おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

白川静+梅原猛の対談本 ”呪の思想”から

2017-06-03 | 読書感想

武田鉄矢さんは、白川静先生に心の底から

尊敬して「今朝の三枚おろし」でとうとうと語っています。

僕もいつの間にか引き込まれてしまします。

 「言霊」は願望を叶える目的で使われることが時々見られます。

 漢字がどのように発生したのかを知ると、それらのことに疑問を持ちます。

原点に返って見るべきではないでしょうか。

白川静先生と梅原猛先生の対談を読むといろいろと

教わります。

その中から一部紹介します。

 

白川静の或る言葉とは-                   一    

 

呪的儀礼を文字として形象化したものが漢字である

 

祭の中には、無数の漢字がうごめいていた。どこへ赴いても[サイU  ]はあり、[哉」はあった。

:サはUに上に一を書き蓋のような文字で白川静博士が見つけ出した。

 [哉」は口がない文字でさいと読みます。

初めて、その高い呪性 。

「左」も「右」も神に祈る形である。さらにこの二つの文字を上下に重ねると

「尋」ねるという字になる。

誰を? 何を? たずねるの? もちろん、神を尋ねるのである。

社の左右に立つ大御幣を持った二人。

神を尋ねていた。そしてその場を祓い、清めていた。(別冊太陽 白川静の世界から)

 

 

梅原 その妊婦について言えば、縄文の土偶は、全部妊婦なんです。

成年の女性で、腹が大きい。これが一つめの特徴です。

二つめは顔がみな異様な形をしていることです。ミミズク形とか円

筒形とかハート型とか、いずれにしてもこの世の人の顔ではない。

三つめは腹に縦一文字の筋がある。へこんでいるのも盛り上がってるのも

あるんですけどね。

四つめはみんな手足や胴体がバラバラになっていて、完全なものは一つも

ない、壊してある。最後は総てに当てはまるものではありませんが、丁寧に埋

葬してあるものもある。

この五つの特徴がある。

 その土偶の意味が長い間解らんかったんですが、ハル婆ちゃんにアイヌの葬

法について聞きますと、妊婦を埋葬するのがいちばん難しいと言うんです。

いうのは、子供が産まれるというのは新しく生まれるのではなくて、祖先の誰

かが帰って来たということなんです。だから子供が出来ると、あの世のA家と

B家の祖先が相談して、誰を帰すか決める。で、決まったら妊婦の腹に入って、

月が満ちて生まれて来る。とすると、妊婦が死ぬとせっかく先祖の人がこの世

へ帰って来だのに、閉じ寵められて出られないということになる。これは大き

なタタリになる。ですから妊婦が死ぬといったん葬り、後に霊を司るお婆さん

が墓に行き、妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦にその子を抱かせて葬る

ということを聞いたんです。

 そういうアイヌの話から土偶を見ると、「妊婦」「異様な顔」(死者の顔)「腹

を縦に割く」(赤子を取り出す)「バラバラにする」(この世で不完全なものはあの世

で完全という思想)「丁寧に埋葬されている」という条件が総て当てはまる。

こういうことをある雑誌に書きましたら、福島県の方から手紙を頂いて、福島の

方では明治の頃までは、死んだ妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦に抱か

せて、藁人形を添えて葬るという風習があり、それが法律に触れたといって裁

判になったというエッセイを送って頂いたんです。この話を聞いて、この縄文

の風習が日本の本州でまだ残っていたことに驚きました。土偶は藁人形と同じ

役割をしているに違いありません。だから土偶は妊婦が死んだ場合に用いたも

のだということに間違いありません。ですから先生のお話をお聞きしますと、

殷でも妊婦が特別な役割をする。殷で妊婦の腹を叩くというのは、縄文の妊婦

の腹を切るという風習と繋がるのではないでしょうか。

この風習が、弥生時代になるとなくなるんですよ。入墨がなくなるのと同じ

ようになくなるんです。やっぱりこれは生まれ変わりなんですよ。この世の人

があの世へ行って、生まれ変わって来る。縄文時代の思想では子孫となって生

まれ変わって来る。ところが弥生時代になると、甕棺なんか見ますと、個人の

遺体を腐らぬように保存しようとしている。子孫として生まれ変わるのなら個

人の遺体は保存しなくてもいいんです。遺体は霊の脱ぎ捨てる着物に過ぎない。

 どころが弥生時代になると屍を大事にする。これは個人の不死という考え

方ですよ。これ中国から来た思想だと思いますけどね。ですから妊婦の話を聞

きますと、ひょっとしたら殷の時代にもあるんじゃないかと思いますね。

 

白川 生まれる時も死ぬ時も「衣」がモチーフになって字が出来るんですがね。

例えば「産」恚いう宇もね、この「生」の所に、「初」(産衣)が入る字がある。

死んでからの儀礼ですとね、殆どの字にみな「衣」が入るんです。

梅原 どういう意味なんでしょうか、死んだ時に「衣」というのは。

白川 例えば襟もとに祝詞を添えて、これ、「哀」ですね。これに「目」を添

えて、胸に環を入れて、帰って来なさいと、これ「還」という宇になる。

梅原 これ「目」ですか。

白川 そう、これ「目」です。

梅原 死んでから生き返って来るんですか。

白川 そう、「再生」することが基本で葬儀が行われる。

梅原 それで葬儀が儀式の中ではいちばん大切ですね。再生しなくてはならん

から。

白川 死んで封じ込める時、襟元を閉じるんですよ、これ「卒」という字。

梅原 「目」というのは重要ですね。遮光器土偶というのがありますが、こん

な大きな目をしているのに中は堅くつぶれている。やはり死んだ入間なんです。

ではどうして大きな眼嵩をしているのか。これは『ユーカラ』を読んでて解っ

たんですが、目のある死人と目のない死人が出てまして、目のある方は再生可

能な死人を意味する。だから再生可能を示すために大変大きな目を付けた。目

は再生のシソボルなんですよ

 

長野県茅野市で発見された土偶。

縄文のビ-ナスと言われる土偶でほぼ完全な形で発見されている。

 

仮面の女神もほぼ完全な形で発見されています。両方とも国宝である。

この7月のホロトロピックの断食会の前にご対面してこようと考えています。

古事記では、出雲を追われて諏訪に逃げてきたお話があります。

長野県で発見された土偶や土器は、芸術的に高いものです。

本物は、オ-ラがでていますので、逢ってみたいですね。

 

白川 上に「目」を置いて、襟に「玉」を置いて、「環」。「玉」は生命の復活を意味した。

梅原 古代日本の信仰は「玉」なんですね。私が館長をしている三方の

縄文博物館が調査している鳥浜遺跡と青森の三内丸山遺跡を見ると、

米が出て来ないんですが、あとのものはみんな共通に出て来る。

玉とか瓢箪とか。みな中国と同じものが出て来る。

「玉」の甦りの思想が入って来ていると思う。

玉の文化は稲作より遥か前に入った。

大変面白い話ですが、「衣」とはどういう意味でしょうか

白川 「衣」はね、魂の受け渡しをやるという信仰がある。

魂寄せ。『尚書』に「顧命」篇というのがあって、

例えば即位式の時、現在の王さまが余命いくばくもないという時、

王の衣を脱がせて中庭に置く。

そうすると跡継ぎが臣下を連れて中庭に臨んで、

その衣を受け取るという形で、王位の継承をやるんです。

大体「依」という字は人に依りかかるんではなくて、

人に魂を移すという意味です。

真床襲衾(まどこおぶすま)と同じです。

憑依、大嘗祭と一緒です。

殷と日本は衣に対する観念が似ていると思います。

梅原 折口信夫は新天皇が布団に横たわる前の天皇の屍の側で

寝るんだという解説をしている。

これでは死臭もするし、えらいこっちゃと思うんですが、

先生のおっしゃる「衣」を受け継ぐということだったらよく解るんです。

銀色え大きく書かれているのが「さい」です。

 

 

 

 

この土偶に武田鉄矢さんは、何を眺めているのだろうか。

縄文時代のことと、白川漢字学を読んでいて祈りの原点を語りかけてきます。

2千年も3千年も人は同じなのですね。

それを忘れてはならないと思います。

清水義久さんのセミナ-は、まだ2回しか受けていませんが

その原点を淸水流に解き明かしているような気がしています。

「無意識」のうちに脳にしまい込まれたことを引き出す方法を

淸水さんは自分では気づいていないかも知れませんが、それを教えてくれています。

ありがとうございました。

不思議といろいろなことが絡み合ってきます。

 

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