町並み情景工房

大坂の陣その2道明寺

冬の陣、「真田丸ジオラマ」を、その1として、没後400年で次に移りました。
今回からは「夏の陣」をジオラマで表現”

その2は・・・「道明寺合戦」
  3は・・・「志紀神社」
  4は・・・「天王寺」
  5は・・・「大坂城」と
それぞれの現地へ出向き写真に収めます(日時は未定)

2018・5月3日
道明寺天満宮に、の予定が、雨で中止”
   ・5月4日「志紀神社」へ行きました。



上のように、全長360㎝を展示
「道明寺合戦」ジオラマ・・・
道明寺から、天満宮、石川、松尾山のふもと、までを・・・忠実にでは無く、再現(位置関係だけは何度も歩いて調査済”)



上は「軍旗、太刀奉納」ジオラマ
この神社に数年預けていたのですが、ブログ等での露出回数3回と少なくて、メンテナンスの必要も・・・と、今日持ち帰りました。

石川の堤防から見た天満宮

伊達軍の「おお筒」


九曜の旗印は、伊達の先鋒「片倉軍」
神社の境内に本陣をしき、「真田軍」を迎えます。

中ほどに「東高野街道」(現存”)が・・・

注”・・・実際の戦闘場所は、ここの西南にあたる「誉田神社」の東面です、古墳がたくさんあり、伊達軍の進行を食い止めるには、道幅、兵の展開など、「信繁」の策であったと考えます。

※・・・忠実、正確、ではありませんが、ジオラマの絵的にと、こんな形に・・・。

・この後、軍は、高野街道、瓜破から平野街道(全興寺)を経て本陣「茶臼山」に入ったものと推測(かってに幸村ロードと命名)

今日の笑覧者、予想どおり少なく、他府県からは、父子3人の、滋賀ナンバー、一台のみでした。

私のなかでは「真田」は終わっていて、赤備えの半分は、色の塗り替えをし、「徳川軍」「織田軍」になっていますが、自宅10キロ圏内に関連地が多くあり、需要??も。まだまだ・・・?。
※余談・ちなみに、「明智軍」にも・・・軍旗はすでに完成済みです。

地元の人の笑覧はたくさんでした、皆さん深見で・・・、
 励ましの言葉も・・・ありがとうございました。

追記・・・明日5日、最後の決戦地「四天王寺」界隈を、
     人の少ない午前 中に、台車ライブを予定しています。




町おこしのためのジオラマです。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「立体絵画」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事