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And This Is Not Elf Land

マトリョーナの家



ロシアの作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィン氏死去。

かつて、氏が「時の人」として注目されていたころ、代表作の『収容所群島』を読んでみたのですが、あまりに長くて挫折(汗)むしろ印象に残っているのはこの短編集『マトリョーナの家』

調べてみると、これはもう廃刊になっているようですね。この新潮文庫の一冊はかなり貴重なのでしょうか?

その昔、NHKラジオ第2放送で、日曜の夜に「文芸劇場」(だったかな?)という番組があって、古今東西の名作をラジオドラマとして放送していたのでした。ジッドの『田園交響楽』とかサローヤンの『わが名はアラム』などを取り上げていたのが今でも思い出されますが、確か、この『マトリョーナの家』もその一つでした。この本を買ったのも、このラジオドラマがきっかけだったと記憶しているのですが…

で、本日、数十年ぶりに手に取ってみました。


主人公の「私」は収容所生活の後、教師として生計を立てながら永住できる小さな村を探していましたが、やがて「トルフォプロドゥクト(泥炭生産地という意味)」という村を紹介されます。「ああ、こんな言葉がロシア語で作られようとは、さすがのツルゲーネフも思わなかったに違いない!」と喜びに胸を弾ませながらその村に向かいます。

下宿先として紹介されたのはマトリョーナという老女が一人で暮らしている家でした。彼女は家族にも恵まれず、持病に苦しんでいましたが、社会には彼女を救う仕組みが無いばかりか、親類や近隣の人たちからも、お人良しな働き者として利用されているだけでした。そして、不幸な事故…


この短編小説は「純粋なロシア女性の悲劇を通そて、ロシア魂の救済を訴えた…」と「解説」されている割には(?)、「私」は彼女の死を経験して初めて彼女が理解できるという展開になります。

実際、古い村には、「古き良き伝統」ばかりではなく、封建的な考え方も根強く残っており、村人たちも(基本的には)粗野で、教育を受けていた「私」には受け入れがたいことも少なくありませんでした。

しかし、死後「私」は気付きます。マトリョーナは決して「豚」を飼いませんでした。厳しい村の生活の中では、豚を飼うのは何よりも容易いことだったのに。ただ食べ物を与えて、太らせて、そして「自分のもの」にして食すればいい。村人は皆そうしていた。しかし、彼女は豚を飼いませんでした。そればかりか、家具や調度品もそろえようとしませんでした。結局、何も「自分のもの」にしなかったのでした。

「この人のすぐそばで暮しておりながら、誰ひとり理解できなかったのだ。この人こそ、一人の義人なくして村は立ち行かず、という諺に言うあの義人であることを」

また、マトリョーナが「そんなに信心深くは見えず、むしろ異教徒風だった」という描写も見逃せません。ここは「解説」に述べられている通りに書きますと、ロシアが正教に改宗してからも、それ以前の異教の影響は、ことに田舎の人々の生活の中では様々な形で生き続けていたようです。

ソルジェニーツィン氏は敬虔なキリスト教徒であり、ロシア正教が事実上無神論者に支配されていると批判しました。むしろ「異教徒風」と思われることの中に、ロシアの地に根ざした人々の純粋な信仰心を見たのではないかと思われます。
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