タモリ倶楽部を毎週録画に設定しておくと、たまに「検索ちゃんネタ祭り」があって録画されていることがある。
何気なく朝からそれを観て号泣してしまった。
カンニング竹山さんが、亡くなった相方の7周忌記念にライブで相方をネタにしたので、
その一部をテレビでするという。
その理由というのが
「中島イコール白血病で死んだ。これしか残ってないんです」
その一言がまず、沖さんのこととダブる。
沖雅也といえば今でこそ、市松が好きだったとか「俺たちは天使だ!」という意見が出てくるが、やはりまだ「涅槃で待ってる」を出してくる人が必ずいるし、日景さんの名前を出す人もいる。
まあ、インパクトがあったからね…では済まされないのだが、私にはそれにぶつかって行く力がない。
竹山さんは、相方という立場から、それに立ち向かったのだ。
もちろん、病死された相方の中島さんには、沖さんのようにスキャンダラスな報道もなかったのだが、彼が相方として存在したことを風化をさせないために、批判覚悟で挑んだのだった。
どう話を持ってくるかと思ったら、横に仏壇の前にある鈴を持って来て、それを叩くことでその話は浄化されることにするという方法だった。
内容は葬儀の時に起こってしまう、笑っちゃいけない時に笑わせるひとこまや、死者にはあまり向けない下ネタだったのだが、オチを言ったらその鈴を思い切り叩く。
あまりに思い切り叩くので、棒が何度も折れるのは故人が認めていない証拠なのかなと思ったら、それもネタで、次々に棒が出て来る。
案の定、ウケるわけがない。
会場のお世辞笑いが少しだけと、出演者の困惑した笑顔が映し出される。
キャラとはいえ、激しく鈴を叩き続ける竹山さんには、友情や愛という言葉で済まされない身内意識があり、笑いは取れなかったが、感動はいただいて号泣してしまった。
「最後に、これだけ言わせてください…中島さん。あなたの話をテレビで話してみました。…ヤヤウケでした」
語りかける竹山さんを観ながら、私も沖さんのことを、もっと公に話してみようという気持ちになった。
ネットで情報配信するより、身近な人に自らの言葉で伝えるのは勇気がいるが、もう亡くなられて30年。私も鈴を鳴らして浄化出来るかも知れない。
何気なく朝からそれを観て号泣してしまった。
カンニング竹山さんが、亡くなった相方の7周忌記念にライブで相方をネタにしたので、
その一部をテレビでするという。
その理由というのが
「中島イコール白血病で死んだ。これしか残ってないんです」
その一言がまず、沖さんのこととダブる。
沖雅也といえば今でこそ、市松が好きだったとか「俺たちは天使だ!」という意見が出てくるが、やはりまだ「涅槃で待ってる」を出してくる人が必ずいるし、日景さんの名前を出す人もいる。
まあ、インパクトがあったからね…では済まされないのだが、私にはそれにぶつかって行く力がない。
竹山さんは、相方という立場から、それに立ち向かったのだ。
もちろん、病死された相方の中島さんには、沖さんのようにスキャンダラスな報道もなかったのだが、彼が相方として存在したことを風化をさせないために、批判覚悟で挑んだのだった。
どう話を持ってくるかと思ったら、横に仏壇の前にある鈴を持って来て、それを叩くことでその話は浄化されることにするという方法だった。
内容は葬儀の時に起こってしまう、笑っちゃいけない時に笑わせるひとこまや、死者にはあまり向けない下ネタだったのだが、オチを言ったらその鈴を思い切り叩く。
あまりに思い切り叩くので、棒が何度も折れるのは故人が認めていない証拠なのかなと思ったら、それもネタで、次々に棒が出て来る。
案の定、ウケるわけがない。
会場のお世辞笑いが少しだけと、出演者の困惑した笑顔が映し出される。
キャラとはいえ、激しく鈴を叩き続ける竹山さんには、友情や愛という言葉で済まされない身内意識があり、笑いは取れなかったが、感動はいただいて号泣してしまった。
「最後に、これだけ言わせてください…中島さん。あなたの話をテレビで話してみました。…ヤヤウケでした」
語りかける竹山さんを観ながら、私も沖さんのことを、もっと公に話してみようという気持ちになった。
ネットで情報配信するより、身近な人に自らの言葉で伝えるのは勇気がいるが、もう亡くなられて30年。私も鈴を鳴らして浄化出来るかも知れない。