故杉本秀太郎先生の花ごよみから
「海棠」
時雨音羽編著『日本歌謡集』(昭和三十八年、社会思想社、現代教養文庫四四三)に、音羽の作詞、島田逸平作曲になる「海棠の歌」が収められている。
作詞作曲は昭和十六年頃か
姿やさしい海棠の
花につれない夜の雨
あらしになったらなんとしよう
乙女心をそのままに
きょうもあの日の夢に咲く
悲しいわかれじゃないかしら
雨は涙か引く糸か
花を見せたい人は来ず
逢わずに散るったら「なんとしよう。
心がかりな花の色
短い夢をひとり咲く
このまま散るのじゃないかしら
そして音羽の自註に
映画の主題歌。わが家の庭に一本これがあった。毎年咲いて雨に濡れると
この唄を思い出したものだ。
〔昭和〕二十年の春、見事な花をつけ、その花の終るか終らない頃、
大空襲となり、家もろとも焼け失せてしまった。
それから海棠を見ない。
長谷寺の北側に光則寺があります。
境内にお庭には沢山のお花があります。
鎌倉市の登録された老木「海棠」があります。
花の咲いている時期は短いので。
3/6日は蕾が膨らんでいました。
本堂を囲む鉄骨の仮設骨組みが建ち始ました。
今年は桜は無理でしょうね。
ありがとうございました。
我那覇真子さんのブログで一緒に調査に同行した
Chuck Holtonさんのブログから。
我那覇さんは、動画をどうして撮影しているのかを
知ることができました。
コロンビアからハバナに渡った難民です。
小さい子供を連れて3000km以上の先の米国に歩いて行くのです。
メキシコと米国との壁を越えて米国に移動する難民です。
下の写真で我那覇さんが、撮影している様子です。
最初に動画を見たときに誰かに助けて貰っているのかと思いました。
ホルトンさんのレポ-トの一部です。(同時翻訳から)