拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

(狂歌)ナクソスに、島ラーメンは、なきにしも、問うてみるらむ、ついてくるかと

2020-11-15 14:59:36 | グルメ


そう言えば、逗子のスーパーで買ったラーメンをまだ食べていなかった。おおっ、いずれも伊豆諸島がらみではないか!八丈島産の明日葉を使った「あしたばラーメン」、同じく八丈島産の島唐辛子を使った「島とうがらし味噌ラーメン」、そして青ヶ島特産の海水塩を使った「ひんぎゃの塩ラーメン」。購入したのは式根島に行って島ファンになる前であったが、よい買い物をしていたものだ。

さらに、「海のあおさ」なんてのも出てきた。これはいつ買ったんだろ?式根島の帰りかな?封を開けると磯の香りがする。早速ラーメンに入れてみる。



島のりははっきりしている。式根島のお土産で買ったものである(でも買った場所は竹芝)。ずっとラーメンに入れていたが今回使い切った。もともと、キリギリスとアリのどっちかと言われればアリで、とことん物資をしまい込んで将来に備えるワタクシであったが、最近人間が変わった。とことん使い切って家の中を空にしよう。ということで、袋の中をどばっと全部空ける。



他に残ってるものはないかしらん。おっ、そうめんがある。何年か前に協同組合が送ってきたものだが、夏にこれを食べる習慣がないのでそのままだった。え?そうめんは年を越すとコシがしっかりする?お湯で食べるといい?じゃあ、ラーメンにうってつけではないか。ということで、ラーメンにして食す。言葉としては何か変。そうめんはそうめんであってラーメンではないはず。正確に言うと、ラーメンスープを使って、ラーメンのように食べるそうめんということだ。うん。なかなかいける。



こうやって、家の中をがらんどうにしつつあるのは終活ではない。島に行くために荷物を減らしているのである。と言っても、島行きの具体的なプランがあるわけではない。だが、希望を捨てずに準備を怠らなければいつかは夢が実現するはずである。アリアドネだって、待って待って待ちくたびれた頃、バッカスが迎えに来た……まてよ、これは島から脱出する話であった。逆の例えを出してしまった。なお、アリアドネだ、バッカスだ、というのは、Rシュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」を念頭に置いた話である。私は、このオペラでツェルビネッタを歌うグルベローヴァこそが空前絶後だと思っている。因みに、ナクソス島ってぇのはエーゲ海に実在する島で、面積は428平方キロ。八丈島が69平方キロ、伊豆大島が91平方キロだから、かなり大きい。人口も現在1万人以上いる。だったら、アリアドネの時代でもさほど絶海の孤島という感じではなかったろう。だけど、アリアドネは寂しい、悲しい、と嘆いていた。そうか、単に人恋しいということではなく、好きな男と別れたのが寂しかったのだな。このオペラの見方が変わりそう。さあ、これからいつもの儀式である。ナクソス島だったら私と一緒に行く人いる~?で、今回のタイトルと相成った。これは、一応57577の短歌であるが、季語が入っていないので狂歌であろうか。短歌と言えば、与謝野晶子の「やわはだの」にメロディーを付けたCMがあった。名曲だと思う。そのメロディーに今回の狂歌を乗せてみよう。♪ナクソスに(ミシラシド)、島ラーメンは(ラシドシラミド)、なきにしも(レレファソファ)、問うてみるらむ(レミファミレドラ)、ついてくるーかとー(シドレファミー♯ソラー)。五文字の店で聞こし召したワタクシの帰途はこの歌とともにあった。おろ、私って、テナーもいい声だわさ(朝言ってることと違う)。








女であることの自覚

2020-11-15 09:01:13 | 音楽
A合唱団では、私はいないパート(テナー又はバス)を歌っている。だから、ここでは私は男である。非常に不本意。しかし、男声に移ったのは自身の意思である。パートが揃わないのを見かねたからであるが、自分で移ったのには違いないから文句は言えない。誰も頼んだわけじゃないのに勝手に男声に移ったんでしょ、と言われたらその通りである。いやだったらやめろってことだ。しかし、やめたら、二人のピアニストの先生と練習後に飲めなくなる。だからやめられない。そこらへんを見透かされて、あいつは絶対やめないだろう、と思われているのである。なんと、欺瞞に満ちた団体だろう。ところで、この団体は、2,3か月に一度、練習してきた曲の仕上げに通し会を開く。この通し会(レパートリー会、略してレパ会)には外部の人も来て歌ってよい。以前、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスをレパ会でやったことがあって、で、私が「ミサソレの通唱会もどきをやる」とこのブログに書いたらお友達がわんさか来て、そこでY先生と私はクラリネットを吹くはずだったのだが、指揮者からいきなりダメと言われて(指揮者は会場から管楽器はダメと言われたとのこと)、ものすごく落胆して、恨んで、で、じゃあミサソレの通唱会をやりましょうってことで通唱会のうち私主催の一連のものがスタートしたのである。だから、レパ会でクラを吹けなかったのが結果として良かったのであるが、そのミサソレの会は年明け早々にやる(レパ会の話からずーっと脱線中であるがもう少し続く)。いよいよ3回目である。多分、ミサソレを私が主宰するのは今回限り。某さんがミサソレの主宰に加わりたいと言ってきたが、今回は私ががんばります。再来年以降、私は成人式のミサソレから手を引きますからそのときはお好きなようにおやり下さいませ。ということで、レパ会の話に戻る。今回のレパ会の題目は、そう、変に話がリンクして薄気味が悪いのだが、ミサソレと同じベートーヴェンのミサ曲ハ長調。事前にブログには書かなかった。コロナ禍で人数に限りがあるところ、書いてどっと来られたら困るからだ。だが、外部から二人来られた。SNSに指揮者が書いたのを読まれたのだろうか。なんともありがたいことにお一人がバス!しかもお上手!いつもはこないテナーの団員も来た。これは何を意味するか。そう、私がアルトを歌えるということである。ルンルン気分で歌いましたとも。すると、終わった後「やっぱりイージマさんは女ね」「すごく楽しそうな声が聞こえた」等、評判は上々。女であったことをあらためて自覚したワタクシでありました。あっ、恋愛対象は女性だからね、そこ、勘違いしないでね……と必至に訴えることも忘れない、往生際の悪いワタクシでもありました。