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この映画の原作An American Tragedy(アメリカの悲劇)と
昨年末、New Yorkで上演されたオペラAn American Tragedyについての記事は既に書いています。
この映画は「シェ-ン」などで日本でもお馴染みのジョージ・スティーブンス(George Stevens)監督の代表作のひとつで、1951年度のアカデミー賞6部門を受賞しています。
昨年末、NYのメトロポリタン・オペラハウスの地下エントランス付近で開場を待っていた時、いかにも良家の子女と思われる(ま、METはそういう観客ばかりですけれど)十代の女の子ふたりが話していました。
「今日のは新作オペラらしいけど、どんな話か知ってる?」
「うん。ママが原作の映画を見ておきなさいって言うので、DVDを見てみたの。でも、あんまり古臭い話で笑っちゃった。」
…そうか、笑っちゃうか…そうかもね。
実際、この映画自体、もう55年前の作品になるんですね。原作の「アメリカの悲劇」が書かれたのは1925年ですから、80年余り前の話ということになります。(いずれにしても古い)
結論から言うと、この映画は原作とかなり違っています。
でも、原作ファンの私はさほど違和感はなく、
映画は映画として心を動かされるものでした。
スティーブンスが映画化の構想を始めた’40年代後半は非米活動調査委員会の力が強まっていました。原作者のDreiserが死の前年に共産党に入党していた事実、資本主義批判の社会小説として読まれる傾向があったこと、また、過去に当時のソ連出身の脚本家による翻案が物議を呼んだ一件を考え合わせても、スティーブンスはかなり慎重にならざるを得なかったことは想像に難くありません。
登場人物の名前が変わっている。時代設定が第二次世界大戦後になっている。
そして、ロマンティックな場面が多くなっている…。
モンゴメリー・クリフトの演じる主人公ジョージは、原作のクライド・グリフィスのイメージと合っています。陰のある美青年。原作はやや狡猾な印象も持ち合わせていて、クリフトにはそれは感じられないのですが、それを差し引いても原作に極めて近いイメージであると言えます。
裕福な家の美少女アンジェラは当時19歳のエリザベス・テイラーが演じています。彼女のファンの間では、この映画のテイラーこそ「美の絶頂期」にあったとされているそうです。とにかく、絵に描いたような美しさであるばかりでなく、(原作と違うのは)優しくて思いやりがあり、一途であるということ。
スティーブンスは、観客の「夢」を具現する女性としてテイラーを持ってきたとのことです。彼女が、身分の違うジョージと結ばれると楽観的に信じるのも、「上流階級のお嬢さんの世間知らず」というよりは、彼女の持つ大様さだと感じさせてしまう辺りは、凛とした目の動きや迷いのない話し方など、計算された細かい演技に帰するところも大きいでしょう。
女工アリスはシェリー・ウィンタースが演じています。(彼女は昨年末に亡くなりました。)原作の女工ロバータは貧農の生まれではあるけれども、どこか品があって、他の女工とは明らかにイメージが違っている少女として描かれていますが、映画のアリスは劣等感や僻み・妬みなどの感情を巧みに演じ、下層階級の少女のある種のステレオタイプを見せています。しかし、時折見せる愛嬌のある表情は観客の反感を和らげるものでもあります。
クリフトの演じる主人公ジョージは、「上流階級の生活を夢見る野心家」とは言っても、ジュリアン・ソレルやトム・リプリーのような緻密な策略家ではなく、非常に凡庸な人間です。ここは原作と同じ。
ジョージが伯父の工場へ向かうためにヒッチハイクをするところから映画は始まりますが、伯父の経営する水着会社の大きな看板を眩しそうに見つめ、目の前を過ぎていくキャディラックの乗っていた美少女に目を奪われ(これはアンジェラ)、伯父の住む屋敷に圧倒され…
個人の野心など些細なものに過ぎない、最初から道は既に敷かれている…そんな現実社会のリアリティーを冷静に見せる映像が次々と出てきます。
また、アリスとの婚姻届を提出しようとした日がたまたま祝日であり、湖に連れ出すのも原作ほど「計画的」ではありません。偶然が重なって最悪の行動に導かれる流れが原作よりも顕著になっています。
ボートに乗ったアリスが
「…どこか知らない街で、普通の老夫婦のようにひっそり暮らしましょう。無いものねだりをするのではなく。人生なんて小さなことの積み重ねじゃない?一生懸命働いて、節約して…貧しくてもかまわないわ。」と健気に訴えた時、ジョージの顔が曇り、例えようもないような「憎悪」の眼差しをアリスに向けます。
ジョージがこんなに激しい表情をするのはこの場面だけなのです。アリスに結婚を迫られる時でさえも困惑の表情を見せるだけなのですが…。
スティーブンス監督は原作者のドライサーを
「事実を書き、非常に情け深い、恐ろしいまでのリアリスト」と理解し、「アメリカの悲劇」は「われわれの社会で起こりうる出来事」として解釈していました。ハリウッドにおいてアウトサイダーとして生きた監督自身の人生観にも裏付けられたリアリズムの手法を取り入れ、一方では、当時の時代背景も考慮し、ロマンティシズムのテイストも含ませた、バランスの良い仕上がりになっているのは、やはり、映画人としての技術の高さなのでしょうか。
「人間は大海を漂う藻屑に過ぎない…」(ドライサー A Book About Myselfより)
参考「アメリカの悲劇の現在」中央大学文学部編
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