新・日常も沖雅也よ永遠に

お引越ししました。

クリスマスが嫌いだったころ

2012-12-26 11:33:00 | 沖雅也
沖さんがご存命中から、私はクリスマスが嫌いだったが、
亡くなられてからは、浮かれているように見える街を歩くだけで苦痛な日となった。

よせばいいのにクリスマス・イブに墓参したりすると、
六本木や青山の喧噪を通り抜けることになる。
スイミング・コーチという仕事をしていた頃は、
洗い髪をまとめることもせず、ジャージの上に色気のないコートを羽織って西麻布の交差点に立っていたのだが、ぜーんぜん平気だった。
自分がヘンな人と見られているだろうと考える
心の余裕すらなかったのだろう。

大きな通りからたった一本小路へ入ると、驚くほどの静寂が訪れる。
坂を上って長谷寺の前へ着くと、突然大きな外車が入って来た。
運転手が怪訝そうな顔で私の顔をのぞきこんだのがわかったので、
ガンをつけてはねのけてやろうと思ったら、
それは沖さんと共演したことがある俳優だった。
時間はもう9時を回っている。
クリスマス・イブは誰でも誰かといる時間帯と勝手に思ってすねていたが、とりあえず一人の人を見ると安心したりする。
車が止まり、中の人物は何か私に話しかけようとした。
こんな夜に一人でお墓参りをしようとしている私の向かう先をこの人は知っていたのか。
今の私なら自分から話しかけられるが、抜け殻の私は黙って目を逸らして寺の中へ消えた。
もしかしたら、私があの世に帰る幽霊に見えたかも知れない。
この方、のちに回顧録で沖さんについて書いているではないか。
惜しいことをした。

あるクリスマスは一人で過ごすのが耐えられず、
「クリスマスはイエス様のお誕生日なんだから自分たちでお祭り気分になるのは間違っている!」と意気込んだフリをして、うちは浄土真宗なのに友人を誘って教会へ行った。
その教会には若い牧師がいて、ひととおりの礼拝が済んだあと、近所の病院に讃美歌を歌いに行くから一緒に来て下さいと言われ、後に続く。
病院の中に入るのかと思ったら、建物の外からキャンドルを照らして声をはりあげて歌うという。
最初は「え~?!」だった私も、少しずつ窓が開いて、下をのぞきく入院患者さんたちの顔を見ているうちに吹っ切れて、大声で歌うようになった。
隣りの友達を見ると、やはり懸命に歌っている。
窓に笑顔が並んだ。
パジャマ姿の人、頭を包帯で巻いた子供…。
決して上手でもない付け焼刃の合唱団なのに、一曲終わる毎に拍手が湧いた。

私だけが一人なんじゃない。
私だけが傷ついているんじゃない。
私だけが絶望の淵にあるんじゃない。

クリスマスだというのに病院で夜を迎えている人たちの笑顔に助けられて、
私はそこから この世に沖さんがいない現実と孤独に
まっすぐ向き合う覚悟を決められたように思う。

もう一度だけ、ひとめだけでも逢いたい。
その思いが今生では叶わないことに向き合うと、足元からふっと力が抜ける絶望感。
それでも生きていかなくてはいけないのなら、再会の日を信じてしっかりしなくてはいけない。
それがわかっただけでも教会へ行って良かったと思っている。
今も浄土真宗だけど。