まあちゃんのエッセイです、読んでね!

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ガン君も中学生に成長したのね!

2012-09-25 21:21:46 | 甲状腺ガン

 

■甲状腺がん検診の前夜

  昨晩は眠れませんでした。夜は10時に寝たというのに、寝付いたのは
3時ごろ。1時間おきに目が覚めてしまって。

「がんが大きくなって、気管支に寄ってきましたね。とった方がいいかも。
次回決めましょう」

という前回検診でのドクターの声が、目を閉じると頭のなかをクルクル回
っていました。

 朝5時におきてテレビのスイッチをいれると、チャイコフスキーの6番
「悲槍」が流れてきます。「さすが今朝ばかりは重ーい気分になるなー。
ちょっと他のチャンネルにしようか・・・」と思いながら、いつしかメロディ
に聞き入っていました。「あ、こんなことしてたら遅れてしまう。早く用意
しなくっちゃ」と、あわてて起きあがりました。

■甲状腺の初期はシコリ感がある

 

 一歩一歩重い足取りでモダン寺の坂をのぼります。がんは甲状腺の
上に二つできています。今は7ミリと5ミリですが、そのどちらかが10ミ
リを超えたら手術することになっています。

 甲状腺の症状としては痛くもかゆくもありません。ただ初期のうちはシ
コリ感がありました。だから飲み込むのがちょっと違和感があって、
「ひょっとして私、食道ガンかしら」と何度も思ったことを覚えています。
食道ガンにしては、食事がスムーズにできるので、「やっぱり違うんだ」
と思ったり、「それじゃこのシコリはなんなんだろう?」と疑問をもったり
しました。

 2006年に受けた人間ドックの一つに含まれていた「簡易脳ドック」で
みつかったんです。長いあいだ不思議に思っていた症状がガンだとわ
かったときのショックは忘れられません。晴天の霞震、死の恐布・・・に
打ちのめされたのを思い出します。しかしその後のドクターの専門的な
説明で、これはガンのなかでも一番たちの良いおとなしいガンであるこ
とがわかってきました。

■前回の「バクダン診断」にビクビクして

まず血液検査と超音波検査。のど全体にぬるぬるしたゼリーをまんべ
んなく塗ります。平たいへらみたいな機械をのどにすべらせるようにあて
ていきます。こちらは首を伸ばしてじーっとしていればいいので、検診と
はいえとても楽です。

 半年ごとの検診も今年で6年目になるので、過去12回超音波検査を
受けてきました。発見時のガンの大きさは5ミリと2ミリでした。それが今
では「7ミリと5ミリ」。「ガン君も中学生くらいに成長したのね。お願いだ
からずーっとそれくらいでいてちょうだいよ」と、私はいつも言い聞かせ
ているのですが。

 なんでこんなに手術したくないかというと、「仕事をやめたくないんで
す」「卓球の練習と試合を半年も休みたくないんです」。
手術したらこの二つができなくなります。

■モニターに映し出された私のガン君たち

プルルルルーと呼び振動があり、診察室に入ります。半年ごとにお会
いする先生は少しスリムになっておられました。

 先生の机上のモニターには、ほんの1時間前に検査した結果がすで
に映しだされています。血管や気管支に食道、真ん中には甲状腺があ
ります。そこに白<まあるいものが二つ、はっきりとわかります。これが
6年にもわたり私ののどに共生してきたガン君たちです。

 「あ一、もうダメだ。手術って言われるに決まっている!」。目の前に映
像を突きつけられては、もう私はまな板の上の鯉の心境です。そんな私
の気持ちを察してか、先生のお顔には笑顔が・・・「あ、ひょっとして大
丈夫かも」。やはり「藤原さん、7ミリと5ミリです。前回と同じです。大きく
なっていません。よかったですね」と、天からの声が。

 「あーよかった、手術しなくてもすんだんだ。やれやれ」と、一安心の
気持ちを抱えて診察室をあとにしました。いかついお顔の先生ですが、
このときばかりは福禄寿の神様のようなあたたかいお顔に見えました。


甲状腺ガンは、「一病息災」のお守り

2012-06-05 13:56:58 | 甲状腺ガン

『甲状腺ガンは、「一病息災」のお守り』

●初めての定期検診の日

 初めての検診の日がやってきました。「甲状腺ガン」と診断さ
れて、半年後のことです。朝5時に起きて、モダン寺の坂をのぼ
ります。私もガン患者になってから、はや半年がたったんだ。
今日はなんて言われるだろう。『ガンが大きくなってますね』だ
ろうか。いや『たいへんです! 気管支に転移しています。すぐ手
術しないと危ないですよ』と言われたらどうしょう。考えただけ
で気分が滅入ります。「喉を切る手術って恐いな。私の命もこれ
までか」と、またも心臓がドキドキしてきました。


 一時間後、診察室で次のように言われました。「藤原さん、緊
張されてますね。だいじょうぶですよ。7.5ミリです。1cm以上
になったら取りましょう。また半年後にきてください」。
「え、半年でO.5mm大きくなっただけ! そんなんでいいの?」
私はひょうし抜けしてしまいました。


 その後の経過でわかったことですが、半年にO.5mm大きくなる
ガンなら、1cm以上になるのにあと5年はかかる、こんな流暢な
ペースでいいの? なんだか今まで恐怖感いっぱいで過ごした一日
一日がうそのように思われてきました。


●原発事故の後遺症として「甲状腺ガン」がクローズアップ

 東北大震災につづく福島原発事故・・・その後遺症として「甲
状腺ガン発症」の危険性を、新聞やテレビなどで何度も取りあげ
られています。私としてはとても他人ごととは思えません。小学
生の子どもたちに十年後に発症する率は、今までの5倍とか。
なんてこわい話しでしょう。

 ただ私の認識では甲状腺ガンは、ガンのなかでも一番おとなし
いもので、あまり悪さをしないガンだということがわかってきま
した。もちろんケースバイケースではありますが。


●知らせる人は最小限にしておきたい

 ガンとはいえ私の場合、進行はゆっくりだし転移もあまりしな
いという説明を医師から受けました。「ラッキーだ、このラッ
キーをしっかりと味方につけて、病気に負けない生活をしていこ
う」と、心に決めました。

 誰に伝えるか。まずは家族に。それから職場の上司に。これは
当然伝えなくてはならない人たちです。それからもう一人、卓球
のダブルス・パートナーに。試合にいつ出られなくなるかわかり
ません。そのとき迷惑をかけてしまうでしょうから、知らせてお
かないと。

 この三つの領域の人たちに知らせました。家族は晴天のへきれ
きのように打ちのめされた顔つきになり、職場の上司は「・・・
手術するなら腕のいい医師を選んで。なんなら紹介するよ」と。
一番落ち着いていたのがダブルスのパートナーでした。その理由
はあとになってわかるのですが。


●「病気はするけど、病人にはらならないぞ」

 この言葉を心に誓って、私の本格的な「ガン患者生活」はス
タートしました。

 落ち込んだ暗い表情にならないように。できるだけすてきな笑
顔の人でいようと思って、何度も鏡の前で笑顔の練習をしたり。
私の好きな女優さんの松坂慶子の写真を机の前に立てかけたり。
服装はなるだけ明るい感じの服にして、気にいったアクセサリー
をつけておしゃれを楽しもう。今までしなかった(いやする時間
の余裕がなかった)ウインドウ・ショッピングもするようにしま
した。

 背筋をしゃんと伸ばして、元気な印象を与えられるように。79
才のバレエリーナ、アーラ・オシペンコの写真をはりだして、見
るたびに「そうそう背筋ピーンだったわ」と伸ばしたり。
 
 感動した人は俳人の金子兜太(とうた)さん。NHKの番組で見
たのですが、90才におなりだったと思います。「私はやめませ
んよ。死ぬまでこの仕事を続けます」と、きっぱりと言い切って
おられました。「私も金子兜太さんのような生きる姿勢をもちた
い」と思いました。

 試合会場でダブルス・パートナーが教えてくれました。「藤原
さん、ほらあの人見て。向こうから3台目で試合してる人。赤い
ユニホームを着てる人よ。あの人も甲状腺ガンで手術されたの。
もう三年前だけど。今じゃ元気に卓球の試合に出てられるの。だ
からあなたもだいじょうぶよ」。

 この情報はとてもありがたかったです。「手術してもあそこま
で戦えるんだ。私もがんばれる!」。私にとっては地獄で仏に
あったような気持ちで、その人の戦いぶりを見つめていました。

●私にとってはガンは「一病息災」のお守り

 「甲状腺ガン」についていろんな人の話を聞き、テレビの健康
番組を見、本を読んだりして知識を積極的に増やしていきました。
     


 
やがて私の認識が少しづつ変わってきました。初めのうちはガ
ンというと「転移、手術、放射線治療、吐き気、脱毛そして
死・・・」こんな怖い文字のとりこになって、生きたここちのし
ない毎日でした。しかし「甲状腺ガンは、ちょっと違うぞ」と思
いはじめました。

 医師に処方された薬をきちんと飲んで、半年ごとの定期検診を
受けていればだいじょうぶ。いままでと同じように仕事もできる
し卓球もできる。体を冷やさないようにして、極端にムリをしな
い生活を続ければ、そうそう恐れることはない症状なんだ」。

 こんな気持ちが今では定着し、「甲状腺ガン」という病気は、
今の私にとってはお守りみたいなもの。「一病息災」と意味づけ
しながら、やりがいを感じられる仕事に精をだし、なによりも好
きな卓球で体をきたえ心のストレスを解消しています。


6年前のガンの告知

2012-06-04 20:58:24 | 甲状腺ガン

『6年前ガンと告げられて』


●半年ごとの検診にむかって

 半年ごとの検診の日がやってきました。眠い目をこすりながら
地下鉄の長い階段をのぼると目の前にモダン寺が迎えてくれま
す。緑色のとんがった屋根、アーチ形をした窓枠や柱、まるで
ヨーロッパのお城のような雰囲気のお寺です。「神戸はやっぱり
ハイカラやな」と、いつも思いながら坂道をのぼります。



●病院は日進月歩で変わっていく

 ここは日本でも有数の甲状腺専門病院です。今原発の影響でさ
わがれているあの「甲状腺ガン」を診る病院です。大きな白い建
物の病院なんですが、どことなく家庭的な雰囲気もあり、私とし
ては好きな病院の一つです。ここに来るようになってからもう6
年。来る度にあちこちが変わっていて、病院の日進月歩を感じま
す。



 さっそく再診受付のやり方が変わっていました。ガードマンの
お兄さんの指示にしたがってボタンを押して・・・。首から呼び
出しブザーをぶらさげて待合い室で待ちます。呼び出しの方法も
「ブーブー」というポケベルから「プルルルルー」という振動
へ。「ナピツト」といって、より静かに快適に私たちが待てるよ
うに工夫がしてありました。こんなところでも日進月歩を感じま
す。

●喉にしこり感が・・何だろうこれ?

 6年前初めてこの病院に来たときのことは忘れられません。以
前から喉にしこり感があっていくらたってもとれないので、
「気管支炎かな?」と思ったけど咳はでないし。「ひょっとして
食道ガン?」と一人で思いこみ、何日も眠れなかったりしていま
した。その年受けた人間ドックで「甲状腺腫瘍」と診断されまし
た。

 「そうかそうだったのか、甲状腺腫瘍か。それなら治療すれば
治るからだいじょうぶや」と思ってホツとしたのを覚えていま
す。人って病名がわかると、意外にもホッとするところがありま
すよね。それでやってきたのがここ、神戸のK病院。

●「甲状腺ガンです。まちがいありません」

 当時のK病院は古い壊れそうな建物でした。暗いなが一い廊下
ににたくさんの患者さんたちがごったがえしてしました。「藤原
さ一ん、5番診察室にお入りください」と、看護師さんの呼ぶ声
も大声で・・。

 診察室には5~6人の患者さんが一度に入っていきます。中待
合い室とはカーテン一枚で仕切られている診察室です。血液検査
や超音波検査、それに尖刺検査。これは喉に長い注射針のような
とがった物をさして細胞を調べる検査です。恐いのなんのって!
「はい、5秒数えますからね、ガマンして下さい。12345、は
い、終わり」。

 こんな恐い検査もぜんぶ終わって、いよいよ判決のときがやっ
てきました。「何て言われるんだろう・・・・もしかしてガン?
いや、まさか・・甲状腺腫瘍だもん」と、胸はドキドキ。頭のな
かはこの二つの病名がぐるぐるとまわりだし自分を支えるのが
やっとでした。「藤原さん、甲状腺ガンです。まちがいありませ
ん」という医師の短いけれどきっぱりとした声。「ガーン!」と
頭を殴られたようなショック。目の前がクラーツとなってなにも
考えられませんでした。


 こんなきわどい一部始終も他の患者さんたちとカーテン一枚へ
だてて共有するような診察室だったのです。

                        (つづく)