拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

美女と歌う舟歌/翻訳の妙

2020-11-28 09:11:48 | 音楽
男になって愛の二重唱を歌うと言った舌の根の乾かぬうちに、もう女に戻る気になったワタクシ。いえね、某美女から、「ホフマンの舟歌」(ソプラノとメゾの二重唱)の楽譜はネットのどこにあるかと聞かれて、ただ楽譜の在りかを聞かれただけなのに私ときたら妄想がはたらいちゃって、当該美女ともうデュエットをしている。サビの部分で近寄って肩に手を回そうとすると「ソーシャル・ディスタンスっ」との声が飛ぶ。いいじゃん、妄想なんだから。想像の翼を広げるだけなら「思想は罰せず」だ(近代刑法の基本理念)。運命田園が鳴り響いていた頭の中が、しばらくオッフェンバックに置き換わった。さすがに、今は元に戻っている。なにしろ、明日が運命田園の会本番である。連日、一人ゲネプロを敢行中である。ところで、「想像の翼」って言葉は朝ドラ「花子とアン」によく出てきた言葉。「赤毛のアン」を日本語に訳した村岡花子の半生を描いていた。翻訳と言えば、「ハックルベリーフィンの冒険」の日本語訳を完読。ドイツ語訳で読み返している。つくづく翻訳というのは、まさに想像の翼を広げてする芸術的な作業だと思う。例えば、上記で、某さんのことを「美女」と表したが、こうした代名詞の使い方一つをとっても訳者の苦労がにじみ出る。ハックが自分の父親のことを言うとき、原書(これもダウンロードした)では、段落の最初に「the old man」(老いぼれって感じか)、後はしばらく「he」なのだが、日本語訳は一貫して「おとう」である。ドイツ語訳は、段落の最初が「Der Alte」で後は「er」。こっちは原書に忠実だ。ところで、原書で、一か所だけ「the old man」でも「he」でもない箇所がある。それは「pap」。おおっ、「大草原の小さな家」の「pa」を思い出す(ととさんアホならかかさんパー……ではない。パーなのはととさんである(ってそういう問題ではない))。「大草原」は、カナダと接してるあたり(ウィスコンシン州、ミネソタ州)のお話だったが、それがちょっと南のミズーリ州あたりにいくと「pap」になるのか!私は、かねがね、「大草原」の「pa」「ma」こそ「おとう」「おかあ」と訳すべきだと思っていた。その「pap」の箇所は、日本語訳では「おとうの奴」。既に「おとう」を使っちゃってるんで、「奴」を付け足すくらいしかできなったのだろう。ドイツ語訳だと「mein Alter」である。因みに、「美女」をドイツ語にすると「die Schöne」(形容詞の名詞化)。その「die Schöne」と歌う舟歌!この妄想で1か月はご飯が食べられそうである。