まあちゃんのエッセイです、読んでね!

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英才教育って、一言で言うけれど

2012-06-05 14:27:14 | 英才教育
英才教育って、一言で言うけれど

●私も「英才教育」受けたかったなあ

 私の大好きな卓球の世界でも小学生がグーンと伸びてきています。
先日行われた全日本選手権でも目覚ましい活躍を遂げました。
男子は高校生が全日本チャンピオンになりました。
卓球にかぎらず他のスポーツでもみんな3才くらいから親の手ほどきを受け、
英才教育を受けているようです。

 子どもが小学生にあがって手がはなれてからPTAでポコポコやり始めた私は、
彼らたちのスゴさに、ただ指をくわえて目をまん丸にして見ているだけです。
「あ一あ、私ももっと子どものころからやってればよかったな」と、いつも試合
にでるたびにくやし涙とともにこの言葉がでてきます。

 「英才教育か、幼いころから両親に力をいれてもらっていたら、ひょっとして
私だってチャンピオンに・・」「ダメダメ、運動神経も才能も必要なのよ」と、
もう一人の私がたしなめます。
その英才教育ですが、最近考えさせられることがありました。その様子を書いて
みたいと思います。



●春ちゃんの英語英才教育

若い友だちの一人である春ちゃんが久しぶりに遊びにきました。

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 私 「あれ、一人なの・・健君は(3才)?」
 春 「え、うん、健ね、ちょっと入れてる所があってね」春ちゃんは心なしかうれしそう。
 私 「ふ一ん、保育所かどっかでみてもらってるの?」

   (お茶とケーキを用意しながら、春ちゃんの顔を見ると「それがね、いい所があったの
   よ」と身を乗り出しながら声がはずんでいます。)

 春 「キッズ英語学校なの。朝10時からお昼の3時まで。『うちは英才教育をします』っ
    だってさ」
 私 「え、英語、だってまだ3才でしょ。それなのに英語学校なの?」

   (不思議そうに聞く私に春ちゃんの話しは続きます。)

 春 「そうなの、そこわね、英語で話しかけたり絵本を読んだりしてくれるの。遊びも歌も
    ぜ一んぶ英語よ。こないだ見学に行って「ヨシ、ココだ!」って、すぐに申し込んで
    ね。もう三ケ月になるかな。
 私 「ふ一ん、月水金と週に三日も行くの。英語の英才教育か、三才からね一。
    このごろはずごいね一」
 春 「他にね、リズム教室にも入れてるの。英語のリズムがよくなるからってすすめられて
    ね」
 私 「それで、なんかいい影響でてきた?」
 春 「そうなの、このごろグーンと伸びてきてね。単語が口から出てくるのよ。うれしいわ
 私 「どんな単語しゃべれるの?」
 春 「アップルとかエアプレインとかね。こないだなんか『ママビューティフル』って
    言ったわよ」

 私 「え一!『ママビューティフル』ですって。うらやましいな、もうしゃべつてるじゃ
    ない。。これも英才教育の成果だわね」

   (出来上がったベストなものを誰よりも早い段階で、子どもに教え育てる教育のすばら
   しさ。その毎日のなかから子どもはぐんぐん伸びて、やがてはびっくりするような
   スーパースターに育っていくのだろう。すばらしい能力を発揮する子どもたちの後ろ
   で、手を取り合って喜んでいる両親の姿が目に映るようです。)

 私 「伸びるってことは素晴らしいことよね。で、ご主人はなんておっしゃってるの。もち
    ろん喜んでおられるでしょう」
 春 「う一ん、主人はね、なんにもわかってないのよ。『なんでそんな小さい子にそんなに
    お金かけるんだ。オレが稼いだ給料だぞ』って言うのよ。説明しても反対ばっかり。
    だからこのごろあまり英語のことは言わないことにしてるの」
 私 「じゃ あなた独りで決めて健君を英語学校に入れてるってこと?」
 春 「そうなるかな、でも健のためですもの。それに健は喜んで行ってるのよ」
 私 「春ちゃん、あのね、一番大切なことが抜けおちていない? 家庭ってね、お父さんと
    お母さんがけんかしながらでも話し合って、二人で子どもの教育について決めていく
    ことが大事なんじゃない? その話し合いのプロセスでお互い理解ができるようになる
    し、けんかしたり仲直りしたりそんな二人の姿をみて子どもはコミュニケーションの
    大切さを自然に学んでいくと思うんだけど」
 
 春 「・・・」
 
 私 「英語ってコミュニケーションの道具なのよね。別の言葉で言うとツール。私には春
    ちゃんがそのツールばかり磨いてる気がするけど。両親が向き合ってコミュニケー
    ションの神髄を子どもに伝えることができたら、そのツールは見事に生きてくるで
    しょうね」
 
 春 「・・・」

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 春ちゃんはきょとんとした顔つきでした。そうか、他人がとやかく言うことではないか。

私、またおせっかいおばさんやつちゃった。

「お紅茶さめちゃうからどうぞ召し上がれ。このケーキおいしいのよ」

甲状腺ガンは、「一病息災」のお守り

2012-06-05 13:56:58 | 甲状腺ガン

『甲状腺ガンは、「一病息災」のお守り』

●初めての定期検診の日

 初めての検診の日がやってきました。「甲状腺ガン」と診断さ
れて、半年後のことです。朝5時に起きて、モダン寺の坂をのぼ
ります。私もガン患者になってから、はや半年がたったんだ。
今日はなんて言われるだろう。『ガンが大きくなってますね』だ
ろうか。いや『たいへんです! 気管支に転移しています。すぐ手
術しないと危ないですよ』と言われたらどうしょう。考えただけ
で気分が滅入ります。「喉を切る手術って恐いな。私の命もこれ
までか」と、またも心臓がドキドキしてきました。


 一時間後、診察室で次のように言われました。「藤原さん、緊
張されてますね。だいじょうぶですよ。7.5ミリです。1cm以上
になったら取りましょう。また半年後にきてください」。
「え、半年でO.5mm大きくなっただけ! そんなんでいいの?」
私はひょうし抜けしてしまいました。


 その後の経過でわかったことですが、半年にO.5mm大きくなる
ガンなら、1cm以上になるのにあと5年はかかる、こんな流暢な
ペースでいいの? なんだか今まで恐怖感いっぱいで過ごした一日
一日がうそのように思われてきました。


●原発事故の後遺症として「甲状腺ガン」がクローズアップ

 東北大震災につづく福島原発事故・・・その後遺症として「甲
状腺ガン発症」の危険性を、新聞やテレビなどで何度も取りあげ
られています。私としてはとても他人ごととは思えません。小学
生の子どもたちに十年後に発症する率は、今までの5倍とか。
なんてこわい話しでしょう。

 ただ私の認識では甲状腺ガンは、ガンのなかでも一番おとなし
いもので、あまり悪さをしないガンだということがわかってきま
した。もちろんケースバイケースではありますが。


●知らせる人は最小限にしておきたい

 ガンとはいえ私の場合、進行はゆっくりだし転移もあまりしな
いという説明を医師から受けました。「ラッキーだ、このラッ
キーをしっかりと味方につけて、病気に負けない生活をしていこ
う」と、心に決めました。

 誰に伝えるか。まずは家族に。それから職場の上司に。これは
当然伝えなくてはならない人たちです。それからもう一人、卓球
のダブルス・パートナーに。試合にいつ出られなくなるかわかり
ません。そのとき迷惑をかけてしまうでしょうから、知らせてお
かないと。

 この三つの領域の人たちに知らせました。家族は晴天のへきれ
きのように打ちのめされた顔つきになり、職場の上司は「・・・
手術するなら腕のいい医師を選んで。なんなら紹介するよ」と。
一番落ち着いていたのがダブルスのパートナーでした。その理由
はあとになってわかるのですが。


●「病気はするけど、病人にはらならないぞ」

 この言葉を心に誓って、私の本格的な「ガン患者生活」はス
タートしました。

 落ち込んだ暗い表情にならないように。できるだけすてきな笑
顔の人でいようと思って、何度も鏡の前で笑顔の練習をしたり。
私の好きな女優さんの松坂慶子の写真を机の前に立てかけたり。
服装はなるだけ明るい感じの服にして、気にいったアクセサリー
をつけておしゃれを楽しもう。今までしなかった(いやする時間
の余裕がなかった)ウインドウ・ショッピングもするようにしま
した。

 背筋をしゃんと伸ばして、元気な印象を与えられるように。79
才のバレエリーナ、アーラ・オシペンコの写真をはりだして、見
るたびに「そうそう背筋ピーンだったわ」と伸ばしたり。
 
 感動した人は俳人の金子兜太(とうた)さん。NHKの番組で見
たのですが、90才におなりだったと思います。「私はやめませ
んよ。死ぬまでこの仕事を続けます」と、きっぱりと言い切って
おられました。「私も金子兜太さんのような生きる姿勢をもちた
い」と思いました。

 試合会場でダブルス・パートナーが教えてくれました。「藤原
さん、ほらあの人見て。向こうから3台目で試合してる人。赤い
ユニホームを着てる人よ。あの人も甲状腺ガンで手術されたの。
もう三年前だけど。今じゃ元気に卓球の試合に出てられるの。だ
からあなたもだいじょうぶよ」。

 この情報はとてもありがたかったです。「手術してもあそこま
で戦えるんだ。私もがんばれる!」。私にとっては地獄で仏に
あったような気持ちで、その人の戦いぶりを見つめていました。

●私にとってはガンは「一病息災」のお守り

 「甲状腺ガン」についていろんな人の話を聞き、テレビの健康
番組を見、本を読んだりして知識を積極的に増やしていきました。
     


 
やがて私の認識が少しづつ変わってきました。初めのうちはガ
ンというと「転移、手術、放射線治療、吐き気、脱毛そして
死・・・」こんな怖い文字のとりこになって、生きたここちのし
ない毎日でした。しかし「甲状腺ガンは、ちょっと違うぞ」と思
いはじめました。

 医師に処方された薬をきちんと飲んで、半年ごとの定期検診を
受けていればだいじょうぶ。いままでと同じように仕事もできる
し卓球もできる。体を冷やさないようにして、極端にムリをしな
い生活を続ければ、そうそう恐れることはない症状なんだ」。

 こんな気持ちが今では定着し、「甲状腺ガン」という病気は、
今の私にとってはお守りみたいなもの。「一病息災」と意味づけ
しながら、やりがいを感じられる仕事に精をだし、なによりも好
きな卓球で体をきたえ心のストレスを解消しています。


6年前のガンの告知

2012-06-04 20:58:24 | 甲状腺ガン

『6年前ガンと告げられて』


●半年ごとの検診にむかって

 半年ごとの検診の日がやってきました。眠い目をこすりながら
地下鉄の長い階段をのぼると目の前にモダン寺が迎えてくれま
す。緑色のとんがった屋根、アーチ形をした窓枠や柱、まるで
ヨーロッパのお城のような雰囲気のお寺です。「神戸はやっぱり
ハイカラやな」と、いつも思いながら坂道をのぼります。



●病院は日進月歩で変わっていく

 ここは日本でも有数の甲状腺専門病院です。今原発の影響でさ
わがれているあの「甲状腺ガン」を診る病院です。大きな白い建
物の病院なんですが、どことなく家庭的な雰囲気もあり、私とし
ては好きな病院の一つです。ここに来るようになってからもう6
年。来る度にあちこちが変わっていて、病院の日進月歩を感じま
す。



 さっそく再診受付のやり方が変わっていました。ガードマンの
お兄さんの指示にしたがってボタンを押して・・・。首から呼び
出しブザーをぶらさげて待合い室で待ちます。呼び出しの方法も
「ブーブー」というポケベルから「プルルルルー」という振動
へ。「ナピツト」といって、より静かに快適に私たちが待てるよ
うに工夫がしてありました。こんなところでも日進月歩を感じま
す。

●喉にしこり感が・・何だろうこれ?

 6年前初めてこの病院に来たときのことは忘れられません。以
前から喉にしこり感があっていくらたってもとれないので、
「気管支炎かな?」と思ったけど咳はでないし。「ひょっとして
食道ガン?」と一人で思いこみ、何日も眠れなかったりしていま
した。その年受けた人間ドックで「甲状腺腫瘍」と診断されまし
た。

 「そうかそうだったのか、甲状腺腫瘍か。それなら治療すれば
治るからだいじょうぶや」と思ってホツとしたのを覚えていま
す。人って病名がわかると、意外にもホッとするところがありま
すよね。それでやってきたのがここ、神戸のK病院。

●「甲状腺ガンです。まちがいありません」

 当時のK病院は古い壊れそうな建物でした。暗いなが一い廊下
ににたくさんの患者さんたちがごったがえしてしました。「藤原
さ一ん、5番診察室にお入りください」と、看護師さんの呼ぶ声
も大声で・・。

 診察室には5~6人の患者さんが一度に入っていきます。中待
合い室とはカーテン一枚で仕切られている診察室です。血液検査
や超音波検査、それに尖刺検査。これは喉に長い注射針のような
とがった物をさして細胞を調べる検査です。恐いのなんのって!
「はい、5秒数えますからね、ガマンして下さい。12345、は
い、終わり」。

 こんな恐い検査もぜんぶ終わって、いよいよ判決のときがやっ
てきました。「何て言われるんだろう・・・・もしかしてガン?
いや、まさか・・甲状腺腫瘍だもん」と、胸はドキドキ。頭のな
かはこの二つの病名がぐるぐるとまわりだし自分を支えるのが
やっとでした。「藤原さん、甲状腺ガンです。まちがいありませ
ん」という医師の短いけれどきっぱりとした声。「ガーン!」と
頭を殴られたようなショック。目の前がクラーツとなってなにも
考えられませんでした。


 こんなきわどい一部始終も他の患者さんたちとカーテン一枚へ
だてて共有するような診察室だったのです。

                        (つづく)

卓球の試合に参加

2012-06-04 20:50:48 | 卓球
【卓球の試合に参加】


 ○○市のオープン選手権の日です。
いつもながら身は引き締まり、心は緊張します。

「次の試合に勝つためには」という目標をあたまにおいてプログラムを組み、コーチのもとに練習を積んできました。
体育館に入ると、カチコンカチコンとリズミカルな球を打ち合う音がアチコチで始まりました。

「藤原まさみさん、28番台におはいりください」と、コールの声。
「きたぞ、きたぞ、勝てるかな?いや、勝たねば!」、胸がドキドキしてきます。
「固くならないで、はい、深呼吸して…‥」「今までしてきた練習の成果が、少しでも出れば、それでいいんだよ」と、言い聞かせながら台の前にたちます。



こんな真冬でも半袖短パン姿…でも少しも寒くありません。

全ての試合が終わりました。結果、シングルスは2部に落ちましたが、3位に入れました。ダブルスは、一部で準優勝!ジャーン、やったー!!

「もうダメ」と思って臨んだ試合でしたが、思いのほか良い成績をあげることができました。

明日からまた頑張って練習しよう…
意欲が湧いてきます。この達成感と爽快感は、何ものにもかえがたいものです。

卓球の試合に参加できた喜びを胸に、参加賞の酒粕をしっかりとバッグに入れて帰路につきました。

ダイエットしなくっちゃ・・

2012-05-10 20:45:21 | ダイエット
【ダイエットしなくっちゃ・・細くなりたい】


●好きなもの食べ放題、太ってしまったまあちゃん

 「細くなりたい」と、真剣に思いました。rこのままでいくと大変なことになる。ダイエッ
トしなくては!]
私がこう思いはじめたのは昨年秋のはじめごろのこと。
それまでは好きな物を好きなだけ食べ、食の幸せ王国を過ごしていました。
ところが秋が近づき衣替えの季節がやってきたとき、この王国は崩れてゆきました。
「ウッ!このスカート、なんで止められないの!」お気に入りのワンピースがきつくてピチ
ピチ。ウエストあたりが張り裂けそう!



●勝てなくなった卓球の試合

 夏からこちらなぜか卓球の試合で勝てなくなっていました。「藤原さん、球への反応遅いよ」
とチームメイトのアドバイス。「飛びつきがにぶい!ちょっと身重ってかんじね」と、コー
チもシビアーなコメント。
「あ一あ、やっぱりわかってしまった。3キロ太つたこと見破られてしまった」。私はがっ
くり。勝てないとみんなの視線が冷たいのよね。話しかけてもシラーツって感じで。つら
ーい!
「よし、ダイエットするぞ、11月の選手権までには3キロやせてみせる!」。こう決心した
私は、さっそくダイエットを始めました。



●まあちゃん流おてがるダイエット

 ダイエットの本も読まず、とにかく食べる量を減らすだけの「まあちゃん流お手軽ダイエ
ット」です。
まずご飯を今までの半分にしましよう。2杯食べてたご飯を一杯にしました。スリッシュと
いって特殊なおなべに野菜をたっぷり入れて蒸し野菜をつくります。これがおいしいのよ
ね一!食後のデザートもなし。毎晩楽しみにしていたティータイムと甘いお菓子も週2~3
回に削減。

 ダイエットをスタートして三ヶ月後、効果がでてきました。
ウエストと腰回りが少しやせたようです。スカートと短パンのスナップが止まるようにな
りました。
フォアーにきた球に飛びついてスマッシュ!やった一、打てたぞ!
ウェストがひきしまると腰のしぼりが効いて、体重移動もやりやすくなります。まあち
ゃん流おてがるダイエットもわずか3ヵ月で効果がでてきました。

●気をつけて、スポーツ選手のダイエット

 「すごい、藤原さん、腕あげたね」「回り込んで打つフォームが、とてもよかったよ」
「どうだ、これぞまあちゃんだぞ!」と、胸をはっていられる私はとても幸せ。
「やせたらこんないい思いができるなんて・・・がんばってもっとダイエシトしよう」

「待てよ、スポーツ選手でダイエットを始め、摂食障害になった人がいるとどこかに書
いてあったなー」と、いつか読んだ記事を思い出しました。
「摂食障害の人には、きっと私みたいな喜びがはじめにあったんだろう」。
ご飯半分にしたら1キロやせたとか、デザートがまんしたら500グラム減ったとか。
彼らの妙味はこの数字で。自分の体を自分の意思でコントロールできる爽快感。「減った、
やせた、ウワーッうれしい!」と、何にも代えがたい爽快感、達成感を感じているうちに、
どんどんダイエットにはまっていく。「やせてないと、生きてる値打ちはないんだ!やせる
ことは私の生きがい」とまで思いこんでしまうらしい。



●まあちゃん流ダイエットもとん挫

 がんばったらがんばっただけ結果が数字で出てくるダイエットの世界。「やせる=スマート
で美しい」この喜びは女性にとっては永遠のよろこびでしょう。まあちゃんはやせること
で、再び卓球の試合で勝て出したという喜びを手にすることができました。しかしこの喜
びは長くは続きませんでした。


 自己流ダイエットを続けているうちに栄養が足らなくなったのか、風邪をひいて熱をだし
寝込んでしまいました。
やはり自己流はよくなかったようです。 いつのまにか、普通の食事に戻っていました。

カイロプラクティック

2012-05-01 20:50:32 | カイロプラクティック
朝一でカイロプラクティックに行って来ました。


先生は笑顔のやさしい方です。が、施術はきびしーい??

肩や足腰をぐいぐい圧して、容赦ありません。「ヒーッ、痛い」と言っても指圧の手はゆるまず。先生は鬼の顔に変身。
「もう来てやるものか!」と思っていると、「よくしんぼうしましたね。痛かったでしょう」と、やさしい笑顔。

気がつくと、いつも次の予約を入れてしまっています。

軽くなった足や腰に感謝しながら、自転車をこいで帰ってきます。