『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

武田信玄(たけだしんげん)[1/9]

2018-01-08 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
武田信玄(たけだしんげん)[1/9]

〔現代仮名遣い〕たけだしんげん

※戦国期の主要人物ですので9回に分けての

 投稿となります。

※下線部は信長公記以外の記事によります。


1521年生れ。甲斐国守護信虎の嫡子。

名前:太郎→勝千代→晴信→1559年頃信玄、

官職:左京大夫→大膳大夫→1558年信濃守。

1533年武田太郎(信玄)、扇谷上杉朝興の女

と結婚。翌年懐妊するも死亡。

1536年武田勝千代元服し、将軍義晴の偏諱を

受け「晴信」と名乗る。

1536年信濃佐久郡の海口城を攻陥させ初陣。

1536年武田晴信、信濃海口城の平賀源心を攻略。

1537年2月今川義元、武田信虎の女と婚姻を

結び北条氏綱と手を切る。

1538年嫡子武田太郎(義信)誕生。

1541年6月父信虎を駿河へ追放。

1542年3月上原城方諏訪頼重・小笠原長時軍と

瀬沢で戦う。武田晴信、不意をつかれるも反撃

して勝利。

1542年6月桑原城の諏訪頼重を攻撃。助命を条

件に開城するも諏訪頼重、切腹。諏訪氏滅亡。

1542年10月信濃大門峠で村上義清を破る。

1545年高遠城(高遠頼継)・福与城(藤沢頼親)

を攻略し上伊奈を平定。


 ※武田太郎君、13歳で嫁を孕ませるとは

  おませもいいところです!


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