新・日常も沖雅也よ永遠に

お引越ししました。

三つ子の魂百までも

2010-12-18 11:06:00 | 沖雅也
今朝ファミリー劇場で再放送中の「幡髄院長兵衛」第6話を観ていたら、第5話で唐犬権兵衛と恋仲になったおきくちゃんが、すでに身内となって「うちのお嬢さん」と紹介されていた。
お嬢さんというのだから祝言は挙げていないのだろうが、権兵衛との仲は第5話限りとずっと思っていた私には意外だった。

数年前にまさかの地上波再放送があったこの「幡髄院長兵衛」。
何度かCSでも再放送されていたので、アメリカにいた間にも友人が録画して送ってくれて、全話ではないもののビデオを持ってはいたのだが、出番が多くて華々しい活躍のあるものと比べて手が伸びなかった。
今回の放送に合わせて毎週一話一話観て行くと、本放送と同じ間隔を空けて観るのも良いものだと、本放送当時にはあり得なかった視聴方法に、ちょっと感動する。
DVDとして所持していることも大事だが、テレビをつけるとドラマが始まる感じも待ち望んだ感じがあって嬉しい。

もともと時代劇は沖さんが出演されているものしか観なかった私は、任侠ものでもあるこの番組があまり好きではなかった。
唐犬権兵衛の活躍は少ないし、当代きっての伊達男と称されていたはずの権兵衛なのに、どちらかと言うと大雑把で喧嘩っ早いというキャラクター。
まあ、犬を踏み殺したことによる命名らしいから実物はこんなものだったのかも知れないが、ファンとしては内容が好みではないのだから、せめて沖さんにもっと活躍してもらいたかったのだ。

今回じっくり観る機会があるのは良いことだった。
ああ、着物の柄も色々変えていたんだなとか、こんな人とも共演していたんだなとか、細かいことも含めて新鮮に観られる。

第6話にはまだ無名の竹下景子さんがゲスト出演しているが、「父上」の一言に情がきちんと込められていて、大女優の片鱗を感じさせてくれるし、大原麗子さんのきっぷの良い江戸っ子ぶり、笑いの部分を任されてギャグを懸命に挟み込む小松の親分さん、そして侠客でありながら爽やかで堂々たる平幹二朗さん。
子供だった私が気付かなかった魅力のある時代劇だった。
もっともこの番組、視聴率が悪かったのか途中でテコ入れがあり、タイトルも「幡髄院長兵衛お待ちなせえ」から、ただの「幡髄院長兵衛」と変わる。
主題歌も同じメロディながら歌を外してテンポの良いものになっていた。
本放送当時はこの歌つきの主題歌が流れるたびに母が「品がないからボリュームを下げてちょうだい」とクレームをつけたものだ。

今朝、再放送を観ていたところで母がやって来た。
「何なの?ちょっとボリューム下げて」

変わらないわが母であった。

出さなかった投稿はがき

2010-12-14 12:27:00 | 沖雅也
沖さんが亡くなって27年にもなり、自分の中ではそれを受け止めきったつもりで毎日を過ごしているのだが、ひょっとしたきっかけで足元をすくわれる。
実際には誰かが足をすくうのではなく、自分の足元に何もなかったことに気がつくだけなのだが、この足元、地球の重力とは関係なく、自分が気がついた時に落ちるシステムなのだから始末が悪い。


沖さんを応援するようになってからというもの、新聞の番組感想投稿欄は欠かさず読むようにしているのだが、今日はそこでわが足元を見てしまった。

体調不良で休養していたお笑い芸人さんが復帰したのを喜ぶ投稿だった。
無期限休養と言われていたのに意外と早い復帰に、私もまったく関係ないながら、よかったよかったと胸をなでおろしていたのだが、この投稿を同じような文章をはがきに書いた自分を思い出して、ふっとタイムマシーンに乗り込んでしまった。


自宅で昏倒して救急車で運び込まれたというニュースが入ってもそれ以上知ることは不可能。
自分より大切にしている人が他人であることを思い知らされる瞬間だが、それには慣れていた。

沖さんが回復して病院のベッドでレポーターのインタビューを受けている映像を見て、私は驚いた。
顔のむくみもとれて以前と同じ明るい表情の沖さんが、自分が倒れた時のことを明るい口調で話しているのにも驚いたが、とにかく元気な姿を見せようとベッドからインタビューに答えてくれている沖さんに、心配しているファンへの気持ちを見せてもらったような気がして、涙があふれてきた。


私は子供の頃病弱だったわりには活発で、元気な時にはそれを謳歌しようとしたのか、よく親から「糸の切れた凧のよう」と言われた。
暗くなるまで遊びほうけて家に戻ると、誘拐でもされたのではないかとあちこちに電話をしていた母からいきなりお尻ペンペンだった。
人は心配事が解消すると怒りに変わる。


テレビの画面に向かって「よかった…」と涙ぐんだのも束の間、「なんなのよ、人を心配ばかりさせて!」という怒りが湧いてきた。
それでも、懸命に元気をアピールする沖さんの表情をみながら、元気になってくれたことを神に感謝した。
新聞に投稿をしようとしたが、それがまたプレッシャーになるといけないと思ったのか、それとも文章力のなさに中途で放り投げたかは記憶にない。
はがきを破いて捨てて、母に「これは新しいはがきと交換できるのに」と怒られたことだけ、なぜかはっきりと覚えている。

医師

2010-12-07 12:21:00 | 沖雅也
6月に叔父が亡くなった時のこと。
とにかく病院の対応に驚いた。
確かに入院していた病棟はほとんど意識のない患者さんばかりだったが、叔父は気管切開で話すことは出来なかったものの頭はしっかりしており、筆談で意思の疎通が出来た。
だが、危篤になった時に駆けつけた医師は、母と娘に「人工呼吸器をつけるかどうかは決めておいてって言ったでしょう!」と怒鳴ったそうだ。
確かに病気の種類にかかわらず入院すると必ず聞かれる事項であり、どこの家族も決定には悩むところだろうが、危篤でオロオロする家族に怒鳴ることはない。

そもそもこの数日前から、叔父は熱が下がらずに寝ていることが多くなっていた。
私が見舞いに行った時も苦しそうに息をしていたので、担当看護師を呼び出して
「肺炎ではないでしょうか?」と訊いたのだが、
「このお天気だから、熱が出る人が多いんですよね。肺炎ではないと思いますが…。先生も今日は土曜日でお休みだし」
医師が休みであるかどうかは患者側の問題ではないはずだが、それより強くは押せずに引き下がってしまった。
叔母も質問したそうだが、その時点では肺炎ではないと言われたとのこと。
しかし肺炎だった。

何度目かの危篤で呼び出されて行った時は、もう瞳孔が開いているような状態ではあったが、まだ脈もあり、呼吸もしていた。手は暖かい。

何度か取り付けた機器がアラーム音を鳴らした。
小康状態になった時に病室から出て廊下のベンチに座っていると、家族が戸棚に入っていた私物をまとめて袋に入れて持って出て来た。
まだ息があるのにそんなことをしてしまうのかと思ったが、それについては私が口を出すことでもないので、そのままにしていた。
後で聞いて分かったのだが、看護師が患者の枕元で「そろそろ身の回りのものは片づけて下さいね」と言ったのだそうだ。


その病院で娘たちは生まれた。
叔父は転院先の候補として、真っ先にその病院の名を挙げた。

だが、面接に行った時の看護師の対応は、私の予想したものではなく、
「本人はやる気があるので、少しでも歩行のリハビリをしてもらいたい」と告げたものの、
「この病気はね…。ご家族はどうしても良くなるんじゃないかと考えたりなさるようですが」と、最初から諦めムードだった。
リハビリも回復の見込みがないこの病気では、医療報酬が認められないのだそうだ。

確かに治療法もないと言われている難病ではあったが、死ぬのを待つだけの入院をしろというのが今の医療制度か。
制度もそうだが、いくら仕事であっても、家族の気持ちは置き去りなのか。

沖さんに死なれて初めて分かった遺された者の痛み。
そのケアなしに医療が行われていることに愕然とした。
毎日起こる死の現場に慣れてしまうのだろうか。


最近亡くなった俳優さんの妻も、心が通う医師と巡り合えなかったというコメントがあった。
沖さんが最初に発作で倒れた時、すぐに病床でインタビューに答えていたが、最近動画サイトにも出ていたので、ご覧になった方もおられるだろう。
「だからね、医者が言うのよ…」
そんな気軽な言葉が出たことで、なんとなく良い医師に治療していただいているのだろうと胸をなでおろしていたことを思い出す。