『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

武野紹鷗(たけのじょうおう)[1/2]

2018-01-28 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
武野紹鷗(たけのじょうおう)[1/2]

〔現代仮名遣い〕たけのじょうおう

※下線部は信長公記以外の記事によります。


大黒庵。

武野家は若狭武田氏の末裔といわれ、紹鷗の

父武野信久は皮屋と通称される皮革業を商っ

たと見られる堺の有力町衆で、舳松町に住ん

だ。紹鷗は若年より文芸を好み、歌学の権威

である三条西実隆から「詠歌大概」を授けら

れ、連歌師と目されることもあった。また大

林宗套に参禅して一閑の居士号を与えられた

ように、禅の境地も深かった。和学の教養と

茶禅一昧の境地に立って紹鷗は茶の湯に傾倒

し、侘び茶の思想と内容を充実させた。こと

にわびという思想は紹鷗の「侘びの文」など

によって確立されたといってよい。紹鷗はま

た豊かな財力に任せて「松島茶壷」「玉澗筆

波の絵」など名物を五、六十種も所持したと

いい、紹鷗の侘びは無一物の背景に豪華絢爛

たる世界を含む、いわば重層的な美を意味し

ていた。



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