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And This Is Not Elf Land

Our Town

※ソーントン・ワイルダー『わが町』(Our Town)について

『わが町』(Our Town,)1938年に発表された劇です。アメリカでは最もポピュラーな演目とされ、70年以上を経た現在でも全米のいたる所で上演されているそうです。




Our Townは20世紀に入ったばかり、産業化の波が押し寄せてくる前のNew Hampshireの小さな田舎町が舞台。アメリカ人が思い描く「古き良きアメリカ」の典型のような町である。

それはつまり、墓地へ行けば今の住人と同じ名前を刻んだ墓石があり、心優しい医師が朝食前に赤ん坊を取り上げ、快活な新聞少年から住民たちのニュースを聞く。soda-fountainでは若者たちがくつろぎ、母親たちは教会の合唱練習を楽しみ、隣同士に住む少年と少女が恋に落ちて結婚する。

ワイルダーは過剰な舞台美術を使うことなく、二本の梯子、最小限の道具をもって日常の些細な出来事の一つひとつの価値を見出せるような手法を試みている。舞台監督が重要な役割を果たす。彼の役割は大きく「全知の語り手」と「役者」の両方として機能している。

表面上はこの作品は「生と死」「愛と結婚」という日常以上の出来事が起きるわけでもない、極めてシンプルな構成である。だからこそ、登場人物のありのままの声が届く。大切なのは積み上げられていく言葉の重みであることに気づかされていくのである。最小限のものしかない舞台上で、生と死、過去・現在・未来が同時進行のように起きる。舞台設定を限定的なものにせず、最小限のものしか置かれていないからこそ、それを観る側、つまり各人の人生のリアリティーと重ね合わせることも可能になる。

この時代、美術ではピカソらがキュービズムとして複合的な描写を二次元のキャンパスに表現し、文学ではジョイスらの意識の流れによる実験的な試みを行ったように、ワイルダーも固定したプロット、一面的な外面的描写、観念的構成では人生の姿を把握する事はできないと考えていたようである。生には死、愛とには、希望には絶望、常に隣り合わせになっている世界が暗示される事によって、Grover’s Corners(舞台となる町)の人々の言葉はその意味と重みを増してくるのである。

第一幕でアルコール依存症であることが分かる男性は第三幕で自ら命を絶ったことが暗示される。彼は才能に恵まれていたが苦労も絶えず、少なくとも小さな田舎町では幸福ではなかった。価値観が多様化しつつある時代に、当時の社会通念の中ではおさまりきらない人間の辿った不幸であった。

冒頭に登場する新聞少年は利発でエリート大学に進学するも、戦死してしまうという理不尽な人生だった事が進行係から告げられる。それはこの劇の設定の時間枠を超えた時に起きた事である。

実際、第一次世界大戦の体験は多くの人々の考え方に大きな影響を与えた。多くの作家たちはより高遠なものに文学のテーマを求めるようになっていく。第一幕で、挑発的な男を登場させ、彼からの「社会の不平等に気づいていないこの町の人々を何とかしないのか」と問いを舞台監督は軽くかわしている。この作品は人生や社会の不条理や矛盾を克明に描いているものではない。移り変わりの激しい時代を背景の中に淡々と生きる人を描いているだけ。

その中で我々の注意はエミリーとジョージの友情が愛に変わる兆しに向けられていく。そして第二幕のテーマは愛と結婚であり、第三幕では死が描かれる。愛の成就である結婚も、永遠の別れである死も事実が知らされてから舞台上で表現される事になる。日常的に起きる事柄は、我々の認識の順序を超越した部分で意味を持つ。人が生きるということは単なる日常の積み上げ以上のものである。

舞台監督から幕が変わるごとに、過ぎた年数が「夜明け」の数などに例えて示される。この町の地勢・自然に関する語りが多く聞かれるのも特徴的。第一幕ではこおろぎの声も聞かれ、ある少女が月を見ようとする。そして彼女は友だちが牧師さんからもらった手紙の宛名書きのことを兄に話す。それは州名や国名にとどまらず”the Universe”から”the Mind of God”にまで遡るものであった。その宛名書きは、日常を俯瞰するひとつの動画のように少女を興奮させるのだった。

第三幕の死者たちの語りは更に重い意味を問いかけるものである。若くして、愛する夫と子どもを残して亡くなったエミリーは一度だけ幸福だった日に戻る。しかし、結局は落胆しただけで終わった。”Do any human beings ever realize life while they live it? – every, every minutes?”(人は生きている間に人生に気付くものなの?毎分、毎分の積み上げの中で)は全ての者に向けられた問いである。全知の話者である舞台監督は間を置いてから”The saints and poets, maybe – they do some.”(聖人か詩人なら、いくらかは可能だろう)と答えにとどまる。

この大きな問いに対して、大方の人間はあまりに凡俗なのである。

しかし、死者たちは星への思いを語る。彼らにとっては星こそが信頼できる友だと言う。

最終的には、ひとり一人の人間の「生」そのものが、俗世の日常にあえぎ苦しみながらも、それ相当の普遍性を持つという認識に到達させてくれる。

人は答えの出ていない遠いゴールを追い求める。
「わが町」(Our Town)は時代を超えて人々に愛され続けている。
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