『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

土川平左衛門(ひぢかはへいざゑもん)

2019-01-03 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
土川平左衛門(ひぢかはへいざゑもん)

〔現代仮名遣い〕ひじかわへいざえもん


近江多羅尾相模守の家来。

1571年5月浅井長政が横山攻めにきたとき、木下藤吉郎

    と一手になって戦うも、主の多羅尾相模守が討

    ち死に。主の討ち死にを見た土川は敵に切りか

    かり討ち死に。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 肥田彦左衛門(ひだひこざゑ... | トップ | 尾藤源内(びとうげんない) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事