新・日常も沖雅也よ永遠に

お引越ししました。

ご無沙汰してしまいました

2024-10-22 23:45:29 | 沖雅也

なんと2022年のお正月の以来の投稿になる。

最近は掲示板も閑古鳥が鳴いているのでXやらインスタやらのSNSでの発信が続いている。

研究会は細々と続けているが、ゲストの招聘も目途がたたず、参加された方々からゲストはなくても沖さんが好きな者同士が集まって語り合える会にすれば良いという意見も多く、今後はその方向でと考えてはいるが、沖雅也さんという役者さんについて発信する方法は、いまだに模索中である。

現在は勝野洋さんの芸能生活50周年の舞台を観劇し、沖さんとのご共演作について書いている。

書いているといってもSNSはそんなに字数がないし、今の人は画像や動画でサクッと見たいのだろう。こちらもその方が楽なので、ついついそうしてしまう。

今年度中にはすべてのご出演作品について、サイトでまとめあげたい。


つかこうへいさんのこと

2021-05-22 00:30:00 | 沖雅也
元つかこうへい劇団の長谷川康夫さんが朝日新聞の「論座」にコラムを連載されている。
沖さんがつかこうへいさんの演出にかかわった時代のことが詳しく分かって興味深いが、もちろんこれはあくまでつかさん側から俯瞰した見方で、沖ファン側から見れば別の視点が浮かび上がって来る。

まず「つか版忠臣蔵」の本番当日に沖さんが倒れてしまったこと。
文中では沖さんが交通事故を起こしたとあるがそれは別の時であり、自宅でシャワーを浴びていて昏倒したというのが事実。
それはともかく、つか氏自身が〝口立て”という方法で台詞を作って行くやり方を初めて経験した沖さんは『気持ち良さそうに身を委ねて』心酔していく当時の様子がよく分かった。
日景氏は、沖さんは「今まで作家に可愛がられた経験がなかったので、つかボケというか、つか信者というか」そんな形でつか氏に傾倒して行ったのだという。

入院した沖さんを見舞ったつか氏は
「これじゃ君が余りにもかわいそうだ。最初は“下手だ!”と罵倒したけど、君の誠実で懸命なけいこぶりを見て、オレは沖雅也を再発見したよ。こんな素晴らしい素質を持った役者だと、これまで気がつかなかった。安心しろよ、沖。この無念さをこれからの俳優としてのバネにしなくちゃ沖雅也が泣くぞ。俺が近いうち絶対君のために、いい仕事をとってやるから安心しろよ」

と語り、沖さんの目から大粒の涙がこぼれたという。
それはそうだ。仕事に穴を空け、心身ともに弱った状態の役者に向かって、これは最強の言葉だ。
長谷川氏によれば「つかこうへいの最も秀でた才能は、これと狙った人間を自分の世界に確実に惹き込んだり、相手の懐に易々と飛び込んでいく力だと、僕は思っている」
沖さんは日景氏の言う通り「つか信者」となってしまったのだろう。

つか氏は約束を守り、映画が大当たりした「蒲田行進曲」がTBSでテレビドラマ化された時、大山勝美プロデューサーによればつか氏がどうしても沖さんでやりたいということで沖さんがキャスティングされたということだった。

『つかの沖に対する演出は、一つ一つまるでおだて上げるかのようで、我々のいつもの稽古場とはまるで違っていた。上下とも紫のラメのジャージで懸命につかの台詞をなぞる沖に、つかが声を荒げるようなことは一度もなかった。』

長谷川氏の言葉に私は驚いた。
厳しく叱責されたからこそ、沖さんは喜んで身を委ねたのだと思っていたのだが、つか氏はもっと上手だったのだ。
ただ、日景氏の心もつかんだように思えたようだが、生前の日景氏はつか氏に対しては辛口だった。それは、沖さんの心がつか氏に傾倒して行ったことに対する妬みのようにも思えたし、沖雅也という俳優の個性を知り抜いた者としての不満でもあった。

「かけおち'83」で沖さん演ずる萩原は、つか氏が銀ちゃんを託した沖の芝居に、何かを見切ったがゆえにただただ一途で不器用な男としたのだと書かれているが、これは沖ファンとしてはもの申したい。
「決定版!蒲田行進曲」の沖さんの銀ちゃんは確かに上手く行ったとは言い難い。
だが、それは沖さんのせいだろうか。
映画ではハチャメチャながらも愛すべき男である銀ちゃんと、それを慕うヤスの物語が風間杜夫・平田満の最強コンビで描かれていたが、TBSは小夏を主軸に置いた女性の物語を希望したところから、全く軸の違うものとなっていた。
つか氏がもし役者の個性を見抜いて〝口立て”で演出や台詞を変えて行ったのなら、沖雅也という役者を見誤った演出をしたのは、つか氏の方だと私は思う。
キャストも全く違う映画と比べても仕方がないのだが、小夏は銀ちゃんに未練を見せないし、ヤスは銀ちゃんを慕うどころか、ひたすら顔が怖い(笑)。
つか氏は「大原(麗子)の小夏はいいねえ」とご満悦な様子の当時の記事を読んだが、大原麗子さんの役者としての個性ともいえる一途さに主眼が来たために、小夏とヤスの純愛物語として完結されたのだ。
そのために、映画では一番のみどころとなったヤスの階段落ちの台詞「銀ちゃん、カッコいい~」は消えていた。
これで、沖さんは一人でどうやって銀ちゃんを輝かせられるのか。
ああ、生前のつかこうへい氏に文句を言いたい(笑)。
この「蒲田行進曲」の前編放送日には、つかこうへい劇団に混じって沖さんも一緒にオンエアを観たのだそうだが、そこで沖さんはつかさんに演技を厳しく叱責されたという。(『驚きももの木20世紀』という番組で沖さんについて特集した時に、その日のことに触れている)
それが自殺の原因となったとも報道された。もちろん違うと思う。
だって、沖さんはホテルにチェックインした時に、名前の横に〝つか”とルビをふったのだ。
そのことについて申し訳ないと思い、「つかこうへい様 あなたの名、つかを使いし僕をゆるせるものならおゆるしください」と遺書に書いた沖さん。
つかこうへい氏を最期まで慕っていたのだ。

そのことについてレポーターから尋ねられたつか氏は、信頼の証だったんじゃないかと言った後で
「だから俺とかこういう騒ぎに巻き込んで申し訳ないっていうね。
俺たちが18とか19で青春だとか孤独だとか考えるけどね、あの年まですれずにね、人生に対して誠実に対処してたんだろうねえ。魔がさしたとしか思えないんだけどね、だから。」

と、答え、
「自分勝手なんだよ。まだあいつのいい芝居観たいっていう人がいっぱいいるしね、俺だって観たいし。
怒りっていうか生きてればもうねえ、ただじゃ済まんぞって感じだよね。
まだいい芝居やろうっていうのに。明日観るお客さん(「決定版!蒲田行進曲」後編のこと)とかね、そういうこと考えんかっていうそういうね。
まだいい役いっぱいやれそうなんだもんね。まだまだ三十歳だからね。タッパが高くてね。」

確かに人心掌握に優れた人の言葉だ。

銀ちゃんについて、沖雅也という俳優を見誤ったことに気がついたからこそ、「かけおち'83」では沖さんが得意とする堅物で女性の扱いが苦手な男をコミカルに演じる役を作ったのではないのかと思っていたが、どうやら概ねそれは正しかったらしい。
ただ、沖さんはこの時にかつてのようなキレのある演技が出来る状態ではなかったのは、仕方ない、認めよう。台詞の滑舌も良くない。

長谷川氏が
『俳優、沖雅也への、作家、演出家としての愛情がなせる業だったと、僕は思う』
『結果として、登場場面は数えるほどでも、とことん戯画化された沖=萩原の存在感は際立っていて、このドラマの成功を約束させる大きな力となったことは間違いない』
と書いているのがありがたい救いに思える。

私個人の考えで申し訳ないが、私は沖さんは日景氏の洗脳下にあったと思っている。
15歳でひとりぼっちになって上京した沖さんが、都会のよるべない暮らしの中で「こんな暮らしをしていてはいけない」と手を差し伸べてくれた日景氏に救いを求めたことは間違いないし、16歳で日活に入社して大人の社会に出てしまった時に、日景氏が色々指導したという。
子供が親の言うことを信じて大きくなるように、沖さんは日景氏の言うことが正しいこととして実践し、芸能界を生き延びて来た。
20代前半で結婚したいと言った時も、結局は日景氏の反対を受け止めた。
もちろん、相手の方と上手く行かなくなったこともあるのかも知れないが(笑)。

そうやって生きて来た沖さんに、初めて別の側面からアプローチして指導してくれたのがつかこうへい氏だったのではないだろうか。
洗脳の相手が移動したのだ。
さらに、沖さんは美輪明宏氏の舞台を観劇した後に楽屋を訪ね、多くの「人生哲学になってしまう」(美輪氏)質問を持ちかけたという。
信じられる相手が欲しかった。上に引っ張り上げてくれる人が欲しかった。そんな沖さんの姿が浮かび上がって来る。
つか氏の結婚式にスタッフとして出席した沖さんは、レポーターに囲まれて、つか氏について尋ねられて
「本当はモラリストなんじゃないかなと思います」と答えている。

葬儀委員長まで引き受けてくれたつか氏には申し訳ないが、沖雅也という俳優の個性を生かしてくれたのは、「クラスメート」に始まる日テレの番組の数々と、必殺シリーズだと思っている。
「かけおち'83」の萩原は、ファンにとっては既に馴染みのある沖さんが演じるキャラクターだった。
日景氏によれば、つか氏から「小さな役だが出てくれないか」と頼まれたそうだが、物事はあらゆる側面から見て、総合的に判断しなくてはいけないということが長谷川氏のコラムを読んでいてよく分かった。

続きが楽しみだ。

悪魔が来りて笛を吹く

2018-08-03 15:33:00 | 沖雅也
2018年NHKBSプレミアム版の「悪魔が来りて笛を吹く」を観た。
もちろん、沖さんが出演された1977年版との比較のためだ。

(以下、多少のネタバレがありますのでご注意下さい)

何度もドラマ化、映画化された作品で、そのたびに原作とは違う展開が用意されていたのだが、今回は三島が最後まで自分に出自を知らなかったという設定が意外だった。
吉岡秀隆クン(子役から出ている人はいつまでもクン・ちゃんで呼ばれる宿命)の金田一はここで私が書くまでもないが、古谷一行さんに三千点の私でも違和感なく吉岡版を受け入れられた。
秌子夫人は物語の鍵となる人物なのでキャラクターは大事なのだが、いままで演じられた夫人は、名のある女優さんが演じていたため、異常性より美しさが強調されていたように思う。
沖さん版の草笛光子さんも、頼りない世間知らずでありながら、どこか凛とした佇まいが漂っており、この役に限ってはない方が良い「まともな」女性としての知性が見え隠れしていた。それは原作とは違う夫人の結末のためなのだが、事件のあらましを考えると何かが違うと思わせてしまうところがある。
今回の筒井真理子さんは、そういう意味では一番原作と物語に合ったキャラクターに設定されており、多少のデフォルメはあったが、こういう人なら仕方ないわね~と思わせるような脚本になっていた。

沖さんが演じた三島東太郎は、今回は中村蒼さんが演じた。


「非常に難しい役どころで常に頭を悩ませながら撮影を行っていますが、今回の吉田組でしか作ることができない作品と三島東太郎を作っていけたらなと思っています。」

というコメントを発表されていたので、ますます比較して観てしまった。
脚本も違うので、まっすぐ比較するのはフェアでないかも知れないし、原作を考えれば全く使用人に見えない沖さんより、ちょっと訛っており最後には言葉遣いも悪くなる東太郎は、物語の中では馴染んでいる。沖さん版があまりにもドラマチックで、「愛」が主題として押し出されていたから比較することは出来ないとも言える。

今回は東太郎に見せ場がないのだ。
フルートも吹かないし、母への愛も見せない。上半身もタンクトップを着たままだ(笑)。
それでも家族への愛を断ち切れない苦悩の代わりに、責める気持ちと暴力を振るう脚本の中では観ている側の者が東太郎に気持ちを寄せるシーンは少ないのだから、これは演者を責めてはいけないのかも知れない。
復員した時に一変した状況だけは、沖さん版にはない細やかさで東太郎の悲劇が描かれており、普通の青年らしい東太郎という意味では、中村さんの方がしっくりと物語にフィットしているのかも知れない。

複雑な家庭環境を持った沖さんから湧き出るものが、この三島東太郎を演じるためには適役だったと今になって気づく。
むしろ、自分の身と近づけないために抑えた演技を続けたようにさえ見える沖さん版の東太郎。
伏し目でも目に力を持たせることが出来る沖さんの演技は、ここで存分に発揮される。
どんな人間であってもある一定の気持ちを注いで労わる気持ちを忘れない古谷一行さんの金田一耕助をはじめ名優揃い踏みの1977年版の中で、沖さんの東太郎は原作を越えたキャラクターとして昇華している。

1977年版では暗闇に佇む椿英輔が窓辺に立っているという恐怖を掻き立てる演出や、やや暗い画面に戦後の混乱の雰囲気があった。今回の放送に先立って横溝作品の短編集では、その怪奇性を前面に出しており、これはこれで見ごたえがあった。というか、かなり怖くて夜トイレに行かれなくなった(笑)。

吉沢京子さん芸能生活50周年記念パーティー

2017-10-09 21:09:00 | 沖雅也
沖雅也研究会では、19歳の等身大の若者としての沖さんの姿を鮮やかに思い浮かべられるような素敵な思い出の数々を、あのはじけるような笑顔で語って下さった吉沢京子さん。
そんな吉沢さんの波乱に満ちた50年をお祝いする場に是非立ち合わせていただきたいと思い、ファン枠に入れていただいて出席した。

まず、吉沢さんの子供の頃から現在までを振り返る写真の数々が、巨大スクリーンに映し出された。
とにかくカワイイ子供時代。
小学校の学芸会で靴の役だった屈辱から児童劇団に応募したことをきっかけに女優の道へ。
「柔道一直線」のヒロイン役で一躍トップアイドルに躍り出て、そして「さぼてんとマシュマロ」の写真の数々が映し出された。
少年ともいえる沖さんと、はちきれんばかりの笑顔の吉沢さんが大きなスクリーンに現れると、もうそれだけで感慨深くて、目が潤む。

当時、斜陽となりつつあった映画の世界から、これからはテレビでやって行くんだという意気込みが感じられる沖さんと、主役に抜擢されて輝く吉沢さんのコンビは、私生活でも仲が良かったことを吉沢さんから教えていただき、本当に息の合ったコンビだったことがわかった。

結婚、出産、離婚、復帰…。離婚して東京に帰ってから途方に暮れ、息子さんを保育園に送った後はあてもなく青山の街を歩き回っていたとおっしゃっていたが、そんな過去もあっけらかんと話してしまうところに吉沢さんの魅力がある。

息子さんのお姿もあり、それも感慨深い。
残念だったのは、いつも家まで送ってくれた沖さんの車の助手席に乗っていたというお母様が、入院中ということでご出席が叶わなかったこと。母一人子一人、二人三脚で歩んでいらしたお母様は、どんなにこの日を楽しみにしていらしただろう。
幸い、現在は退院されているとのこと。良かった。

このおめでたい日、吉沢さんは「さぼてんとマシュマロ」、そして沖さんについてきちんとお話しして下さった。

「沖雅也さんはとっても優しくて、女性より美しい方でした。きっと今頃あのあたりから(上の方を指して)『お前も年取ったな~』なんて言ってるんじゃないでしょうか。あちらは若いままですからね♪」

本当に沖さんがここで吉沢さんをお祝いしていらっしゃるような気がして、また涙腺が緩む。
主題歌の「恋をするとき」も歌って下さった。
こんな日が来るとは、毎週胸をときめかせて仁くんと真理ちゃんのコンビを観ていた小学生の私は考えもしなかった。(当たり前)

吉沢さんのお人柄は研究会に出席された方々はよくお分かりになっただろうが、屈託なく沖さんのことを語って下さったことは、我々ファンにとって本当にありがたいことだった。
いつまでもマシュマロのような笑顔で、これからも輝いていただきたい。

昭和の景色

2017-01-18 09:47:00 | 沖雅也
「歩いても 歩いても」という映画を観た。
タイトルの意味は後半明らかになるが、
是枝監督らしい、何気ない日常風景がこと細かに描かれている。

しかし、この風景と音楽は「小さな恋のものがたり」で、
既にもっと当たり前の景色として描かれている。
制作年が昭和47年だから、昭和の景色であるのは当然だが、
静かな住宅街を歩く姿、蝉の鳴き声、虫に魂を感じる時、
子を想う親の気持ち…。

「だから大好き!」がコケるだけコケた(岡崎友紀さん談)後、
急遽作られたドラマとは思えない完成度で、
あの頃の景色とともに永遠に光り続けるこのドラマ。

チッチとサリーの両親が静かに心配する姿や
トン子ちゃんや山下君の純粋な友情、
そしてあの町並みの中で、懸命にサリーを想うチッチの気持ちが
今も胸を打つ。

沖雅也といえば「太陽にほえろ!」「必殺シリーズ」そして「俺たちは天使だ!」が
代表作と言われるが、私の中ではやっぱり
「さぼてんとマシュマロ」「ふりむくな鶴吉」そしてこの「小さな恋のものがたり」なのだった。