これ、extended runになりませんかね!?
別にキャサリン役はスカーレット・ヨハンソンじゃなくてもいいじゃん(だめ?)ふたを開けてみれば、エディ・カルボーン役のリーヴ・シュライバーの独壇場でございました!
とりあえず写真↓
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ミラーの作品の中でも特に「形の整った」のがこれだと思うんですが、このプロダクションは、(セットデザインを含めた)演出も素晴らしく、作品自体が持つ魅力を十二分に伝えていました。4月の頭までの限定公演なんて勿体ない!!(でも、実際には、スカーレット目当てのお客さんが多いんだろうか…この週末はソールドアウトのようだったけど)
アーサー・ミラーの作品は、有名な『セールスマンの死』や、昨年BWで上演された『みんなわが子』、大作である『るつぼ』などに見られるように「信念の囚人となる」人間の悲劇が題材になることが多いのですが、この『橋からの眺め』は、「信念」以前の…人間の心のもっと深いところに存在する「情念」がテーマになっています。
場所は20世紀初頭のNYのブルックリン。レッドフックという貧しいイタリア系移民が暮らす地区です。
年頃の娘の婚約者が気に入らない父親…などと言うのは、古今東西どこにでもある話でありましょう。エディも、日に日に魅力的になっていく娘のキャサリンが気になって仕方がありません。まず「清く正しく」という、アメリカの伝統的な価値観を引っ張り出して、服装や行動に注文をつけます。イタリア出身ではありますが、今はアメリカ市民として生きているエディが、アメリカ人として恥ずかしくない娘にしたいのだろう…という部分では納得がいきます(本当はそうではない)
一方、この時代、イタリアからの密航者が後を絶たず、同じ地区でも親類縁者に当たる密航者をかくまっている家庭は珍しくありませんでした。そう…ここに住む人々の中には「アメリカ人として立派に生きる」という市民の倫理と「ファミリーを守る」義理人情がいわゆる「ダブルスタンダード」として、お互いに譲りようがない形で存在していたのでした。そして、エディの家でも妻の親類の兄弟を匿うことになります。でも、身内をかくまっていることを移民局に通報などしようものなら、(それは「市民」としては正しいことには違いないのだけど)彼らの「世界」では、死の制裁が待っているのでした。
当時の法律では、密入国してきても、後にアメリカ国籍の者と結婚すれば、パスポートが自動的に与えられました。妻の親類の兄弟の兄の方は、力強く男性的。故郷の3人の子どもたちのために黙々と波止場で働きますが、弟のロドルフォは、イタリア人には珍しい金髪で、歌を歌い、ユーモアで人を笑わすのが好きで、料理や裁縫などもするというロマンチスト。外の世界を全く知らないキャサリンは、この異国から来た美しい青年に惹かれていきます。
しかし、エディにはロドルフォが気に入るはずがなく、ロドルフォの享楽的な性格を非難するばかりでなく、(兄と違って)男らしくない彼のことを同性愛者だと決めつけさえします。(初演では、ここの表現はカットされたそうです)で、究極のところは「パスポート目当てで、キャサリンに近付いているに違いない」と思うと、居ても立ってもいられないのでした。
やり場のない怒りをかかえて、地区の弁護士に相談に行くのですが「それは法律の問題ではない」と言われる。(この弁護士がストリー・テラー役)
と、ここまで書きましたが、私は「一番大事なところ」には触れておりません。
実は、エディとキャサリンには血のつながりはありません。妻の妹の娘を引き取っていたのです。エディがキャサリンに「許されない思い」を抱いているという部分は、様々な場面で仄めかされます。何よりも印象的なのは、妻が夫婦生活に不満を抱いていることを表す場面。そして、キャサリンに「自分の人生なんだから、自分の幸福を一番に考えなさい。エディのことは気にしないで家を出なさい」と言い聞かせるところ。これも「一見正論」ではありますが、これ以上キャサリンを家に置いておくのが「危険」であることが一番良く分かっているのが妻なのでした。
観客のほうも「たぶんそうなのだろう」と気づくのですが、これがまた憎いばかりの巧みな脚本のもとで、「大事なところ」には一切触れずに、それぞれが自分の立場の大義名分を持ち出し、まるで「周辺」をくどくど彷徨うような話の展開になります。
結局、エディは、キャサリンを放したくないあまり、「仲間の掟に背く」選択をしてしまうのでした。
とにかく、「人間の内にあるどろどろした情念」をテーマにした話を作るとしたら、これ以上のシチュエーションはないのではないか思うほど、よく設定された作品だと思いますね。
まぁ、とにかくリーヴ・シュライバーはエディが入り込んてしまった演技をしています。妻のジェソカ・ヘクトも余力を感じさせる演技。キャサリン役のスカーレット・ヨハンソンは、クライマックスになって声が裏返るのが気になりましたが(「女」の声が裏返るのは嫌いらしい…?)舞台上の姿を見れば…確かに、彼女のような「血縁のない姪」と同居なんてしていようものなら(で、薄着で家の中を歩かれようものなら)妻とすれば気が気じゃないだろうな(…)と、大方の人は納得するんじゃないでしょうか。こういう意味では、ナイスなキャスティングだと思います。
弁護士役でストリー・テラーであるアルフィエリはもっと頑張ってほしかったですね。期待していただけに…アルフィエリは、弁護士として、ブルックリンの貧民街で、救いようのないケースばかり手掛けているのだけど…でも、そんな住民の言い分を聴いていると、弁護士事務所のよどんだ空気が海からの風で洗われてローマ時代に戻り、自分がその時代の法の番人になっているような気持ちになるのだと言います。エディという人間は、自分をさらけ出してくれたということで、自分のところに来る誰よりも「好感が持てた」とも言います。
…アルフィエリの、この最初と最後の台詞は好きなんですけどね~演じたのはベテランのマイケル・クリストファー。ステージ・ドアで向かい合ったんですが、思わず「無視」してしまいましたよ。ま、別に私に無視されても、相手は痛くもかゆくもないだろうけど(ハハハ)
ちなみに、スカーレット・ヨハンソンのサインはもらえました!
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(徹底的に顔隠してました。「小顔」にびっくり…)