拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

シャフリヤール

2021-05-30 17:16:58 | 日記
♪きょーは(ラーラ)ダービー(ソドドー)めでたいな(レファミレド)……ってことで、今日はダービー。断然の一番人気の馬にまたがるのは22歳の若武者。勝てば、ダービーを勝った騎手の最年少記録。だが、ゴール前のデッドヒートの末、ハナ差で敗れる。勝ったのは、私が今読んでる千一夜物語が語られるきっかけとなった王様の名を冠したシャフリヤール。この王様は、国中の娘という娘を妻にするたびにベッドを共にした翌朝その首をはねていた。そんな中、シェーラザードは自ら志願して王様の妻となり、毎夜毎夜面白い話を王様に語り聴かせ、王様に話の続きを聴きたいと思わせて生きながらえた。そうしてたまった話が千一夜物語である(実際は、千一話もない、という話である)。実は、「シャフリヤール」がこの王様の名前だということを私は知らないで読んでいた。某馬美女に教えてもらって知ったのである。なぜ教えてもらうまで知らなかったというと、私が読んでるドイツ語版ではその王様を「Scheherban」と表記していたせいである。そのまま読むと「シェ(ヘ)ールバン」。たしかに、イスラム名をドイツ語で表記したものを読むのは難しい。例えば、話し手である妻は「Schehersad」。でも、これなら「シェ(ヘ)ールザード」だから推測可能。それに対して「Scheherban」はどっからみても「シャフリヤール」とは読めない。なぜだろう。調べてみた。すると、ドイツ語訳にもいろいろあって、「Scheherban」を「Schhriar」と訳してるものがあった。全然別物である。でも後者なら「シャフリヤール」と読める。じゃあ、なぜ二つの読み方があるのか。今のところ不明である。因みに、「Schhriar」の元の意味は、ペルシャ語で「国の友」だそうである。ダービーの話に戻る。このレースには、上記の22歳の若武者の父親もジョッキーとしてレースに出ていた。こういうことは競馬ならではである。もし、最後のたたき合いを演じたのがその父子だったらどうだったろう。で、息子が勝ったら、父は悔しいのと同時にちょびっと嬉しかったりするのだろうか。だが、手加減は決してできない。そんなことをしようものなら馬券を買ったファンに「こらー、てめー、息子に勝ちをゆずりやがって。かねかえせー」と怒鳴られるのは必定だからだ。因みに、私は、唯一レースに参加した牝馬が3着までに来ると思って馬券を買っていたので、シャフリヤールは買ってはいたがはずれである。まあ、馬券が当たったらいつも一人で祝勝会をしに行くサイゼリヤがワインを出してくれないからお祝いのしようがない。だからはずれてもいいのである(負け惜しみ)。

裏声歌手に吹いたジェンダーフリーの追い風/表日本と裏日本

2021-05-30 09:14:11 | 音楽
先週、時間を間違えて練習に参加できなかった味噌煮込合唱団(仮名)であるが(で、矢切のハイキングとなったのであった)、昨日はちゃんと間に合った……どころではなく、30分も前に着いたので、主宰者を同じくするドイツ・レクイエム(ブラームス)にアルトで参加。味噌煮込とは主宰者が同じでもあまりメンバーが重なっていないので、例によってアルトのお姉様方にびっくりされたのだが、味噌煮込同様、ここのお姉様方もとってもフレンドリー(ドイツ語ではfreundlichよりnettが相応しい)で、「また来て下さいね」と言っていただいた。思えば、4年前に麹味噌合唱団(仮名)に初めて参加したときは、びっくりされたのは同じでも当時のお姉様方の視線は、それこそウィルスでも見るような恐怖のそれであった(それでも通い続けたのは、共同主催のお一人(=Y先生の大学の先輩)が練習後に「素晴らしかった」と声をかけて下さったからである)。最近の歓迎されぶりはそれとは大違い。なぜだろう。白井という土地柄だろうか。あっ、もしかすると、このところ急速に言われるようになった「ジェンダーフリー」の考え方からか。ってことは、お姉様方は私を普通の男ではないと認識した上で受け入れて下さっているということになる。それって、私の婚活戦略にはプラマイどちらに働くのだろう。女子会トークで入り込んで急に男になったら「話が違う」と言われるかもしれない。しかし、私自身は、自分は男ではないなどと一度も言ったことはない。先方が勝手に勘違いしたものである(もし、そうなったらの未来完了である)。因みに、ドイツ・レクイエムの指揮者が、私のことを「裏声で強い声を出す人」と紹介してくれたことには満足である。そう、まさに、私の目指しているところはそれである。つまり、「裏声」の「表声」化である。実際、別の団体で人がいなくてテナーをやらされるときも「裏声」で歌っているのだが、実声と勘違いした人が複数いたことにはびっくりであり、同時にしてやったりである。この「裏声」という言葉は、しかし、あまり好きな言葉ではない。私が子供時代、太平洋側は「表日本」、日本海側は「裏日本」と呼ばれていたことを、今、どのくらいの人がご存じだろうか。これが変わったのは、「裏」のイメージが良くないからである(たしかに、今、これらの言葉を見ると、日本の表の顔と裏の顔というニュアンスが感じられる)。「裏口入学」「裏街道」等々、ろくな言葉がない。だから、裏声歌手はファルセット歌手と呼ばれる方を好むのである(今日のタイトルは、自分で言っているからよいのである)。ところで、「裏表のある人」と言ったらネガティヴな感じだが、表の顔が冷酷で裏の顔が慈愛に満ちている人のことも「裏表のある人」と言うのだろうか(ニュアンスが違う気がする)。それから、「裏窓」というヒッチコックの映画がある。名作である。だが、この映画って、覗かれてる人が実は怖い人だったのだが、人んちを覗く主人公も決して褒められたものではない。