新・日常も沖雅也よ永遠に

お引越ししました。

つかこうへいさんのこと

2021-05-22 00:30:00 | 沖雅也
元つかこうへい劇団の長谷川康夫さんが朝日新聞の「論座」にコラムを連載されている。
沖さんがつかこうへいさんの演出にかかわった時代のことが詳しく分かって興味深いが、もちろんこれはあくまでつかさん側から俯瞰した見方で、沖ファン側から見れば別の視点が浮かび上がって来る。

まず「つか版忠臣蔵」の本番当日に沖さんが倒れてしまったこと。
文中では沖さんが交通事故を起こしたとあるがそれは別の時であり、自宅でシャワーを浴びていて昏倒したというのが事実。
それはともかく、つか氏自身が〝口立て”という方法で台詞を作って行くやり方を初めて経験した沖さんは『気持ち良さそうに身を委ねて』心酔していく当時の様子がよく分かった。
日景氏は、沖さんは「今まで作家に可愛がられた経験がなかったので、つかボケというか、つか信者というか」そんな形でつか氏に傾倒して行ったのだという。

入院した沖さんを見舞ったつか氏は
「これじゃ君が余りにもかわいそうだ。最初は“下手だ!”と罵倒したけど、君の誠実で懸命なけいこぶりを見て、オレは沖雅也を再発見したよ。こんな素晴らしい素質を持った役者だと、これまで気がつかなかった。安心しろよ、沖。この無念さをこれからの俳優としてのバネにしなくちゃ沖雅也が泣くぞ。俺が近いうち絶対君のために、いい仕事をとってやるから安心しろよ」

と語り、沖さんの目から大粒の涙がこぼれたという。
それはそうだ。仕事に穴を空け、心身ともに弱った状態の役者に向かって、これは最強の言葉だ。
長谷川氏によれば「つかこうへいの最も秀でた才能は、これと狙った人間を自分の世界に確実に惹き込んだり、相手の懐に易々と飛び込んでいく力だと、僕は思っている」
沖さんは日景氏の言う通り「つか信者」となってしまったのだろう。

つか氏は約束を守り、映画が大当たりした「蒲田行進曲」がTBSでテレビドラマ化された時、大山勝美プロデューサーによればつか氏がどうしても沖さんでやりたいということで沖さんがキャスティングされたということだった。

『つかの沖に対する演出は、一つ一つまるでおだて上げるかのようで、我々のいつもの稽古場とはまるで違っていた。上下とも紫のラメのジャージで懸命につかの台詞をなぞる沖に、つかが声を荒げるようなことは一度もなかった。』

長谷川氏の言葉に私は驚いた。
厳しく叱責されたからこそ、沖さんは喜んで身を委ねたのだと思っていたのだが、つか氏はもっと上手だったのだ。
ただ、日景氏の心もつかんだように思えたようだが、生前の日景氏はつか氏に対しては辛口だった。それは、沖さんの心がつか氏に傾倒して行ったことに対する妬みのようにも思えたし、沖雅也という俳優の個性を知り抜いた者としての不満でもあった。

「かけおち'83」で沖さん演ずる萩原は、つか氏が銀ちゃんを託した沖の芝居に、何かを見切ったがゆえにただただ一途で不器用な男としたのだと書かれているが、これは沖ファンとしてはもの申したい。
「決定版!蒲田行進曲」の沖さんの銀ちゃんは確かに上手く行ったとは言い難い。
だが、それは沖さんのせいだろうか。
映画ではハチャメチャながらも愛すべき男である銀ちゃんと、それを慕うヤスの物語が風間杜夫・平田満の最強コンビで描かれていたが、TBSは小夏を主軸に置いた女性の物語を希望したところから、全く軸の違うものとなっていた。
つか氏がもし役者の個性を見抜いて〝口立て”で演出や台詞を変えて行ったのなら、沖雅也という役者を見誤った演出をしたのは、つか氏の方だと私は思う。
キャストも全く違う映画と比べても仕方がないのだが、小夏は銀ちゃんに未練を見せないし、ヤスは銀ちゃんを慕うどころか、ひたすら顔が怖い(笑)。
つか氏は「大原(麗子)の小夏はいいねえ」とご満悦な様子の当時の記事を読んだが、大原麗子さんの役者としての個性ともいえる一途さに主眼が来たために、小夏とヤスの純愛物語として完結されたのだ。
そのために、映画では一番のみどころとなったヤスの階段落ちの台詞「銀ちゃん、カッコいい~」は消えていた。
これで、沖さんは一人でどうやって銀ちゃんを輝かせられるのか。
ああ、生前のつかこうへい氏に文句を言いたい(笑)。
この「蒲田行進曲」の前編放送日には、つかこうへい劇団に混じって沖さんも一緒にオンエアを観たのだそうだが、そこで沖さんはつかさんに演技を厳しく叱責されたという。(『驚きももの木20世紀』という番組で沖さんについて特集した時に、その日のことに触れている)
それが自殺の原因となったとも報道された。もちろん違うと思う。
だって、沖さんはホテルにチェックインした時に、名前の横に〝つか”とルビをふったのだ。
そのことについて申し訳ないと思い、「つかこうへい様 あなたの名、つかを使いし僕をゆるせるものならおゆるしください」と遺書に書いた沖さん。
つかこうへい氏を最期まで慕っていたのだ。

そのことについてレポーターから尋ねられたつか氏は、信頼の証だったんじゃないかと言った後で
「だから俺とかこういう騒ぎに巻き込んで申し訳ないっていうね。
俺たちが18とか19で青春だとか孤独だとか考えるけどね、あの年まですれずにね、人生に対して誠実に対処してたんだろうねえ。魔がさしたとしか思えないんだけどね、だから。」

と、答え、
「自分勝手なんだよ。まだあいつのいい芝居観たいっていう人がいっぱいいるしね、俺だって観たいし。
怒りっていうか生きてればもうねえ、ただじゃ済まんぞって感じだよね。
まだいい芝居やろうっていうのに。明日観るお客さん(「決定版!蒲田行進曲」後編のこと)とかね、そういうこと考えんかっていうそういうね。
まだいい役いっぱいやれそうなんだもんね。まだまだ三十歳だからね。タッパが高くてね。」

確かに人心掌握に優れた人の言葉だ。

銀ちゃんについて、沖雅也という俳優を見誤ったことに気がついたからこそ、「かけおち'83」では沖さんが得意とする堅物で女性の扱いが苦手な男をコミカルに演じる役を作ったのではないのかと思っていたが、どうやら概ねそれは正しかったらしい。
ただ、沖さんはこの時にかつてのようなキレのある演技が出来る状態ではなかったのは、仕方ない、認めよう。台詞の滑舌も良くない。

長谷川氏が
『俳優、沖雅也への、作家、演出家としての愛情がなせる業だったと、僕は思う』
『結果として、登場場面は数えるほどでも、とことん戯画化された沖=萩原の存在感は際立っていて、このドラマの成功を約束させる大きな力となったことは間違いない』
と書いているのがありがたい救いに思える。

私個人の考えで申し訳ないが、私は沖さんは日景氏の洗脳下にあったと思っている。
15歳でひとりぼっちになって上京した沖さんが、都会のよるべない暮らしの中で「こんな暮らしをしていてはいけない」と手を差し伸べてくれた日景氏に救いを求めたことは間違いないし、16歳で日活に入社して大人の社会に出てしまった時に、日景氏が色々指導したという。
子供が親の言うことを信じて大きくなるように、沖さんは日景氏の言うことが正しいこととして実践し、芸能界を生き延びて来た。
20代前半で結婚したいと言った時も、結局は日景氏の反対を受け止めた。
もちろん、相手の方と上手く行かなくなったこともあるのかも知れないが(笑)。

そうやって生きて来た沖さんに、初めて別の側面からアプローチして指導してくれたのがつかこうへい氏だったのではないだろうか。
洗脳の相手が移動したのだ。
さらに、沖さんは美輪明宏氏の舞台を観劇した後に楽屋を訪ね、多くの「人生哲学になってしまう」(美輪氏)質問を持ちかけたという。
信じられる相手が欲しかった。上に引っ張り上げてくれる人が欲しかった。そんな沖さんの姿が浮かび上がって来る。
つか氏の結婚式にスタッフとして出席した沖さんは、レポーターに囲まれて、つか氏について尋ねられて
「本当はモラリストなんじゃないかなと思います」と答えている。

葬儀委員長まで引き受けてくれたつか氏には申し訳ないが、沖雅也という俳優の個性を生かしてくれたのは、「クラスメート」に始まる日テレの番組の数々と、必殺シリーズだと思っている。
「かけおち'83」の萩原は、ファンにとっては既に馴染みのある沖さんが演じるキャラクターだった。
日景氏によれば、つか氏から「小さな役だが出てくれないか」と頼まれたそうだが、物事はあらゆる側面から見て、総合的に判断しなくてはいけないということが長谷川氏のコラムを読んでいてよく分かった。

続きが楽しみだ。

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