ。」となったり、

一瞬目が水平方向に動いたとしたら、音や言葉を思い出して

「神主さんの祝詞が素敵だったんですよ。」となったり、

一瞬目が斜め下に動いたとしたら、その時の感覚を思い出して、

「心地よい風が吹いていい天気でしたね。」となったりする。

この3種類は、まさに空海の三密加持。

「身密(フィジカル)」「口密(音・言葉)」「意密(イメージ)」。

また、左右についていは、簡単だ。

その人から見て左側は「過去」であり、右側は「未来」。

だから過去を思い出そうとすると「左方向」に目が動き、

何か未来のことを想像しようとすると「右方向」に目が動く。

ただし、これは100%全員同じではなく、

人によって左右反対のケースがあるので、

一度想像した動きを人に見てもらうといいだろう。

さて、目の訓練などしていない限り、

あなたの目には動作制限があるはずだ。

過去のイメージを思い出したくなければ「左上」が見づらいし、

未来を言葉で想像しづらければ「右横」が見づらい。

自分の目をぐるっと一周動かしてみると、

動かしづらい部分があるだろう。それに気付くことが第一歩。

そして、このように目がスイッチになることがわかると、色々と活用ができる。

 

でも人間って不思議な動物なのですね。

だから人は神さまだと言われるのかも知れませんね。

 

コメント
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