拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

イエスのライトモティーフ(ベン・ハー)

2021-05-05 16:38:22 | 音楽
キリスト教のことも、男女の愛のことも知らなかったお子様時代に(男女の愛は今でも分からない)、ベン・ハーで興味を誘ったシーンと言えば、二つのスペクタクル、つまり、ガレー船同士の海戦と、騎馬レースのシーンだったろう。いや、騎馬レースにしたって、今の方がよっぽどいろんなことを思って楽しめてると思う。例えば、ベン・ハーの馬は今日本で注目の白毛だよな、白毛はレースで目立つからどこにベン・ハーがいるかすぐ分かるなとか、仇役の馬は逆に青鹿毛(黒)だなとか、仇役は戦車の車輪にドリルを仕組んでライバル達の車輪を壊すのだが、これって、レースで他者の妨害ばかり考えている「チキチキマシン猛レース」のブラック大魔王と同じだな、で、巡り巡って自分に返ってきて自滅するところも同じなだとか、ベン・ハーが仇役のドリルから逃れるため大きく斜行したせいでその外側を走っていた他の戦車が外ラチならぬ外壁にぶつかるのだが、これ日本の競馬だとベン・ハーに制裁が下るかもしれないなとか、ストップウォッチで測ったらレース時間が9分20秒で日本で長いと言われる春の天皇賞の3倍近くで馬の負担が半端でないなとか、観衆がターバンをまいた人達で現在のドバイでのレースもこんな感じなのかなとか、その観衆については実際に大人数の人(エキストラ)をスタンドに入れてるなぁ、このシーンをぱくったと言われるスターウォーズ第4作(エピソードⅠ)のポッドレースのスタンドの観衆は実は紙で作った人形だったんだよなぁ(スターウォーズ展で実物を見た)とか……。さてさて、この映画のエンディングにアレルヤが歌われる話は前回書いた。実は、このアレルヤは、この映画におけるイエスのライトモティーフ(特定の人に割り当てるメロディー)だった。それは♪シーシレーードレシー、シーシミーーレミシー……というものである。最初に鳴るのは、冒頭のイエス誕生から26年後、野原を歩く若者が遠景で映るシーン。その若者がイエスであることを示すものはなにもない。ただただその音楽で彼がイエスであることが分かるのである。でも、このときはちらっとだけ。本格的に鳴るのは、ガレー船に漕ぎ手として送られるベン・ハーにイエスが水を与えるシーン。逆に、十字架を背負いきれずに倒れるイエスにベン・ハーが水を与えるシーンでも鳴る。そのほか、登場人物が「ナザレの人」を語るときも鳴る。そして、最後の最後、このメロディーに「アレルヤ」の歌詞が付いて鳴り響くのである。

ベン・フル

2021-05-05 09:08:30 | 音楽
BSで、ベン・ハーを放送していた。前回見たのは、何十年か前、受難曲やクリスマス・オラトリオをあまり歌ってなかった時だと思う。なぜなら、今回見てみて、それらが描くシーンがたくさんあることに初めて気づいたから。例えば、この映画の冒頭シーンは、イエス誕生の物語である。夜空が映し出され、その中に異様に輝く星がある。それがつつつーっと移動して止まり、その下界に光を投げかける。それを注視する三人のおじさん。初めて見たとき、まさかこの星のことをUFOとは思わなかったろうが、何だと思ったのだろう。東方の三博士のことも、ただのおじさん達としか思わなかったと思う。馬小屋の中で、生まれたてのイエスの前にかしづく三博士の前に三つの箱が置いてある。おっ、乳香とかだ!と今なら思うが、当時は気にも止めなかったろう。ここまで、解説はなし。欧米の人は言われなくても分かるんだね。その後にベン・ハーの物語が始まる。一つ間違って覚えていた。私、ベン・ハーが捉えられたのは、新総督の列に窓から花瓶を落としたせい、と思っていたが、屋上から瓦を落としたせい、が正解だった。最後にイエスが登場するときは、受難の物語。イエスが十字架を担ぎきれずに倒れると、近くにいた人が代わりにかつがされる。シモンだ。ここも今回初めて気がついた。因みに、イエス(を演じた俳優)の顔は終始映されてない。1967年版の「日本のいちばん長い日」でも昭和天皇の顔は映されてなかったよな。これが2015年版になると、昭和天皇役の本木雅弘がはっきり映ってるそうだ(まだ見てない)。前回の大河で坂東玉三郎が演じた天皇ははっきり拝見させていただきました。イエスについても、2004年の「パッション」では痛々しいほどイエスの全貌が描かれていた(Iさん、すみません、監督ケヴィン・コスナーって言ったけど、メル・ギブソンでした)。ベン・ハーに戻る。ラストに流れる音楽はハ(ア)レルヤ。これも気づかなかった。だが、こういうこともあるよって話をしておくと、「汚れなき悪戯」(「禁じられた遊び」ではない)って映画がある。修道院で育てられた少年が、屋根裏のイエス像と仲良くなって、母のいる天に召される。そして、その修道院に巡礼の列ができる。このエンディングに流れる音楽が、あるときテレビで見たときはバッハのカンタータ第4番の第1曲の「ハレルヤ」だった。最後、「ハ、レールーヤーーー」と「fin」がぴたっと重なって感動的だった。ところが、次にテレビで見たときは、全く違う音楽に差し替えられていた。いったいどっちが本当なのか、オリジナルなのかは不明である。とにかく、映画は何度でも見るものである。本は何度でも読むものである。音楽は何度でも聴くものである。どうでもいいが、「ベン・ハー」は「Ben Hur」だってことも初めて知った。すると「ハー」を「ハアー」と発音してはいけなかった。「ファー」である。ラテン系の人は「フル」と読むかもしれない。