フランスの作家、アラン・フルニエが1913年、26歳のときに発表したロマンティックな小説"Le Grand Meaulnes"
日本でも翻訳され、『モーヌの大将』(タイトル直訳というか意訳というか…)、または1967年の映画の邦題を借用した『さすらいの青春』などのタイトルで出版されています。今回久しぶりに読んだのは岩波文庫から1998年に出た『グラン・モーヌ』(原題そのままカタカナ・パターン)
フルニエはこれを発表した翌年、第一次世界大戦に従軍し、戦死しています。以前は「行方不明」とされていたのですが、近年になって、遺骨が確認されました。
この作品は、小説としては荒削りであり、技巧的にも稚拙な部分を指摘されてはいますが、作品の根底に流れるものは今も人々を魅了し続けています。
私は映画版の方を劇場で見た記憶があります。きっとリバイバルだったか、あるいは日本公開まで数年かかったものと思われます。(なんたって、「1967年」の映画だそうですからね…ちょっとムキになっている自分がいる…笑)あのときは2本立て上映が当たり前で、お目当の映画と一緒に上映されていたのです。一緒に観た友人が、モーヌ役の俳優が「太田投手みたい~」と一目ぼれしたのを思い出します。(「太田投手~~~?」ハハハ…ここで自爆しとるわ!)
物語は1890年代、フランスの片田舎の学校が舞台。語り手である「僕」(フランソワ)の両親は教師として学校に住み込んでいました。両親とも実直で堅実、ある意味理想的な教師でしたが、フランソワには、好奇心にかける面白みのない人物として映ることもありました。その学校に転校してきたのはモーヌという背の高い丸刈りの少年。同級生の中では、その独特のカリスマ性から"Le Grand Meaulnes"(偉大なモーヌ)と呼ばれていました。フランソワも独特の雰囲気を持つモーヌに惹かれていきました。
あるとき、モーヌは授業をさぼり、学校に来る予定の客人を先回りして迎えに行って皆を驚かそうと、村人から馬車を借りて走らせます。しかし、いつしか道に迷ってしまい…やがて、不思議な古城の屋敷に辿りつきます。そこでは、その家の息子の婚礼準備の真っ最中で、仮装した村人たちや旅芸人たちが屋敷に大勢集まっています。なんでも、花婿となるフランツは一風変わったことが好きなのだそうで、彼のために特別な祝宴が開かれることになっていたのです。
しかしながら、フランツの花嫁は現れず、あっけない幕切れとなってしまいます。モーヌは村人に送られて元の学校(寄宿学校)に辿りつきますが、彼は屋敷で出会ったフランツの妹の美しいイヴォンヌが忘れられません。(映画では、この役は『禁じられた遊び』のブリジット・フォッセイが演じていました)
「冒険を経験した」モーヌは、ますます他の生徒たちにとって近寄りがたい存在になります。(まさに「オー、ボーイ!」な世界…)彼の頭の中は、あの屋敷をもう一度訪れてイヴォンヌと再会したい思いでいっぱい。「地図」で場所を探そうとしますが、どうしても見つけることはできません。あの屋敷とそこに住む美しいイヴォンヌは「実在」したのか…地図を見れば見るほど、「その場所」が遠のいていくような感じさえ受けるのでした。
そんなとき、学校に旅芸人一座の少年が転入してきます。その頭に包帯を巻いた不思議な少年は、実は屋敷の結婚式で花婿となるはずだったフランツだと分かります。フランツは花嫁に逃げられ、絶望して森で自殺を図りましたが、死にきれず、ちょうど婚礼に招待されていた旅芸人一座に入って流浪の生活をしているのでした。不思議な縁で結ばれていることを実感した3人。ある日、放課後の教室で、モーヌとフランソワはフランツに「逃げた花嫁を連れてきて、君を必ず助ける」と誓うのでした。
ここまでが物語の「4合目」くらい。
そこから、モーヌ、フランツ、イヴォンヌ、そしてフランツの花嫁となるはずだったヴァランティーヌを巻き込んだ不思議な運命の物語が展開します。フランソワは、ときに時系列に捻りを加えたりしながら、物語を「語って」いきます。
結局、イヴォンヌとモーヌは結ばれるのですが、モーヌはフランツとの約束を果たしていないこと、そして「ある罪」を犯してしまったことが頭を離れず、結局新婚の妻を残して再び旅立ちます。
少年の「探索」「運命の女性」そして「別れ」を、友人の目を通して語るというのは、どことなく『グレート・ギャツビー』(1925)で…そう言えば“Le Grand Meaulnes”(The Grand Meaulnes)(しかし、英訳本は“The Wonderer”というタイトル)と“The Great Gatsby”と、タイトルも似ている。ただ、ここのフランソワは、ギャツビーの隣人のニックよりも淡々としていて、ニックがギャツビーに対してそうであったように、激しい反感、そして共感という大きな感情のうねりを見せることもありません。いずれにしても、ギャツビーの作者であるスコット・フィッツジェラルドはフランスにも住んでいましたし、この作品の影響を受けたことは考えられます。しかし、この『グラン・モーヌ』に対する評価については先にふれましたが、この作品に『グレート・ギャツビー』ほどの文の流麗さはない気がします。やはり、ギャツビーはフィッツジェラルドの傑作であるに違いありません。
ギャツビーは運命の女性デイジーに自らの夢を投影し、彼女にふさわしい人間になるために、ひたすら金持ちになろうとします。まぁ、この辺がいかにもアメリカ文学な分かりやすさだ(笑)モーヌの場合は、まず「この人…どうやって生活してるの?」とか思ってしまって(汗)
この英訳はサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』とも似ているという感想を読んだこともあります。あれもホールデン少年の≪探索≫の話。しかし、こういうテーマというのは『聖杯伝説』にまでさかのぼることができるであろうと、本書の解説には書かれています。
それとはまた別に、この『グラン・モーヌ』の中で、3人の少年たちがが「誓い」を交わす場面などは、まさに少年時代のロマンの極致でしょうが、そうきますか~そりゃ女性には迷惑千万な話になるわな~みたいな「予感」があります(笑)フランソワ、モーヌ、フランツ…それぞれの分身がそれぞれを補完し合って一つのイメージを作り上げているよう。
でも、最近のわたくしは何故かこういう物語に愛情を感じる(?)
「偏愛」と言ってもいいくらいだ(爆)
この映画は近年フランスでリメイクされたようですが、1967年版ほどの評価は受けていません。モーヌ役が、原作通り、丸刈りじゃないのが気に入らないし(!)(やっぱ、太田投手のイメージ)
それと、驚いたことに、この小説は宝塚歌劇団が取り上げているのですね!1993年に『ル・グラン・モーヌ』として舞台化していることを最近知りました。確かに、謎の屋敷、仮装パーティー、旅芸人一座…視覚的な面白さにも溢れている作品です。原作では、ヴァランティーヌが婚礼に出ずに逃げるときに「男装」して身を隠すという話になっていましたよ(笑)なんか、ちょっと触れられているだけのこの部分がやけに印象に残っていましたからね(?)きっと、宝塚でも、ここはしっかり「男装」したのではないでしょうか?
というわけで、日本でももっと読まれてもいいのではないかと思える『グラン・モーヌ』でした。
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