新・日常も沖雅也よ永遠に

お引越ししました。

乗り越えられなくてもやっぱり明日は来る

2011-04-02 11:52:00 | 沖雅也
乗り越えられない困難はない。
何度も聞いたフレーズであり、今回の東北大地震被災者へのメッセージとしても流れているが、私には沖さんの死はいまだに乗り越えられない事実として目の前に立ちはだかっている。

毎日温かい食事も食べられるし、家もある。風呂もトイレも落ち着いて入れる。
こんな当たり前のことが有り難くて、それを享受出来ない環境にある人に申し訳なく感じてはいるものの、今日も自分はぬくぬくと生きている。

沖さんが亡くなって28年がが過ぎようとしており、人生は沖さんが亡くなる前より亡くなった後の方が長くなっているのだが、それでも私はそれを乗り越えられずにいる。
乗り越えることを拒否している部分もあるのかも知れない。
越えて行ってしまいたくない。
いつまでも一緒にいたい、と。

中学と高校はキリスト教主義の学校に進んだため毎日礼拝があったので、マイ聖書は常に机の中にあった。
ある日、宣教師が「フーポン信者」の話をした。
苦しい時、悲しい時だけ聖書を引っ張り出し、表紙の埃をフーッと吹き飛ばし、ポン!とはたいてパッと開いた箇所から救いの言葉を探す人のことをこう呼ぶという説明だったが、私は正にそれだった。
好きな箇所にはマーカーで印をつけていたが、それは常に愛に関する箇所で、イコール沖さんに対する気持ちというフトドキ者だ。

求めよ さらば与えられん

そう信じていた頃の自分は、本当の困難にはまだ遭遇していなかったのだろう。
求めても扉をたたいても得られないものはある。
乗り越えられない困難はあるのだ。

被災者の避難所で配られたおにぎりを手にしたまま口に入れない老夫婦がいた。
息子一家が亡くなってしまったという。
お腹が空いても食べられないというその言葉の重さに、あの日のメロンパンの重さを重ね合せていた。


沖さんが亡くなった数日後。
何か食べなくてはいけないと言われ、メロンパンを買ってきてかじった。
何とか食べなくてはいけないと思いながら口に入らない。
食べるのを拒否しているのではなく、何とか食べようとしているのだが、体のすべてが拒否しているようだった。


「乗り越えられなくても慣れることは出来る」

28年、何度も心の中で繰り返した言葉。
どんな励ましの言葉より、それがしっくり来た。
あの老夫婦にその言葉を差し出すようなむごいことは出来ないが、なんとか慣れて生きて行く日が来ますようにと心から祈る。